7月2日、亡くなった後輩へのお悔やみの帰り道、
名取市から亘理町荒浜を経由し、
山元町への帰路途中。

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写りが悪いですが、中央に見えるのは車です。
元の形状もわからなくなっていました。

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コンビニエンスストア、セブンイレブンです。
海岸から7~800mほどの距離です。
壁もガラスも棚もなくなり、かろうじて屋根と柱だけが残されていました。
撮影後に気づきましたが、建物手前に卒塔婆が建てられていました。
写真の削除も考えました。
大変失礼なことですが現実をお伝えするために残すことにしました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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何かのお店だったところです。
こちらも柱と屋根だけが残されていました。
海岸にほど近い場所ですが、住宅が立ち並ぶ場所でした。

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周辺の家屋は、写真のように窓ガラスは割れ、中には瓦礫が押し流されていました。
流された家も多く、写真のように家が残っている方が少ない状況でした。

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奥に少しだけ見えるのが決壊した防波堤の残った一部です。
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鉄筋の工場や家でさえこのような被害にあいました。

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山元町立山下第二小学校(左)
小学校周辺(右)
海岸から300mほどの距離。
素早い判断で生徒が救われたと記事にありました。
毎日新聞 『<東日本大震災>素早い判断、児童救う 宮城の2小学校』 2011年4月25日

この記事を読んで、鳥肌がたち、鼓動が早くなり、
目にあついものを感じました。
子供たちや迎えに来た家族、先生方、学校に残った校長先生の
当時の心境はどれほどのものだったのだろう。
ぜひ読んでください。