見送りが終わったあと、屋敷に戻ってきたキャンディを待っていたのはアルバート。

「さっきテリィが来ていたね」
「見てたの?」
「ああ。丁度外出先から戻ったところだったから、正門で話してる君たちが見えたんだ。でも、今頃になって何を言ってきたんだい?良かったら話してくれないか」
「スザナが別の人と結婚することになったの、知ってる?」
「いや。君がテリィを乗り越えてから、芸能関係には、とんと疎くなっちゃったからね」

ぽりぽり頭をかくアルバートを見て、キャンディはくすっと笑った。

「スザナと別れて、彼は一人になったのよ。それで、私を迎えに来てくれたの」
「つまり、プロポーズされたってこと?」
「だと思うわ」

左の薬指にはめられたエメラルドの指輪をかざして見せる。

「そういうことか・・・」

アルバートが小さなため息をついたような気がした。
キャンディは少しだけ困り顔になる。

「それで、君はなんて答えたの?」
「『ええ』って曖昧にうなずいただけ。でもテリィは私が承知したと思ってるわ」
「それでいいんだね?」

即答できなかった。
テリィのことは大好きだ。この人と結婚できたらいいと、今まで何度思ったことか!
その夢が、やっとかなおうとしているのに、素直に喜べない自分が不思議でならない。

「その顔を見れば、何を考えてるかよくわかるよ」
「え?」
「僕が代わりに答えてあげよう。君が迷ってるのは・・・アンソニーのせいさ」

図星を指され、キャンディはあっという顔をした。

「またまた顔に出た。君はホントにわかりやすくて助かるよ、おちびちゃん」

アルバートがおどけて顔を近づけ、小さなおでこを、ちょこんとつついた。

「おちびちゃんだなんて!いくらなんでも失礼よ。もう18になったのに」
「それでも、僕にとってはおちびちゃんだよ、いつまでたってもね」

青い瞳がウィンクして微笑む。

「アンソニーが気になるなら、素直になればいいじゃないか。遠慮して遠巻きに見てるなんて、キャンディらしくないぞ。好きなら、はっきり伝えるべきだ」
「でも彼にはレイチェルがいるのよ。状況は複雑になってるわ。簡単に『好き』なんて言えない。だけどテリィはやっとフリーになって、私のところへ戻ってきてくれたのよ」
「そうだね。アンソニーを選ぶなら、障害になるライバルがいるけど、テリィには今、それがいない。誰も傷つけず、そして自分も傷つかないような恋を望むなら、もう答えは出てるさ。だけどね、一番大切なのは正直な気持ちだ。どんなことがあっても、この人と一緒にいたい。この人だけを愛していきたい──そう強く望むかどうか、なんだよ。恋敵がいようがいまいが、そんなことは問題じゃない」
「でもアンソニーを愛する資格なんか、私にはないかもしれないわ。だってきつね狩りのあと、私はアンソニーを忘れてテリィと・・・」

すがるような緑の瞳がアルバートを見上げた。

「バカだな。人を愛するのに資格なんかいらないんだよ。たとえ昔なにがあろうと、それを後悔すべきじゃない。過去は過去さ。君の前には、果てしない未来が広がってるんだ。大切にしなきゃいけないのは、これから先のこと。過ぎ去った時間じゃない。君がアンソニーを望むなら、その気持ちこそが一番なんだ」

アルバートが味方になってくれることを、キャンディは心の底から感謝した。
この人の抱擁力がなければ、きっと難局を乗り超えられないだろう。
それにしても苦しい。
どうして、こんなことになってしまったんだろうか。
アンソニーが生きていたのを知っただけでも息が止まりそうだったのに、今度はテリィまでが戻ってきた。
しかも結婚しようと言っている。
心は千々に乱れ、どうしていいか途方にくれた。

「これからすごく悩むことになるわね。自業自得だわ」

ため息をつくキャンディに優しい声が響く。

「大丈夫!そのために僕がいるのさ。いつだって君を助けるって言ったろう?」

もう少しで涙がこぼれそうなのを必死で食い止め、エメラルドの瞳はわずかに笑った。





この前の週末、キャンディと二人でいるところをレイチェルに見られてから、アンソニーは悶々とした日々を送っていた。
レイチェルに対する罪悪感から、どうしてもキャンディに会う勇気がないのだ。
同じ屋敷の中に住んでいて、会おうと思えばいつでも会えるのに、もどかしい気持ちだった。
会ってはいけないと思うと、余計に会いたい気持ちが募ってくる。
こんなやるせない思いをしたことは、今までになかった。
レイチェルに対して十分恩義を感じていても、この気持ちだけはどうにもできない。
思うようにいかず、アンソニーはイラついていた。

