アンソニーVSテリィ in 聖ポール学院  ~第3話~


にせポニーの丘でアンソニーを見て以来、テリィも不安な日々を送っていた。
心なしかキャンディともしっくりいかない。
顔を合わせれば、ついつい嫌みを言ってしまう自分が情けなかった。

今日の昼休みも、丘でハーモニカを吹いていたら、後ろからキャンディが目隠しをしてきて・・・

「だーれだ?」

柔らかくて小さな手の主(ぬし)が彼女であることくらいすぐ分かったのに、口を突いて出た言葉は、「さあね」。
そっけない返事にガッカリしたのか、彼女はちょっと寂しそうな顔をして前に回りこんだ。

「何よ!すぐ当ててくれなきゃ心配になっちゃうじゃない」
「なんで?」

まだ気のない素振りを続けるテリィに、キャンディは頬を膨らませて憤慨した。

「だっていつもは後ろに近づいた気配だけで、もう私だって分かってたわ・・・でしょ?」
「ああ、以前はね」
「今は違うの?」
「かもな」
「どうして?」
「そんな、分かりきった理由を聞くなよ!」
ついつい声が大きくなってしまう。
「アンソニーのせい?」

沈んだ表情を浮かべるキャンディを見るのが辛くなり、何も答えないままテリィは立ち上がった。
ハーモニカをポケットに突っ込み、ズボンに付いた草をパンパン払うと、目も合わせず丘を降りていく。
最近はそんなことが多くなった。




キャンディにもらったハーモニカを見つめながら、テリィは自室でさっきの光景を思い浮かべている。
ソファーにどっかり腰を下ろし、背中を丸めて頭を抱え込む。
部屋全体は夜の闇に包まれていた。
歯がゆい思いを持て余し、突然ハーモニカをベッドの方へ放り投げた。

「ちきしょう!あいつのせいだ。あんなにうまくいってたのに。何で今頃生き返ったりするんだよ。死んだ奴は二度と姿を現さないのがルールってもんだろ」

その時頭の中で、もう一人の自分が囁いた。

(そんな風に焦るのはどうしてだと思う?キャンディとうまくいってるなら、もっと自信を持つべきだ。たとえ誰が邪魔したって、怖くなんかないはずだぞ。本当に自信があるなら・・・)

自信?──今の俺には確かにないかもしれない。キャンディをあいつに盗られるかもしれないっていう不安で一杯だ。

テリィは立ち上がってベッドまで歩いていくと、その上に体を投げ出し、大の字になった。
そして天井を見ながら爪を噛む。
窓からは、ほのかに月明かりが差し込んでいた。




青々としたツタが絡まるレンガ作りの建物が目に入ると、その瞬間からもう、バラの甘い香りが鼻先をくすぐる。
そう、ここは男子寮の裏庭。勿論女子生徒は立ち入り禁止だ。
だが、そんな規則はものともせず、掟破りを敢行して進入するつわものは後を絶たない。
「しとやか」で通っているイライザだって例外ではなかった。シスターたちの目を盗んでは、たびたびここへ忍んで来る。目的は勿論、アンソニーの「にわかバラ園」。
なのに、何故かキャンディは気が引けた。こんな所へ進入するくらい造作ないことなのに・・・足を踏み入れるのは、何となく怖かった。
でも近づかずにはいられない。

(ああ、アンソニーに会いたい!会ってあの日の続きを話したいわ。あなたが死んだと聞かされてどんなに哀しかったか、辛かったか。気が狂いそうだった。それに、思い切り「ウソつき」って言ってやりたい!だってポニーの丘を一緒に駆けようって約束したのに、黙って一人で行っちゃったんですもの。そして言いかけたあの言葉・・・ねえ、丘の上の王子様って一体誰なの?話したいことは山ほどあるのよ。でも怖くて会えないの。会ったらいけないような気がしてならないの)

心の中で葛藤しながら、キャンディは恐る恐るバラの花たちを遠巻きに見つめた。
その中で、風に揺れる白いバラが目に飛び込む。

(まあ、あれはスイートキャンディ!)

