レイクウッドの再会・3



そう言いかけたとき、ドアがノックされてアルバートが入ってきた。
アーチーにアニー、そしてテリィもいる。

「アンソニー、具合はどうだ?何か思い出したかい」

心配そうにアルバートが尋ねる。
アーチーもアニーも神妙な顔つきだ。
テリィだけが他の三人と少し離れて、遠巻きにアンソニーを見ていた。

「ええ、いろいろと思い出しましたよ。そこにいる『彼』のおかげでね」

アンソニーは挑戦的な目でテリィを見たが、彼は黙ったままだ。

「本当か?じゃあ今度こそ、昔話が出来るんだな」

興奮してアーチーが言う。

「勿論さ!三人でつるんで、しょっちゅういたずらしてたっけ。ステアがここにいたら、どんなにいいだろう。あいつがいないなんて、本当に信じられないよ」

アンソニーはうつむいた。

「兄貴の代わりにお前が帰ってきてくれた。僕はそれだけで十分だよ。もし今ここに兄貴がいたら、又変な発明をしてアンソニーを驚かすんだろうな」

二人は顔を見合わせ、その光景を想像するように笑う。

その次の瞬間だった。血相を変えてレイチェルが部屋に飛び込んできたのは。

「アンソニー!アンソニーは大丈夫なの?」

他のことなど目に入らない様子で、ひたすら取り乱している。

「大丈夫だよ。ほら、このとおりさ。安心して」

ベッドの上のアンソニーがにっこり笑うので、とりあえず安堵する。

「悪かったわ、夕べは家を飛び出したりして。でも、もうこんなことしないで!私がいないときに危ないことをしないって、約束してちょうだい」

レイチェルは涙声で枕元にすがりついた。
そこにはさっきまでキャンディがいたのだが、レイチェルのあまりの激しさに、思わず後ずさりしてしまっていたのだ。

「こんなことをさせたのはあなたね、キャンディ。前にも言ったはずだわ。もうアンソニーに近づかないでって。なのに、どうして?」

レイチェルは鋭い眼差しでキャンディをにらみつける。
だが割って入ったのは、意外にもテリィ。

「それは誤解だな、お嬢さん。無理にアンソニーを馬に乗せたのは、この俺さ」

レイチェルはハッとして、声の主(ぬし)を見上げる。

「まあ、おかげで奴は記憶が戻ったみたいだぜ。君にとって、それがいいことか悪いことか知らないが、これでやっと、キャンディは安心してここを離れられるってわけだ。だからもう、アンソニーを取られやしないかって心配する必要はない」

その言葉に、キャンディもアンソニーもギクッとした。
二人にとって一番痛いところを、テリィがつついてきたからだ。

「俺はキャンディにプロポーズした。だけど、『アンソニーが元に戻るまで、ここにいたい』って彼女が言うから、記憶を取り戻す手助けをしたのさ。その甲斐あって、アンソニーは昔を思い出した。だからもう、ここにいる理由はないはずだな?」

テリィはキャンディに向かって目配せをする。

そのとおりだ。もう、ここにいることは出来ない。
即ちそれは、別れを意味する。
キャンディもアンソニーも痛いほどわかっている。

一方レイチェルは、初めて知る展開を、複雑な気持ちで聞いていた。
目の前にいる、栗色の髪の青年が、キャンディに結婚を申し込んでいたとは!
それ自体意外だけれど、もっと驚いたのは、この若者の容貌。
彼の顔には見覚えがある。
ブロードウェーの舞台で見た俳優に似ている気がするが、さだかではないし、キャンディにそんな知り合いがいるとは思えない。
一体誰なんだろうと、そればかり気になる。
「失礼ですけど、あなたは・・・?」と、喉まで出かかったとき、アンソニーの声がさえぎった。

「みんな悪いけど、テリィと二人だけで話をさせてくれないか」

一呼吸置いてから、落ち着いた声が続く。

「わかったよ。僕たちが大勢でここに集まっていても仕方ない。またあとで出直すとして、さあ、みんな引き上げよう」

そう言ってアルバートは、名残惜しそうにしているアーチーや、心配そうなアニー、気もそぞろなレイチェルを急かして、出ていくよう促した。
最後に、アンソニーとテリィの板挟みで呆然としているキャンディをエスコートして、自分も退出した。



