アンソニーのバラの門、アーチーの石の門、そしてステアの水の門を順番に過ぎたあと、湖のほとりを歩いていくと、やがて一面に濃い緑が広がった。
深い森が現れたのだ。
湖からは爽やかな風が吹いてきて、この季節でもさすがに涼しい。
森の中に入ると、うっそうとした木々に太陽がさえぎられるので、絶好の散策コースになっている。
だが多くの人はここまで歩いてくると、それ以上奥へは進まずに引き返してしまう。
だから森のずっと奥に、小さな山荘があることは、意外に知られていなかった。

森の山荘──アンソニーにステアにアーチーは、幼い頃、よくここを隠れ家に使ったものだ。
誰かに怒られそうになったときは、必ず逃げ込んだ。
成長してからは、一人になりたいときに、たびたび来て考えごとをしていた。
それにここは、キャンディがアードレー家の養女になったばかりの頃、エルロイがアンソニーを閉じこめた場所でもある。
彼女の狙いは、アンソニーとキャンディを引き離すこと。
そのときアンソニーは、ここでトムという少年から、暴れ馬に乗る技術を教わって乗馬の腕を上げた。
トムはキャンディと同じポニーの家の出身で、このあたりでは有名な牧場主の養子だった。
エルロイはアンソニーがロデオ大会に出場するなどと言い出したのが気に入らず、なんとかやめさせようと、キャンディを山荘にやって説得させたこともあった。
結果は、火に油を注ぐようなもの。
逆にアンソニーに諭(さと)されたキャンディは、彼がロデオに出場する片棒を担ぐことになってしまった。
幸い優勝出来たから良かったが・・・。

そんなわけで、キャンディにとっても、この山荘は思い出の場所だ。
あれから何年も経ったあとで、思いがけず行けることになったので、懐かしさに胸を弾ませながら、アンソニーのあとを追った。
(以上は、アニメで使われていたエピソードです。ご了承くださいませm(__)m)



どのくらい来ただろうか。
さっきからずっと小走りで追っているので、さすがに疲れてきた。
湖からの涼しい風を受けても、なかなか汗が引かない。呼吸も荒くなっている。
だがその甲斐あって、やっとアンソニーの後ろ姿をとらえることが出来た。
あと少し、あともう少し走れば、アンソニーに追いつける!
そう思うと、疲れもなんのその、キャンディは真っ直ぐに走っていった。
息もつかずに、ただ大好きな人のもとへ。

「アンソニー、待って!」

声をかけると、アンソニーは驚いて振り返る。

「まさか君に会えるなんて!よくここがわかったね」
「さっきバラの門を通りかかったらアルバートさんに会って、あなたが山荘へ行くところだって、教えてくれたの。追いかけて来ちゃったけど、迷惑だったかしら?」

キャンディは心配そうに、アンソニーの顔をのぞき込んだ。

「全然迷惑なんかじゃないさ。それよりどうしたんだい?そんなに息を切らして」
「私、ずっと走ってきたの」

言った途端、頬が真っ赤に染まっていく・・・

(あなたに早く追いつきたいから、少しでも長く一緒にいたいから、ずっとずっと走ってきたのよ)

気持ちが通じたのか、アンソニーも照れくさそうな顔になる。

(僕のために、こんなに呼吸を荒くして、頬を染めて・・・)

想いを口に出しては言わなかったが、お互いの心の中はよくわかっていた。

「昨日はごめん。障害飛越えなんかしたから、心配かけちゃったね」
「ううん、そんな。それより記憶が戻って、本当に良かったわ」

話したいことは山ほどあるはずなのに、なぜか先が続かない。
二人はしばらく見つめ合っていたが、少したってからアンソニーが切り出した。

「少し歩かないか?」
「ええ、喜んで!」

アンソニーと一緒だと、胸が弾む。
そんな気持ちを知っているかのように、真夏の空はどこまでも青く爽やかで、透きとおって見える。

どうしてこんなに心が安らぐのだろう。
テリィのことは勿論好きだが、ちょっと違う。
もっと互いを挑発しあうような、刺激的な関係だ。
彼とは、ずっとそうだった。
熱い火花を散らしながら、激しい恋心を燃やしてきたのだ。
だからこそ、ときめいた。
ドキドキした。