懐かしい色合いと可憐な姿が胸に迫り、キャンディの目頭は熱くなった。
(アンソニーは今でも作ってるのね。ここはバラの門じゃないのに)

突然、後ろから背中をポンと叩かれた。
「ハロー、キャンディ」

その声だけで分かった。
振り返ったら「あの人」がいる。金色の髪に青い目をした、優しい彼が立っている!
そう──懐かしいあの頃・・・いつだってそうだった。
キャンディの目にはくっきりと浮かんでいたのだ。レイクウッドの光の中、眩しいほどに輝いていたアンソニーの笑顔が。

「どうしたの?」
いつまでたっても顔を向けない彼女が気になり、アンソニーは身をかがめて後ろからキャンディを覗き込んだ。
慌てて顔を隠した彼女の頬が、少しだけ濡れている。

「泣いてる?」

キャンディは頭を左右に振ると、目をゴシゴシこすってアンソニーを見上げた。
「泣いてなんかいないわ。少し懐かしかっただけ」
「それは良かった。じゃ、このプレゼントを受け取ってくれるよね?」

ホッと安心した声が上から降りてきて、キャンディの目の前は白一色で埋め尽くされた。
また、あの甘い香りだ。

「女子寮へ忍び込んで行ったら、君の部屋はもぬけの殻で・・・アニーが教えてくれたんだ。きっとこのバラ園じゃないかって。やっぱりそうだったんだね。もしかして僕に会いに来てくれたの?」

誘うような青い瞳が目の前で揺れたとき、キャンディは心臓がドクンドクンと脈打つのを感じた。

(ああ、やっぱり好き!アンソニーが大好きだわ。こうしていると、心はレイクウッドへ帰っていく。あの頃、バラ園や森や湖で、あなたの姿が一目だけでも目に映ると、胸がドキドキして顔が熱くなったのを覚えてる)

そしてそれは今も変わらない・・・彼を見ただけでカアーッと赤くなっていく頬の熱に戸惑いながら、キャンディは恥ずかしそうにうつむいた。

「会いたかったの・・・」
遠慮がちな小さい声──アンソニーはそんな彼女を、心の底から可愛いと思った。

「下ばっかり向いてないで、僕に顔を見せて。本当に会いたかったんだ。ずっと夢見てた・・・キャンディに触れられるのを。君なしで生きていくなんて、耐えられなかった」

アンソニーは小さな肩に優しく触れると、自分の方へそっと引き寄せた。

温かくて広い胸。バラの香りがほのかに漂ってくる。

(アンソニー、背が伸びたのね。あの頃より男らしくなった気がするわ)

夢見心地になって視線を上げたその瞬間、キャンディは凍りついた。
肩越しに・・・アンソニーの肩越しに見える男子寮の窓から、テリィがこちらをじっと見つめている姿が飛び込んだのだ。
その目は責めているというより、哀しそうだった。
たとえようもなく沈んで、冬の荒野をさまよう枯れ葉の群れより、頼りなくて寂しかった。

キャンディはとっさにアンソニーの胸を強く押しのけ、体を離す。
驚いたように見開かれるサファイアブルーの瞳。

「どうしたんだい?」
「ごめんなさい。私、やっぱりスイートキャンディはもらえないわ」

目に涙をためて後ずさりすると、きびすを返して彼女は駆け出した。
何が起きたのか分からないアンソニーは、呆然としたまま暫く彼女の背を追ったが、ふと後ろを向いて寮を見上げた時、全てを察した。

その窓にはテリィの姿があった。
駆けて行ったキャンディを、ずっとなぞっているテリィの真剣な眼差しが、心の芯に釘を打ち付ける。

(原因はあれか。彼が僕らのことを見てたから・・・。そんなにあの視線が気になるってことは、やっぱりキャンディ、君は・・・)