部屋に残ったのは、アンソニーとテリィの二人だけ。
テリィは相変わらず部屋の隅に立ったままだし、アンソニーはベッドから起き上がった姿勢で、相手の目をじっと見すえている。


テリュース・グレアム──確かにいい男だ。
栗色の髪にgreenish blueの瞳。憂いを秘めた、端正な顔立ち。
どこから見ても、ブロードウェーの第一線で活躍する俳優にふさわしかった。
おまけに自信にあふれている。

自分が「死んでいる」間に、キャンディと何があったのだろう。
さっきからそれが気になって、どうしようもない。
本気で争ったら、果たしてこの男に勝てるのだろうか。
アンソニーは考え込んでしまった。
だがこの勝負、どうしても負けるわけにはいかない!


「驚いたよ。あんなに奇麗な恋人がいたとはね。なかなかどうして、隅に置けない」

先に口をきいたのはテリィだ。

「レイチェルは恋人なんかじゃない。闘病中に世話してくれただけさ」
「あんたはそう思いたいだろうが、あっちは違うようだぜ。それに彼女は、これからもあんたの世話をするつもりらしい」

テリィは意味ありげに笑い、にじり寄ってくる。

「で、話ってなんだい」
「キャンディがはっきりしないから、君に確かめておきたいんだ。彼女はプロポーズを受けたのか?」
「わかりきったことを聞かないで欲しいね。勿論受けたさ。さっきも言っただろ」
「確かなんだろうな。君の早合点とかじゃなくて、本当にキャンディは・・・」

アンソニーがまだ話し終えないうちに、テリィはイライラしてさえぎった。

「しつこいな!あいつは、俺が贈った指輪を受け取ったんだ。それが何よりの意志表示じゃないか」

指輪?エンゲージリングか?
もう既に、そこまで・・・
アンソニーは愕然とした。全身の力が抜けていく。

「今度こそ、俺の勝ちだな」

なんの障害もなくなり、大手を振ってキャンディを迎えられるテリィは、誇らしげに言った。

「今度こそ?」
「そうさ。聖ポール学院で、初めてキャンディに会ったとき、彼女の心には、まだ『愛しい初恋の人』がいた。いつまでたっても、あんたの幻を追い続けてるんで、正直参った。死んじまった奴なんか早く忘れろって、いつも思ってたさ。負け犬気分だったよ。だからあんたの顔を見ると、今でもイライラするんだ」
「でも結局、彼女は君を好きになったんだろう?」
「当然!なぜそうなったか、教えてやろうか」

煽(あお)るように、テリィは挑戦的な目をして、ニヤリと笑った。

「聞きたくないね」
「遠慮しなくていいんだぜ。本当は気になって仕方ないんだろ?俺とキャンディが、どこまでの関係なのか」

尚も挑発を続けるので、アンソニーの忍耐はいよいよ限界に達した。
おさえこんでいた怒りが爆発する。
その瞬間、感情が理性を凌駕(りょうが)した。
手を伸ばしてテリィの胸ぐらをつかみ、激しい怒声を浴びせる。

「聞きたくないと言ったはずだ。いい加減にしないと張り倒すぞ!」

だが、迫力なら、テリィも負けてはいない。

「おやおや、これは本気らしいな、坊ちゃん。それで?・・・あいつにはもう、告白したのかい?黙ってたんじゃ、何も伝わらないぜ。でもそんな勇気なさそうだが。第一あんたには、『彼女』だっている。レイチェルとかいったな。あの子がつきまとってる限り、プロポーズなんて一生かかっても無理さ」

アンソニーの眉がピクッと動く。

「あれ?今の発言がお気に召さない?なんなら殴ったっていいんだぜ。だけど、これだけは教えといてやる。キャンディのファーストキスを奪ったのは、この俺だ。どうだい、感想は。紳士面してるあんたには、恐らく出来なかった芸当だと思うが」
「なんだと!」