だけどアンソニーは、そうじゃない。
彼の前では意地など張る必要はない。
一緒にいると、ただそれだけで、優しく穏やかな気持ちになれるから。

「ねえキャンディ、覚えてるかい?あれは何年前だろう。大おば様の命令で、森の山荘に住むようにさせられた僕のところへ、君はよく通ってきてくれたよね」
「覚えてるわ。ちょうどこの道よ。馬車に乗って、ここをよく通ったわ。あなたがいる山荘まで」
「こんな深い森の中を通っていって、恐くなかった?」
「いいえ、ちっとも。むしろ嬉しかった。だって、山荘に行けば・・・」

そこまで言って、黙り込んでしまう。
気になるアンソニーは先が聞きたくて、緑の瞳をのぞき込んできた。
キャンディはモジモジしている。

「山荘に行けば?」

甘い声が、誘うように上から降りてくる。

「・・・あなたに会えるんですもの」

やっとの思いでしぼり出したあと、キャンディは真っ赤になってしまった。
アンソニーも、どう続けていいのかわからない。
照れくささを隠すように、わざとらしい咳払いをしてから、ぎこちなくつなぐ。

「連絡を取るのに、伝書鳩を使ったこともあったね。この辺の森や湖には、あの頃の思い出がいっぱいだ。毎日が本当に楽しかったよ」

アンソニーは、ふと遠くを見つめた。
キャンディと一緒にいて、懐かしい少年時代に思いを馳(は)せながらも、同時に現実の重さがのしかかっている。
思わず表情が曇る。
キャンディもすぐに気づいた。
彼が考えていることは、痛いほどわかる。
テリィのこと、レイチェルのこと・・・この恋の障害になる、すべてのこと。
それらが頭に浮かんでは消え、暗い影を落とした。

「君は『彼』と一緒に、明日ニューヨークへ発つそうだね」

改めて言われると、どうしていいかわからない。
「ええ」、と力無く答えるだけ。

「本当にそれでいいんだね?」

先を続けようとするのだが、言葉にならない。

(引き止めて、どうしようというんだ。今の自分には、何もしてやれない。なら、黙って引き下がるべきじゃないのか?)

狂おしい想いの裏側から、理性の声が慄然(りつぜん)と響き、アンソニーを胸苦しくさせた。

瞬間、昨日テリィが言った言葉が蘇ってくる。

──あんたは、キャンディもレイチェルも、両方とも不幸にしちまうぜ──

確かにそうだ。
中途半端な態度が、二人の女性を苦しめている。
この袋小路から抜け出すには、一刻も早く自分が一歩を踏み出さねばならない。
だが同時に、アルバートが言った、「恩義は愛情とは違う」という言葉も引っかかった。
自分はこれからの人生をずっと、愛してもいないレイチェルと生きていかなければならないのだろうか。
それともいつの日か、恩義は愛情に変わるのか。

思い悩んでいると、キャンディの悲しい声が現実へと引き戻した。

「もし私がニューヨークへ行きたくないって言ったら、あなたはどうする?」

言ってはいけない一言だと思って、今までずっと胸の奥にしまいこんできたが、この土壇場で、つい口にしてしまった。
それを聞けば、アンソニーは余計辛くなる。
だから、どんなにか我慢してきたのに・・・!

「少し時間をくれないか?いろいろ考えてみたくてここへ来たんだ。でも、これだけは約束するよ。決して君を不幸にするようなことはしない」
「ごめんなさい、あなたを困らせるだけだってわかってたのに・・・。聞かなかったことにして。私のことは、心配しなくていいのよ」

二人の葛藤が天に通じたのか、それまで一点の曇りもなく晴れ渡っていた青空が、信じられない暗い色に変わった。
雷雲だ。
こんなことがあるんだろうかというほど、瞬く間に、空は表情を変えてしまった。

「一雨来るぞ。山荘へ急ごう」
「ええ」

気まぐれな空模様に翻弄されながら、アンソニーはキャンディの手を取って、足早に駆け出す。
そのあとを追うかのように、にわか雨が、激しい音を立てて地面を叩きつけてきた。
一瞬の差ではあるが、彼らが山荘へ駆け込むより先に、雨が降り注いでしまった。
だから中へ入ったとき、二人はずぶ濡れになっていた。



