6月30日から7月5日まで4年ぶりに実家に帰りました。
宮城県南部の亘理郡山元町。
「亘理いちご」という苺を見たことある方もいるかもしれませんね。
イチゴ農家や稲作をしている方が多く、
今回の震災で大変な被害を受けました。
震災から4か月たった今を少しでもお伝えできればと思います。
前回のブログで少しだけ写真を載せましたが、
今回も撮ってきた写真を掲載したいと思います。
6月30日、苫小牧からフェリーに乗り、青森港に到着。
本来なら八戸港のはずが、震災の影響のため、
青森港に臨時の乗船場ができていました。
昼過ぎに青森港に着き、そこから高速道路で宮城まで、ノンストップ。
途中、どしゃ降りの雨
で前が見えない。。。
ちょっと怖い思いをしました
実家に着いたのは19時ごろ。
途中、車の窓から見える景色。
運転席側から見える景色は、小さいころトンボやザリガニを取って遊んだ見慣れた田園風景。
助手席側から見える景色は、いたるところに、がれきが流され、
田んぼの中には横たわった自動販売機や泥だらけの凹んだ車など。
津波は高速道路のおかげで遮断されたそうです。
7月1日、まずは津波で流された母の実家を見に行きました。
想像していた以上の被害。
実家から2kmほどと近いこともあり、
小さいころ、自転車で毎週のように遊びに、泊まりに行った母の実家。
中にはがれきの山。
これでもだいぶ片付いたそうです。
自分の家のものだけでなく、周辺のものまで流され、家の中に留まったと話していました。
屋根の上にタンクや車が流されてきたそうです。写真のオレンジ色と水色のタンクは、屋根に乗っていたものです。
写真を撮った辺りは、庭の木々が生い茂る場所でした。
今は木もなく、更地と化していました。
屋根には草などが引っ掛かっていました。
当時は、この屋根に車が引っ掛かっていたそうです。
家を背にした写真です。
ここには木が生い茂り、畑もありました。
中の様子です。台所です。
今の自宅がこうなったとしたら。。。
現実とのギャップに想像もできませんでした。
夏休みなど、いとこが集まり、釣りや花火などを楽しんだ母の実家。
ここで作られた料理はもう食べることができません。
外壁の損傷も激しく、屋根近くには津波の跡が残っていました。
家の裏側。
家の下にエアコンの室外機が入り込んでいました。
母の実家は、JR常磐線沿いにあります。
踏切から撮った1枚です。
踏切も線路もなくなり、貨物車両が残されていました。
現在は1両だけ残っていましたが、3両ほどあったそうです。
宮城県南部の亘理郡山元町。
「亘理いちご」という苺を見たことある方もいるかもしれませんね。
イチゴ農家や稲作をしている方が多く、
今回の震災で大変な被害を受けました。
震災から4か月たった今を少しでもお伝えできればと思います。
前回のブログで少しだけ写真を載せましたが、
今回も撮ってきた写真を掲載したいと思います。
6月30日、苫小牧からフェリーに乗り、青森港に到着。
本来なら八戸港のはずが、震災の影響のため、
青森港に臨時の乗船場ができていました。
昼過ぎに青森港に着き、そこから高速道路で宮城まで、ノンストップ。
途中、どしゃ降りの雨
ちょっと怖い思いをしました
実家に着いたのは19時ごろ。
途中、車の窓から見える景色。
運転席側から見える景色は、小さいころトンボやザリガニを取って遊んだ見慣れた田園風景。
助手席側から見える景色は、いたるところに、がれきが流され、
田んぼの中には横たわった自動販売機や泥だらけの凹んだ車など。
津波は高速道路のおかげで遮断されたそうです。
7月1日、まずは津波で流された母の実家を見に行きました。
想像していた以上の被害。
実家から2kmほどと近いこともあり、
小さいころ、自転車で毎週のように遊びに、泊まりに行った母の実家。
中にはがれきの山。
これでもだいぶ片付いたそうです。
自分の家のものだけでなく、周辺のものまで流され、家の中に留まったと話していました。
屋根の上にタンクや車が流されてきたそうです。写真のオレンジ色と水色のタンクは、屋根に乗っていたものです。
写真を撮った辺りは、庭の木々が生い茂る場所でした。
今は木もなく、更地と化していました。
屋根には草などが引っ掛かっていました。
当時は、この屋根に車が引っ掛かっていたそうです。
家を背にした写真です。
ここには木が生い茂り、畑もありました。
中の様子です。台所です。
今の自宅がこうなったとしたら。。。
現実とのギャップに想像もできませんでした。
夏休みなど、いとこが集まり、釣りや花火などを楽しんだ母の実家。
ここで作られた料理はもう食べることができません。
外壁の損傷も激しく、屋根近くには津波の跡が残っていました。
家の裏側。
家の下にエアコンの室外機が入り込んでいました。
母の実家は、JR常磐線沿いにあります。
踏切から撮った1枚です。
踏切も線路もなくなり、貨物車両が残されていました。
現在は1両だけ残っていましたが、3両ほどあったそうです。