アンソニーは無意識のうちにベッドから立ちあがり、気がつくと、テリィの顔面を思い切り殴りつけていた。
目の前にいる男が、キャンディと唇を重ねていたことを想像するだけで、許せなかったのだ。
自分はまだ一度も触れたことがない唇。それをこいつはもう、奪ってしまっていた──!
そのもどかしさを、右拳に込めてぶつける。
ものすごい衝撃だったので、テリィはもんどり打って床に倒れ込み、しばらくは立ち上がれないくらいだった。

「わかったような口をきくなよ。僕が今、どんな気持ちで過ごしてるか、君には想像もできないだろう。もし誰にも遠慮がいらないんだったら、僕はとっくにキャンディを・・・」

アンソニーは荒い息づかいで言い放つ。
足元にはテリィ。
彼は苦しそうな顔で、体勢を立て直そうとしている。

「なかなかやるじゃないか。さっきまで寝込んでた病人とは思えないぜ。だけどあいにく、俺はその場で借りを返さないと気がすまないタイプなんでね。病み上がりのところ申し訳ないが、悪く思うな」

そう言うなり、今度はテリィの右ストレートが、アンソニーの顔面をクリーンヒットした。
ものすごい威力だ。
アンソニーはよろけて壁にぶつかった。

「これでお互い様だな」
「そういうことになるかな」
「だけど気に食わないことがある。そこまでキャンディを想いながら、どうして別れたりしたんだ。どんな事情があったか知らないが、本当に愛してるなら、なぜ一緒にいてやらなかった?」

テリィは返答に窮(きゅう)した。敵は痛いところをついてくる。
よっぽどスザナの一件を話そうかと思ったが、切り出せない。
優柔不断だった自分を非難されるような気がしたからか。

「そんなことを、いちいち説明する義務はないね。ある事件が起きたためさ。そのせいで、キャンディと離れなきゃならなくなったんだ。だけどめでたく解決した。今の俺なら、間違いなく、あいつを幸せにしてやれる。誰かさんとは違うってことさ。第一あんたには、レイチェルがいるんだろ。彼女をどうする気だ。不幸にして泣かせるのか。このままじゃ、キャンディもレイチェルも、両方とも不幸にしちまうぜ」

一気にまくし立てたあと、テリィの脳裏には、昔の自分が蘇ってきた。
捨て身でかばってくれたせいで深手を負ったスザナへの恩義と、キャンディに対する愛情の板挟みになったあの頃。
今のアンソニーは、当時の自分と似たような立場に立たされている。
奇跡でも起きない限り、取り得る道は一つしかないだろう。

──キャンディをあきらめ、レイチェルの手を取ること。たとえそれが神に背き、悪魔に魂を売り渡す行為であったとしても──

テリィには痛いほどわかっていたから、これ以上挑発しようとする気は消えていった。

「婚約発表をすることになってるから、俺はキャンディをニューヨークへ連れていく。だけど安心しろ、今のところ、あいつとはキスまでだ」

こんなにも堂々と愛を宣言し、自由に行動できるテリィが、心底羨ましい。
レイチェルのことさえなければ、正々堂々と名乗りをあげ、争うことが出来るのに。
今はその資格がない。
どうにもならない不条理が、アンソニーをさいなむ。

「キャンディ自身が、君と一緒に生きていくことを選んだなら、もう僕の出る幕はない。おとなしく身を引くよ。だけど、これだけは約束してくれ。必ず彼女を幸せにするって。もし不幸にするようなことがあったら、たとえどこにいようと、必ず君を捜し出して、そして・・・殺す!」

サファイアの瞳は、炎となって燃え上がった。
あまりに激しくて、まともに目を合わせるのがためらわれるほど。
だからテリィは、「わかった。しかと心得とくよ。出発はあさってだ」とだけ言い、それ以上目も合わせず、静かに部屋を出ていった。



応接間に戻ると、テリィを待っていたのはキャンディだ。
心配そうな顔で、こちらをじっと見ている。

「ねえ、話ってなんだったの?」
「大したことじゃない。君が俺のプロポーズを本当に受けたのかどうか、確認したかったらしい。『当たり前だ。キャンディは指輪を受け取ってくれた』と答えたら、あいつはすっかり静かになって、それきり口をきかなかったよ。よほどショックだったんだろうな」

キャンディは胸がつぶれる思いだった。
アンソニーに対して、申し訳ない気持ちで一杯なのだ。
その反面、テリィの指輪を受け取ったことで、少なからずショックを受けている様子に、妙な喜びを感じたのも事実だ。

(やはりアンソニーは、私のことを・・・!?)

