明日、サガン鳥栖のJ1昇格が決まると私の夢は全て実現する。

そんな時に、長年の夢の実現の喜びさえも消えてしまいそうなほど、悲しい現実がおきる。

シーズン終了と共にやってくる契約更改。チームを10年も支えてくれた、スタッフの解雇。

明日の私の涙は複雑すぎるに違いない。

でもやっぱり、別れの涙が強そうだ。






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日本国民一人一人が


日本代表であると思う。


一人一人が日本の未来を


背負っている。


(永里優季)




心に響きました。

サガン鳥栖のJ1昇格がほぼ確定!長年の夢が実現しました。

今までサガンに関わってくださった全ての人に心から感謝しています。



18年前、浜松のPJMフューチャズは佐賀県鳥栖市に誘致されました。


鳥栖市にプロサッカーチームを作ろう!という願いを込めて。


2002年のワールドカップに選手を送り出すことを目的として設立されたチームは、


マラドーナの弟の獲得にも成功。リーグでも快進撃を続けていました。


鳥栖市には25000人収容の日本初のサッカー専用スタジアムも出来ました。


しかし、Jリーグ昇格の道は厳しいものでした。


ついに、メインスポンサー撤退。1996年12月24日の株主総会で解散が決定。


チーム存続のためなら何でもする。私たちは覚悟を決めていました。


サポーターリーダー連絡協議会に登録していた私たちは、協議会代表にサポーター脱退を


申し出ました。何をするかわからない。協議会に迷惑はかけられないという理由で。


協議会代表の市議の方は、責任は自分がとるからと、脱退を認めていただけませんでした。


その方に迷惑をかけることが出来ないとの思いで、私たちは過激な行動を踏みとどまりました。


その言葉がなかったら、本当に何をしていたかわからない。


1ヵ月後のJリーグ理事会に5万人の署名を提出すれば、チームは助かるかもしれない。


その情報を信じ、ひたすら署名を集めました。全国の他チームのサポも協力してくれ、


署名を集めることが出来ました。


1997年2月1日サガン鳥栖誕生。


フューチャーズの頃の備品は全て差し押さえにあい、ボール一つない、選手も8人しかいない


プロサッカーチーム。近くの高校からボールを借り、練習着は全国のJリーグチームからの寄付。


選手不足の時は、マネージャーまでも選手登録。全てがありえないことから始まった。


毎年存続することを祈りながら応援、勝つことよりも、チームが在ることに喜びを感じていた。


こんな日が来るとは、本当に夢のよう。


希望は私たちを捨てない。私たちが希望を捨てる。メンタルで学んだ言葉が身にしみる。


諦めない限り、夢は実現します!