「ごめん、もっと早く気づいてれば、君をこんな目に遭わさずにすんだのに」

アンソニーはあわててハンカチを取り出し、雨がしたたり落ちるキャンディの髪をふいてやった。
時折走る稲妻が、そばかすの顔を明るく照らし出す。

アンソニーはハッとした。
キャンディは泣いているのだ!
彼女の頬を伝っているのは、雨の滴(しずく)だと思っていたのに、違っていた。
大粒の涙だ。
それが何を語っているかわかるだけに、やるせない。
彼女を真正面から抱き止め、すべてを引き受けてやれない自分が、ふがいなくもあった。
キャンディはただ目を潤ませ、愛しいアンソニーを見つめるだけ。

(お願いだ、泣かないでくれ。君にそんな顔をされたら、僕は・・・)

アンソニーはたまらなくなり、思わず手を伸ばして頬に触れてしまった。
温かくて柔らかい薄紅の頬に・・・。

その瞬間、我慢の限界が来た。
今まで必死の思いで殺していた熱いものが、体の奥ではじけていく──もう抑えられない!

気がつくと手は、ごく自然にキャンディを抱き寄せていた。
そして身をかがめると、ためらうことなく唇を近づけていく。
キャンディはそっと目を閉じた。
思ってもみなかったアンソニーの大胆さに、胸が張り裂けそうに高鳴っている。
荒い呼吸が間近に聞こえる。

(ああアンソニー、お願い。それ以上近づかないで。ドキドキするわ。どうかなってしまいそうよ)

驚きと恥ずかしさと嬉しさが一緒になって、どうしていいのか途方に暮れた。
だがやがて、覚悟を決めたように、そっと唇をすぼめる。
彼の想いを受け入れるために。

その瞬間、激しい稲光と共に、アンソニーの唇がキャンディの唇に重なった。
初めは優しく、そして段々に強く。
まるで何かにとりつかれたように、壊れそうなほど強く抱きしめて、唇を求める。

(アンソニーのキスが、こんなにも激しいなんて・・・!)

彼がしてくれる初めての口づけは、もっと甘くて優しいものだと、ずっと思っていた。
正直、戸惑いは隠せない。
だが、これが現実なのだ。大人になるってことなんだ!
少しでも彼に近づきたくて、熱い想いのすべてを受け止めたくて、そっと背伸びして、腕を首筋に絡ませる。

(ああ、私にはこの人しかいないんだわ。アンソニーが好きなの。誰よりもアンソニーが好き!)

心の中で何度も叫ぶ。
同時に、はっきりわかった。
「おとぎ話のような可愛い恋」を、自分たちは卒業したのだと。
アンソニーが求めているのは、あの頃の「淡い初恋」ではなくなっている。
それに彼はもう、「王子様」ではなかった。
目の前にいるのは、たくましく成長した大人の男性。

大人になったら、恋の形も違ってくる。
そばにいるだけでドキドキしたり、手に触れてときめいたり、軽く触れるキスだけで真っ赤になったり・・・そんなことだけでは「恋」と呼べないだろう。
その先にあるものは──
なんとなく、わかってはいる。
心から愛していれば当然のことなのに、今はまだ怖かった。

「アンソニー・・・苦しいわ」

恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら、キャンディは消え入るような声でささやく。

「ご、ごめん!痛かった?」

ハッと我に返ったアンソニーは、あわてて謝った。
そして思う。
今この場で、彼女を自分のものにしてしまいたい。他の誰にも渡したくないと。

瞬間、テリィの顔が浮かんだ。
昨日彼が部屋を出ていくときに言い放った言葉が、頭の中で響きわたる。

──今のところキャンディとはキスまでだ。「今のところ」はな──

それを思い出した途端、急に落ち着かなくなった。

(あいつより先にキャンディを奪いたい。とられてしまう前に、どうしても・・・!)

