●「10の神名よりなるセフィーロート体系」の図
アタナシウス・キルヒャー「エジプトのオエディプース」(1652~54)より
1602年、ヘッセン州(ドイツ)に生まれたキルヒャーはイエズス会士であると共に、あらゆる叡智の源泉はエジプトにあるとの持論を有しており、その論考に多くの時を費やした人物である。
そのために当時の既知であったあらゆる宗教等を俎上に挙げながらも傾向としては正統的なものよりも神秘主義的なものを重視しており、彼の業績は比較宗教学というよりは比較神智学ともいうべきものとなっている。
上記の図も、そのようなキルヒャーの試みの一環としてカッバーラーを吟味し、作り出されたものであり、現代において巷間にもっとも知られている「セフィーロートの樹」の図象の原型と言ってもよい。
しかしながら源義カッバーラー(伝統的と称してもよいが)から見れば、この図は彼独自の解釈が盛り込まれた異質なる図象であることは紛れもなく、その点に留意が必要となる。
この図を間違っているなどと言うつもりはない。
これもまたカッバーラーの多様性の表れその1つと受け止めれば良いのであって、頭ごなしに否定する気は毛頭ない。
しかしながら吟味することなく無批判に受け入れることは間違いであると考える。
「セフィーロートの樹」の図とはカッバーラーにおける世界の創造論を図象として表したものであり、そこには「創造のエネルギーの段階的な展開を示す10のセフィーラー(単数形、複数形がセフィーロート)の有機的かつ流動的な相互関連性」を見てとることができる。
本来、三次元モデルとして把握されるべきであるゆえに円ではなく「球」となるセフィーラーどうしを繋ぐ経路を小径(パス)と称し、10のセフィーラーを繋ぐ小径は22あるとされた。
そしてキルヒャーの図は、この小径の配置が伝統的なものとは一部異なっており、創造の構造モデルとして見るときそれは正確さを欠いたものとなってしまう。
正しき構造モデル図は下のごときものである。
●伝統に基く「創造の構造モデル」図