世の中、人が気になる事は自分が気になる事と同じとは限らない。
むしろ、人の数だけ異なっているものだ。
(ああ、なんて哲学的な文章の始まりだろう・・・と、自分に酔いしれる)
電波が好きな人もいれば、
電波が嫌いで、嫌いでどうしようもない人もいる。
電波過敏症と呼ばれる人には2種類いると言われる。
・本当に電波に影響がある人
・電波という目に見えないものが気になる人
科学的には、電波とは、
300GHz以下の周波数の電磁波を指す。
周波数[Hz]でいうところの10の11乗(チョウのあたり)から左が一般的に電波と言われる。
もっと周波数が高くなると、いわゆる可視光線、人の目に見えるもの。
その先には、X線やガンマ線等の記述が分かるだろう。
恐ろしい人は、これらすべて含めて”怖い”のである。
確かに、電波は可視光線しか目に見えない。
だから、知らず知らずのうちに、なにか危うい事をされていても、
自覚(認識)できないという、一種の恐怖心は分かる。
私も、飛行機を乗ってるとき、
ふと、「この飛行機が落ちたら・・・」と考え始めると、
なんでこんなものに乗ってしまったのだろうか?と、思うほどに恐怖を感じてしまったことがある。
人間の思いつめる事は、恐ろしいというか、
人間の想像力は、科学を遙かに超えていく。
悪魔の存在証明と言うのをご存じだろうか。
いろいろと難しい話術?法則?でもあるようだが、
簡単に言えば、
”存在が無いモノを、無いと証明をするのは難しい”
という事がある。
同じようなリクツに、”ドーナツの穴の存在証明”と言うのもある。
ヨーロッパの哲学者が
「私は、ドーナツを食べた。しかし、ドーナツの穴は食べていない。
だから、ドーナツには、”穴”が存在しないのだ」
と、言ったそうである。
似たような話で、
「電波が体に悪い」
と、信じてやまない人がいる。
もちろん、電波にもいろいろな種類(波長)があり、
その強さ(電界強度)も様々にある。
しかし、人体に作用する周波数は限られていて、
ある程度の影響度は研究し尽くされており、それが電波の運用ルール(法律)になっているのである。
携帯電話が世の中に広まり始めた時、
電波に対して不安に思う人たちがたくさんいた。
急激に、爆発的に広まった携帯電話の文化であるから、
人間はより慎重にその文化を吟味して、受け入れて行かなければならない。
アスベストのように、実際に有害な物質も、文化の中に紛れ込んできたのも事実である。
一昔前、、、といっても、まだ10年ほど前は、
全国のあちこちで、携帯電話の基地局建設反対の嵐が吹きまくっていた。
ところが、
人間、慣れなのか、、、、それとも”安全”という学習効果結果が得られたのか、
最近は、一部の人を除いて、携帯電話に対する危機感・嫌悪感を持つ人がいなくなった。
(一時期、なんとかウエーブという新興宗教も話題になったのも、今となっては、懐かしい)
昔のヨーロッパで、魔女狩りが、大の大人や教会が本気で行ったように、
電波狩りというのも、情報が足りない状況の人たちには成立しうるのだろう。
ただ、
WHOからは、”電波が人体に影響がある”というニュースが飛び交った。
http://www.soumu.go.jp/soutsu/tokai/denpa/jintai/
http://www.who.int/peh-emf/publications/facts/rf_183.pdf
詳しく言うと、電波による”熱作用”があるが、健康に悪影響はあると言えないと言っている。
ただ、ここで、厳密に”無い”と言ってしまうと、もし存在が確認できたならば、
”嘘を言ってしまった”事になるので、明言は避けるのが公の組織の仕事である。
話がそれて行っているので、余談ついでに、
ここからは、誤解されることを承知で書くと、、、
電波は体に悪いか?といわると、私にも分からない。
電波と言っても、非常に広い帯域(波の種類)を持つためだ。
実際に、電子レンジは2.4GHz帯域の電波を使う。
電子レンジで、モノを温めれば、わずかな時間でホッカホカになる。
携帯電話の周波数は2.1GHz等を使っていて、
似たような数値である。
であるが、
・水の電波を吸収する周波数が違う(スペクトラム)
・電波の力(電界強度)の大きさが異なる
ことから、携帯電話と電子レンジでは影響度が異なるのである。
携帯電話が世界各地で普及し始めて、
まだ20年程しか経っていない。
世の中に何億人も存在するから、過敏な人がいたら、影響が出てもおかしくないが、
現時点では、電波のせいで亡くなった人はいないのである。
(少なくとも、日本人は、お互いに目を光らせているから分かるだろう)
それよりも、精神的に気になってしまう人の方がお気の毒である。
また、
携帯電話と言う文化に毒されて、人生を謳歌できない人たちがかわいそうである。
電車に乗ったり、街を歩くと、スマートフォンを覗き込む人々ばかりである。
目の前に起きる事よりも、スマートフォンの中で起きている事の方が大切のようである。
それこそ、悪魔のような存在 なのではないか。