その望みをかなえようと思えばかなえられることが、アンソニーにはわかっていた。
誰もいない森の山荘に、彼女と二人きりなのだから。
しかもキャンディは自分を愛している。
今のこの状況は、二人が結ばれる絶好のチャンスだ。
いや、もしかして、この瞬間を逃したら、もう二度と触れることは出来ないかもしれない。
だが・・・
やはりこのままでは駄目だ。
こんな中途半端な状況で愛し合っても、彼女の純潔を汚すことにしかならないのでは──。
突き上げる衝動と道義心の狭間(はざま)で、アンソニーの心は揺れる。

それに、自分にはこれからやらなければならないことがある!
思い直した彼は、理性の力で必死に妄想を振り払い、キャンディを抱きしめていた腕を静かに離して言った。

「ごめん、いきなりこんなことして。怒った?」
「ううん」

そのあとで、恥ずかしそうな声が小さくささやく。

「嬉しかったわ・・・」

アンソニーの顔が、パッと明るくなる。

「良かった!」

思わずまた抱きしめた。今度は、優しくいたわるように。
腕の中にいる彼女から、小さな鼓動が伝わってくる。
きっとドキドキしているんだろう。今の自分と同じように。
こんなにも近くに、肌の温もりがあることが嬉しくて、アンソニーの心は柔らかくなった。

「キャンディ、僕はもうしばらくここに残る。一人で考えたいことがあるんだ。雨も止んだみたいだから、君はお帰り」

先程の激しさは影を潜め、いつもの穏やかなアンソニーに戻っている。
キャンディは少し拍子抜けした。

「私も一緒に・・・」
「ダメだよ、帰らなくちゃ。こんなところに僕と二人きりでいちゃいけない。わかるね?」

アンソニーの切ない目を見ていたら、それ以上は何も言えなかった。
恐らく彼は、自分と必死で闘っているのだ。
それがよくわかったので、黙って言いつけどおりにしようと思った。

「わかったわ。言うとおりにする。出発は朝よ。明日、また会えるわよね?」

すがりつくような目で見つめるキャンディ。
アンソニーは、「ごめん。今のは忘れてくれ」、とだけ言った。

雨はもう、すっかり上がっていた。



屋敷へ帰る途中、森の道を歩きながら、キャンディの心臓はまだ高鳴ったままだった。
奪うように激しいアンソニーのキスが忘れられない。
それに、抱きしめられたときの熱い感触が、今も残っている。
やはりアンソニーは、もう15歳の少年ではないのだ。

頬にほんの少し触れただけのキスなのに、二人とも顔を真っ赤にしたあの頃が懐かしい。
幼くて純粋な、二人だけの秘め事だった。
だが今日は違う。
唇と唇を重ね、お互いの気持ちを確かめ合った。
もしそれ以上のことを求められたとしても、きっと拒まなかっただろう。
キス以上のこと──考えたら、体中が熱く火照リ出した。

一方で、「今のことは忘れてくれ」という、別れ際の言葉が気になって仕方ない。
彼は一体、どうするつもりなのだろう。

あれこれ考えているうち、バラの門が見えてきた。
屋敷へ戻ってからも、キャンディの心には、山荘での出来事ばかりが蘇ってきて、その晩は一睡も出来なかった。
ただアンソニーのことだけを想って・・・。





そしてついに、次の朝がきた。
今日こそレイクウッドをあとにして、テリィと一緒にニューヨークへ出発するのだ。
二人の婚約を、マスコミに発表するために。

テリィは朝一番でキャンディを迎えに来て、今か今かと出発を待っていた。
アルバート、アーチー、アニーも見送りに来てくれている。
だが、肝心のアンソニーがいない。
昨日彼は、「決して君を不幸にするようなことはしない」と誓ってくれた。
だからキャンディは、土壇場でアンソニーが迎えに来てくれるはずだと信じて疑わなかった。

だが・・・いくら待っても、彼は現れない。
これ以上出発を延ばせないところまで、時間が経ってしまっていた。
もうこれまでか?

(昨日のキスはなんだったの?お別れのキス?「今のことは忘れてくれ」って、あきらめてほしいっていう意味?)