一方テリィは、アンソニーが最後に言った激しい決意──もしキャンディを不幸にすることがあったら、たとえどこにいようと、必ず君を捜し出して殺す!──を口にするのがためらわれた。
彼の本心を知ったらキャンディは動揺し、ニューヨーク行きを渋る気がしたからだ。

「この際だから、はっきり言っておく」

彼女が迷う前に釘を刺しておこう・・・そう思いたち、テリィは切り出す。

「君は驚いてるだけなんだ。死んだと思ってたアンソニーが、実は生きていたんだから。しかも、かいがいしく世話をする恋人までいた。こいつは気になるはずだ。あの二人はどういう関係なんだろう。アンソニーは、今でも私を想ってくれてるんだろうか。いろいろ考えたはずだ。でもそれは恋じゃない。ちょっとばかり、好奇心を刺激されただけのことさ。考えてもみろよ。奴が死んだと知らされてから、一体何年経つと思うんだ?その間に、君は驚くほど大人になった。だけど同じように、アンソニーの時も流れてたんだ。君が知らない過去を、あの男は山ほど抱えてるはずだ。知ったら、きっと傷つく。今更、君とあいつの人生が交わることなんか、ありゃしない。出会うのが遅すぎたんだよ。俺と一緒にニューヨークへ行って結婚して・・・そうすれば、みんな忘れちまうだろう。いや、俺が忘れさせてやる!だからもう、アンソニーのことで迷うのはやめてくれ。俺はこの手で君を幸せにしたいんだ。今度こそ・・・」

テリィは真剣だった。
そういえば、五月祭のあのときにも、同じようなことを言われたっけ。
アンソニーを忘れられず、いつまでも面影を引きずっていた自分に、テリィはきっぱり言ったのだ。

──俺が忘れさせてやる!アンソニーって奴を忘れさせてやる──

そして今、同じことを、彼は繰り返し言った。

キャンディは思う。
アンソニーが生きていたから、嬉しかっただけなんだろうか。
時が経てば、本当に忘れてしまうのか。
懐かしい思い出になって、おとなしく胸の奥に収まってくれるのだろうか。

「ここを発つのはあさってだ。ニューヨークに着いて一段落したら、婚約を発表する。一緒に来てくれるだろ?」

はっきり言い渡され、キャンディの心は益々揺れる。
婚約発表をしてしまったら、今度こそ後戻りは出来ないからだ。
白紙に戻すなら、今しかない。

そして・・・?
そしてそのあと、どうすると言うのだ。
アンソニーには、レイチェルがいる。
ここに残ったところで、彼を苦しめ、悩ませるだけの恋。
自分さえ消えれば、アンソニーはすべてをあきらめ、レイチェルと元の鞘(さや)に収まるかもしれない。
そうすることが、みんなにとって──アンソニーにもレイチェルにも、テリィにも自分にも── 一番幸せなのだろうか。

「一緒に来てくれるだろ?」

テリィはもう一度繰り返す。

心の中で葛藤を繰り返しながら、キャンディは苦しそうにうなずいた。

(今、私が決心するしかないんだわ!みんなが幸せになるために。いつの日か、懐かしい思い出に変えるために。明日職場に辞表を出して、仲間にお別れしてこよう)

突然の退職に、病院のみんなは驚き、ショックを受けるだろう。
苦労して積み上げたキャリアを捨てなければならないのも、正直、残念だ。
それに何より、せっかく築いた仲間との友情、患者やその家族から寄せられる期待や信頼に、もうこたえることが出来ないのが、辛く寂しく思えた。