思えばこの焦りは、「あの日」から始まっていたのだ。
バラの門でキャンディと再会したあの日から。

そんな彼の気持ちを察してか、レイチェルも変に気をつかうようになった。
会話もぎこちなくなってくる。

「アンソニー、あなた最近おかしいわ。いつもイライラしてるみたい」
「そんなことないよ。気のせいじゃないか?」

なるべく心の乱れを見せまいとしても、しっかり見抜かれている。
それを知って更に焦る。

「あなたが落ち着かなくなったのは、あの日からよ」

今までどんなことがあっても、会話の中に「キャンディ」という名前だけは出さないつもりだった。
もし口にしたら、二人の時間をキャンディに邪魔されるような気がしたからだ。
そして何より、アンソニーの本心を知ってしまうのが恐かった。
だがもう、そんなことを言っていられないほど、心は乱れている。
レイチェルは後先考えずに切り出した。

「バラの門でキャンディに会ってから、あなたは変わってしまったわ」
「変わってなんかない!あれからキャンディには会ってないし、これからも会わないつもりだ。それでも信じられない?」

嘘ではなかった。
キャンディには会っていないし、今後も会わないだろう──レイチェルを悲しませないために。
それが自分の義務であり、彼女に対する恩返しだから。
事故の後遺症から救ってくれたのは、他でもないレイチェルなのだから!
だが決意の言葉とは裏腹に、アンソニーは激しく動揺していた。

「ホントに?私から離れないでいてくれる?」
「当たり前さ。前にも約束したよね、ずっと一緒にいるって」

レイチェルは目を潤ませてすがりついたが、それでも心の奥底には、不安が渦巻いている。

──この人を信じなきゃ!私にはそれしかないんだわ──

細い肩を抱きながら、アンソニーは彼女に気づかれないように、ギュッと唇をかみしめた。


最近では、こんな光景がよく繰り返されるようになってきた。
忍耐強く紳士的なアンソニーだが、堪忍袋の緒が切れることもある。
その日も小さないさかいが、思わぬ方向へ発展してしまった。

「以前のように、私の話を聞いてくれなくなったわね。キャンディのことで、気もそぞろになってるんだわ。全部あの子のせいよ!」

興奮して泣き出したレイチェル。さすがのアンソニーも限界だ。
彼にしては珍しく、声を荒らげる。

「いい加減にしろ!キャンディが現れて変わったのは、君のほうさ。ひがみっぽくなった。僕は彼女のことなんか気にしてないって、何度も言ってるだろ」
「ウソよ!」
「そんなに僕を信じられないなら、ここを出てく。それで君も安心できるだろう」

レイチェルはギクッとしたが、もう遅い。
自分でまいたタネは、自分で刈り取るしかないのだ。

「いいえ、私が出てくわ。あなたはここにいて、キャンディと会ってればいいのよ。邪魔者はいないし、ちょうどいいでしょ?」

レイチェルは目にいっぱい涙をためて飛び出していった。

「勝手にしろ!」

アンソニーも興奮していたので、このときばかりは、追いかけて連れ戻そうという気分にはなれなかった。
それに、どうせすぐ戻ってくるだろう。帰ってくるところは、ここしかないのだから。
正直言って、わずかの間だけでも、レイチェルと顔を合わせないですむことに、感謝さえした。
彼女のことは決して嫌いではない。
瀕死の自分を看護してくれたことには、心から感謝している。
だが一緒にいると、妙に疲れる。
それに比べて「あの子」なら、どんなときでも、心を和ませてくれるだろうに。

あの子──キャンディ。

彼女と二人で庭の小道を散策したときの、弾むような会話が蘇ってくる。
また会いたい!会って話して、そして、そして・・・

まだ触れたことのない白い頬を思い浮かべ、アンソニーの体は熱くなった。
このままずっと夢の中で、キャンディを抱きしめていたい。
たとえそれが、見てはいけない夢であっても。