キャンディの心は千々(ちぢ)に乱れる。


「さあ、そろそろ行かないと。テリィも車のところで待ってるし」

この期(ご)に及んで、まだ未練たっぷりのキャンディを促すように、アルバートは優しく言った。

「でもアンソニーが・・・アンソニーがまだ来ないわ」

泣きそうな顔でボソッとつぶやく。

「あいつ、何やってるんだ?早く来なけりゃ、今度こそキャンディは連れていかれちまうってのに!」

アーチーはイライラしながら、何度もバラの門に目をやっている。
テリィにキャンディを取られることには、今でも納得がいかないのだろう。

「このまま出発しちゃって、本当にいいの?」

アニーも心配そうな顔で言う。


そのとき、レイチェルがものすごい勢いで走ってきた。

「アンソニーは?アンソニーはキャンディと一緒じゃないんですか」
「いや、ここには来てないよ。僕たちも心配してたところなんだ」 

アルバートが答える。

「彼、昨日の朝、ちょっと出かけてくると言って出たまま、帰ってこないんです。私、不安で不安で・・・」

それを聞いて、キャンディはアンソニーがあれから屋敷へ戻っていないことを知った。
夕べは、あの山荘に一人で泊まったのだろうか。
そして今もまだ、あそこにいるのか。
もしアンソニーが待っていてくれるなら、すべてを投げ出し、飛んでいきたい気持ちでいっぱいだった。
たとえテリィを裏切ることになっても。

「レイチェル、心配しなくていいよ。彼はじきに帰ってくるさ。きっと自分なりの答えを出したんだろう」

言い終わったあと、アルバートはキャンディのほうへ歩いていき、静かにささやく。

「これがアンソニーの出した結論だ。彼は君とテリィのために身を引いたんだと思う。その気持ちを受け取ってやれるね?」
「でもアンソニーは言ってくれたのよ。『決して君を不幸にするようなことはしないから、少し時間をくれ』って。だから信じて待っていたいの。このまま出発するなんて、絶対出来ないわ」
「それは違うな。よくお聞き、キャンディ。僕はこう思うよ。アンソニーには、レイチェルを見捨てる勇気もないし、君を幸せにしてやれる自信もなかったんだよ。だから『テリィと一緒にニューヨークへ行くこと』が、一番の幸せだと考えたんだろう。君が想像してたのとは違うだろうが、幸せにはいろいろな形があるんだ。アンソニーと生きていくことだけが幸せじゃないんだよ。まさかこういう結果になるとは意外だったけど、きっと彼はすごく悩んだはずだ。だからその誠意を無駄にしないために、君は幸せにならなきゃいけない。テリィと二人で、力を合わせて歩いて行くんだ。いいね?」

エメラルドの瞳からは涙があふれそうになったが、他のみんなに気づかれないように、必死でこらえた。

「わかったわ、アルバートさん。私、強く生きていく。アンソニーがくれた幸せだもの」

それは精一杯の強がりだった。

「アーチー、アニー、見送ってくれてありがとう。今度会うときは、二人の結婚式かしら。どうか幸せになってね。そしてレイチェル、アンソニーによろしく。彼を大切にしてあげて」

レイチェルは黙ってうなずいた。
アーチーもアニーも、名残惜しそうに、テリィの車のところまでキャンディを見送る。
アーチーは別れ際に、「テリィとケンカしたら、すぐ帰って来いよ」と言ってくれた。
そしてアルバートは正門に立ったまま、こちらへは歩いて来ずに、静かに見送った。





「みんなとの別れは、もう済んだかい?」

優しく尋ねるテリィに、キャンディは「ええ」と答えるだけ。
それ以上しゃべると、涙がこぼれそうだったから。

「じゃあ出発だな。俺たちの未来へ向かって」

彼は力強くアクセルを踏んで、車を発進させた。
キャンディが後ろを振り返ると、まだアーチーとアニーが盛んに手を振ってくれている。
それに応え、彼らが見えなくなるまで、いつまでもいつまでも手を振り続けた。



二人の姿が視界から消えてしばらくすると、どうしようもない淋しさが襲ってきた。
レイクウッドの思い出が、アンソニーと過ごした懐かしい空間が、すべて消えていく──そう思うと、胸がズキズキ痛んだ。
もしかしたら、自分は大変な過ちを犯そうとしているのではないか。
本当にアンソニーが好きなら、レイチェルに遠慮などせず、はっきり言うべきだったんだろうか。
今の状態は、「あのとき」と全く同じだ。
スザナを気にするあまり、テリィへの深い愛を犠牲にした、あの三年半前と。

