1939年、大阪・天王寺さんの西門商店街のお茶屋に生まれ、終戦後父親の生まれ故郷に疎開、近所の腕白坊主に「いじめっ子」に合い、食べもの衣類も無い時代、両親と姉のお陰で不思議に幸せな戦後でした。

地元の菰野高校へ1,5時間の自転車通学もしんどかったが楽しかった、今は亡き姉が中学校の先生になり母親代わりで助けられ卒業と同時に父親の方針で大阪・船場の繊維問屋に丁稚奉公に上り、仕事で広い道幅の美しい御堂筋の銀杏並木を自転車で走り回った記憶が強かった。

その後、25歳の頃家業のお茶屋を続け三重県茶業青年団活動に熱を燃やし、団員40名の協力を得て、毎年大晦日の夜から徹夜で神宮の参拝者に呈茶サービス、「お茶の淹れ方教室」で高校を8校、地元銀行など。10年余り回り歩いた、一方、静岡・京都・近隣生産県の業者と交流、その他、当時の功績により毎年恒例の総理大臣の神具参拝で、現在の財務大臣の父親の鈴木善幸総理に直接お茶を振舞ったのは40才でした。

その間、お茶のティーバッグ化を日本で最初に手掛け、測り売りを茶袋化、窒素ガスによる自動計量器による袋詰を日本で最も早くに行った。

一方、茶農家の荒茶生産で農家収入の安定化に寄与、秋番茶kg/250円の番茶を業務用モガ茶に京都の抹茶業者

の協力を得て開発、kg/500円超えに三重県北勢地区産地の茶農家に広く大きく貢献し50年間、「秋のモガ茶」は現在も生産が続いています。