恋敵の姿をそれ以上見るのが辛くなって、アンソニーは思わず目をそらした。




アンソニーを振り払って駆け出したキャンディは、どうしていいか分からないまま学院の敷地を抜けていた。
来るつもりはなかったのに、足は自然とブルーリバー動物園に向かっている。
なぜって、そこには悩みを本音で打ち明けられる唯一の相談相手──アルバートさん──がいるから。
重苦しい胸のモヤモヤを全部吐き出して、早く楽になりたかった。

入口の門をくぐると脇目も降らずに、彼の「控え室」である小屋へ向かう。
動物たちの鳴き声や、家族連れの賑やかな歓声が聞こえる中、急ぎ足で目的地を目指し、やっと辿り着いた。
戸口に立つと、キャンディは深呼吸してドアをノックした。
「どうぞ」という声とほぼ同時に、中へ入っていく。

「やあ!よく来たね。今日は外出許可が出てるの?」
暗い室内に外からの薄日が差し込んで、アルバートのサングラスがキラッと光った。その奥にはいつもと同じ優しい瞳。
キャンディはホッとしたように小さな息を漏らした。

「違うの。許可なんか出てないわ。抜け出して来ちゃった。だって私、もうどうしていいのか分からないんだもの」

今にも泣き出しそうな顔を見て、ただごとではないと直観したアルバートは、席を立ってキャンディのそばへ行くと、「さあ座って!落ち着いたら、ゆっくり話してごらん」と椅子を差し出してくれた。

それから彼女は、堰を切ったように話し始めた。
テリィと想いが通じ合って、漸く恋人らしい二人になれたのに、突然アンソニーが現れたこと。彼を好きな気持ちに変わりはない、でも今はテリィがいる、彼のことも愛している。だからどうしていいか分からない──話しているうち、キャンディの目は涙で一杯になっていた。

「アンソニー、知ってるでしょ?彼が死んだ時、アルバートさんは慰めてくれたわ。彼という素晴らしい少年と巡り合えたことを喜べって。あの言葉のおかげで、私は彼の死を乗り越えられた気がするの」
「勿論覚えてるよ。君の初恋の少年・・・そうだろ?」
キャンディは頷きながら、「まさか生きていたなんて!もっと早く知ってたら、そしたらきっと、きっと・・・」と呟いたが、その先を言い淀んでしまった。
「テリィを好きになったりしなかった──そう言いたいんだよね?」
キャンディは首を縦に振ったが、「さあ、そいつはどうかな。アンソニーがいたって、君はテリィを好きになったかもしれない。それは神様にしか分からないことさ」と、アルバート。
「そんな!」
キャンディは困ったような顔をし、それを見た彼はおかしそうに笑った。
「命短し、恋せよ乙女・・・か。まあ、長い人生にはこんなこともあるよ。あまり深刻にならない方がいい」
「アルバートさんったら、人のことだと思って」

ムキになってしまったキャンディに申し訳ないと思ったのか、アルバートは笑うのをやめた。
「冗談はともかく、何かを試されてるのかも。君の想いが本当はどこにあるのか、立ち止まって考えてみろ、っていう神の啓示かもしれない。いずれにせよ、焦りは禁物だよ。アンソニーとテリィ・・・どっちを選べばいいのかは、そのうち自然に分かるさ。君のここにズキンと響く」
そう言ってアルバートは、自分の心臓を指差した。

「そんなものかしら」
「そんなもんだよ」
「でも私が迷っていたら、二人をヤキモキさせることになるわ」
「気にするな。アンソニーにしろテリィにしろ、君のことが本当に好きなら、待っていてくれるはずだよ。たとえどんなに長い時間がかかっても」
「アルバートさんは待たされた経験あるの?」
悪びれない緑の瞳に突然見つめられ、アルバートは少しばかり返答に迷った。
「見くびってもらっちゃ困るなぁ。君よりいくつ年上だと思ってるんだい?」
「えへ。それもそうね」

茶目っ気たっぷりに微笑むキャンディの柔らかいクセ毛に手を置くと、「大人をからかうもんじゃないよ」と言いながら、撫でてクシャクシャにした。