でもやっぱり、レイチェルと向き合う勇気がない。
臆病で卑怯な私。
アンソニーをこんなに愛しているのに、何も言えずに去っていく、かわいそうな私。

不思議とテリィは、アンソニーのことを何も聞いてこない。
既に勝負あったと思って安心しているのか、それとも、もうこれ以上アンソニーの名を口にしたくないのか。
キャンディには本心がわからなかった。

だが何よりわからないのは、アンソニーの気持ちだ。
昨日の激しいキスは、単なる衝動だったのだろうか。
既に答えを出していたのに、あんな振る舞いに及んだのか。
あれは戯れにすぎなかったのか。

考えれば考えるほど、深みにはまっていく。
こうしてテリィと二人きりでいるのに、心はまだアンソニーのことでいっぱいなのを思い知らされ、愕然とする。
車はちょうど湖のほとりを抜け、アードレー家の敷地を出るあたりにさしかかっていた。


そのときだ!
おびただしい数の白いバラが、視界に飛び込んできたのは。

車は瞬く間に走り去り、バラの風景は一瞬にして、車の後方へ流れ去ってしまった。
驚いたキャンディは振り返る。
そこには、バラの花束を抱えた青年が、こちらを向いて立っていた。

アンソニーだ!

両手に抱えているのは、数え切れないほどのスイートキャンディ。

今にも涙でゆがんでしまいそうな顔。
やるせない光をたたえたサファイアの瞳。
それを見ただけで、キャンディの胸はつぶれそうになった。

(ああアンソニー、どうして駆け出してくれないの?今なら間に合うわ。あなたが全力で駆けてきたら、私、ここから飛び降りる!)

キャンディはドアノブに手をかけ、彼の動きを固唾(かたず)を呑んで見守った。
だがアンソニーは動こうとしない。
悲しみにあふれた表情を崩すことなく、じっとこちらを見つめたまま。
やがて腕がちぎれんばかりの勢いで、スイートキャンディの花束を、大きく激しく振った。
声は聞こえないが、唇が動いている。

(え、なに?わからないわ)

でも何を言おうとしているのか、目を見ればわかった。
言葉にはならないが、きっとそれが、彼の「さよなら」──

キャンディは身を乗り出し、無我夢中で見つめる。
その姿を、一分一秒でも長く、目に焼き付けておきたかったから。
涙でかすまないように、必死で目を見開いた。

お願い!時よ止まれ、このまま永遠に・・・

手をきつく握りしめて、そう念じる。
だが願いも空しく、アンソニーの姿はどんどん小さくなっていく。

テリィは気づいたのかしら?彼が来てること──そう思うほど、アクセルを踏み込む力が強くなった気がする。
やがてアンソニーは、視界から完全に消えてしまった。

それでもあきらめることが出来ない。
姿が見えなくなったあとも、キャンディは幻を追いかけるように、いつまでも後ろを振り返ったままだ。

これで本当にお別れなのだ。
そう思ったとき、隣にテリィがいるのも忘れ、声をあげて泣いた。
やはりアンソニーは来てくれた!
彼が出した結論は、自分が望んでいたものとは違っていたけれど、誠意を持って答えを出してくれた。
どうしようもないほど悩んだ末に。

アンソニーが力の限りに振ったスイート・キャンディの花束、こちらを見つめていた切ない目──それを見たとき、どんなに愛してくれていたか、キャンディにははっきりわかった。
あのキスが、嘘ではなかったことも。

その瞬間、少し前にアニーが言った言葉が浮かんできた。

──女の子にとって、初恋の相手は永遠なのかもしれないわ。もしも誰か他の人と結婚しても、その人のことは、きっと一生、心のどこかに残っているものなのよ──

(きっとそうだわ。そうだわよね、アニー?テリィと結婚したら、いつか夫婦としての愛が生まれて、私たちはそれを育んでいくの。その頃には、アンソニーの甘い声も、金色の髪も、優しい青い瞳も、すべてがおぼろになって、記憶の片隅に追いやられてしまうかもしれない。でも彼を愛したことだけは、胸の奥の一番美しいところで、輝き続けるんだわ。きっと私は一生、アンソニーを忘れない!)

テリィの声が、耳元を流れていく。

「キャンディ、絶対に後悔はさせない。必ず幸せにしてみせる。だからあいつのことは、もう忘れろ」

彼女の涙にも動じることなく、テリィは決意したように言った。
だがキャンディは心乱れて、何も答えることが出来なかった。