「ステーシーズ 少女再殺歌劇」は2012年6月6日から12日に全労済ホール/スペース・ゼロにて上演された作品。

そしてわたくしの手元にある原作『ステーシーズ 少女再殺全談』は大槻ケンヂさんの著書で、角川文庫から出ている物です。

 

今回はこちらの原作と、それを元に上演された舞台作品について語りたいと思います。

 

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「ステーシーズ」という作品は、ある日突然「ステーシー化現象」が起こった世界でのお話です。

「ステーシー化現象」とは14才から16,17才までの少女が、唐突に亡くなりその数時間後ゾンビとして再生し人々を襲い始める現象のこと。ゾンビ=ステーシーを再び亡き者にする行為を「再殺」といい、再殺するためには肉体を165分割以上の細切れにしなければならないのです。

 

男達は愛する娘・妹、そして恋人を再殺しなくてはならない。それが出来ない人たちの元には、再殺を請け負う組織「ロメロ再殺部隊」がやってきて少女達に二度目の死を与えます。

世界は血と暴力と死に塗れ、狂気と諦めに満ちていく。

そんな世界において死を目前にした少女達は心の底から楽しそうに笑う。

死んで甦ったステーシー。

ニアデスハピネスの少女達。

愛する者を殺さなくてはならない男達。

生き地獄のような世界で繰り広げられる悲しみと許しの物語。

 

そういうお話です。

 

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色々な舞台に原作があると思うのですが、

この作品は特に原作を読んだ方が楽しめる作品だと思います。

原作と舞台の違いが、「ステーシーズ」の世界観を補完し合っているからです。

 

原作はとにかく残酷描写が多く、刺激も強く、何よりも登場人物達に「許し」が与えられない。

残酷な地獄の中でのたうち回り、嘆き悲しみ、狂っていく。

もちろん大きな流れでの「救い」はあるのですが、登場人物個々人に対してはどこまでもドライで厳しい。だからこそ、ハーブティの香りがする再生屍体蝶羽状輝微粉に覆われたステーシーの悲しい美しさが際立つのです。ニアデスハピネスの笑いに愛しさと切なさを感じるのです。

わたしが原作に感じるのは、神の目線。

血と狂気と愛に彩られた風景画のように感じるのです。

 

そして舞台作品の方は、出演されているのがアイドルさんたちということもあって、少女達の美しさと可愛らしさと「生」の煌めきに満ちています。

それぞれにデザインの異なる白いドレスは、死にゆく少女たちの死装束のようでもあり、また赤いライトに照らされたときには血まみれのステーシーにも見える。そして彼女たちが踊り、歌う姿はエネルギッシュで、見る者を圧倒します。

生きている人間だからこそ表現できる、生きていくことの苦しみ。ニアデスハピネスの高笑いが可愛らしい声であるほど空虚に響く。それが悲しかったです。

原作に感じたのが神の目線だとすれば、

舞台に感じたのは人間の目線です。

狂った世界を背景にしたポートレート。

登場人物たちに焦点を合わせた物語だと感じました。

 

この違いがあるからこそ、この作品はどちらも見るべきだと思うのです。

 

小説を読んでいるときは、舞台上で暴れ回る女の子たちが二重写しのようになるし、

舞台を観ているときは小説で読んだ残酷シーンが頭をよぎる。

物語が豊かに膨れ上がる感覚がするから、わたしはこの作品が大好きなのです。

 

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そんでもって有田約使なんですけど。

 

このキャラクターを知るためだけにも、原作を読んだ方が良いと思います!!!

 

何が凄いって・・・原作の有田約使には救いがないんですよ。

舞台だと、最後にモモからの許しを得て絶命するという最高にハッピーな終わり方をするんですけど、

小説だと有田約使は最後まで感情が戻らないんです。

号泣する男達の中でただ1人、感情を再生することが出来ないで居る。そして彼はおそらくそのまま、モモと共に人生を生きていく。こんなに残酷なことってありますか?最高です。

 

舞台の有田約使も、めちゃくちゃ好きです。

感情とテンションの乱高下を見ていると、フリーフォールに乗っているような気分になります。

激しい歓び、唐突な無関心、拒絶、過去の穏やかな兄としての顔、茫然自失、哀願、そして歓喜。

くるくる回る幻灯機を見ているよう。

 

一言に「狂気」と言ってしまうのが勿体ない。

だが受け取る印象はやはり、「狂ってる」以外にない。

テレビ画面からも伝わってくる狂気の迫力。

凄い。

本当に凄いなぁと思うのです。

 

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ステーシーズでは繰り返し、中原中也の詩が引用されます。

 

『愛するものが死んだ時には、
自殺しなきゃあなりません。

愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。』

                   中原中也「春日狂想」

 

ステーシーズはこの詩の通りの話です。

つらい。

ステーシーズを読んだり見たりすると、あまりに残酷で笑ってしまいそうになります。

しかし現実世界だって、救いの無さでは大差ないのかもしれません。

自分の大切な人を亡くしたり、

自分の大切な人が傷つけられたり、

取り返しのつかない失敗をしてしまったり。

 

そういうときにステーシーズを見ると、なんかちょっと救われた気持ちになるんですよね。

 

そんでもって、さっきの詩には続きがあります。

確かにその通りだなぁと思うので、良かったら読んでみて下さい。