チョコたん 朝ごはんが
食べれませんでした。
そのほかは、
前日の元旦と
かわりはありませんでした。
少し ふしぎに思ったことがあります。
それは チョコたんの前足が、
冷たかったことです。
いま 考えると、
もう その時点で、
チョコたんの心臓は、
異変を起こしていたのでしょう。
あれっと思っていたのに、
私は チョコたんを、
病院へ連れて行こうとは、
思いませんでした。
連れて行こうと思ったのは、
いつものおさんぽ公園の
おさんぽでした。
2日は 10時からおさんぽしたので、
そのすこし前から、
なんだか 2日のおさんぽが、
チョコたんの最期のおさんぽに
なるような そんなきがして、
あわてて おさんぽの
支度をしたのです。
1月2日のおさんぽ

去年12月26日 ゆうがた
病院での最後の診察
☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️
2日のあさ
あれ?と 思ったときに、
病院の 院長先生の携帯に、
すぐに 電話していれば、
もしかしたら、
チョコたんは、
いまも 生きていたかもしれません。
でも 2日の日、
すぐに 病院へ向かっていたら、
約1時半の楽しいおさんぽを、
することは できませんでした。
おさんぽから 帰宅して、
チョコたんの舌が むらさき色にかわり
ありすパパが、
急いで、
院長先生へ 電話しました。
チョコたんは 呼吸困難をおこし、
ありすパパが 買ってきてくれた、
携帯酸素と、
わたしの人工呼吸で、
舌の色は もとにもどりましたが、
口から 吐血して、
わたしの腕のなかで 亡くなりました。
病院へ向かう直前に、
ありすパパが、
チョコたんを だっこしたら、
かすかな心臓の鼓動が、
感じられたとのことでした。
大好きな ありすパパの車のなかで、
息をひきとった
14歳4か月の チョコたん 。
つめたくなりかけた チョコたんが、
寒くならないように、
暖かい 毛布で くるんで、
病院へ 到着したら、
院長先生が 病院の扉を、
あけてくださり、
診察してくださいました。
院長先生からは、
チョコたんの心臓へ、
この お正月の寒波が、
かなりの負担をかけ、
そのため
弁が作動しなくなり、
血液が肺に逆流して 肺水腫をおこし、
心臓の腱が 切れて、
亡くなったのでしょう と、
説明がありました。
院長先生の やさしいだっこに、
チョコたん よろこんだはずです

今まで 左後ろ足が、
歩けなくなっても、
ありすパパや わたしのマッサージや、
復元ドライヤーで、
歩けるように なってきました。
でも この年末年始は、
1度は 歩けるようになりましたが、
2日の日の朝は、
チョコたん、
歩けませんでした。
病院か、 おさんぽなのか。
医者に まかせるのか。
家族が 背負うのか。
誰が 生命の判断をくだすのか。
高度医療に 生かされるのか、
それとも、
家族の「手あて」なのか。
究極 しんだように 生きるか。
生き生きと しんでゆくのか。
その問題は、
いずれ わたし自身に、
遠からず、
つきつけられる問題であるのかも
しれません。
チョコたんの亡くなった日、
病院より、
おさんぽを選んだわたしを、
チョコたんは、
いまごろ、
どんなふうに、
みているでしょうか。
チョコたんに、
わたしが さしだせたもの、
それは、
心と 笑顔と いっしょにいる時間、
それだけでした。
チョコたん、
愛してるよ 。
✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨












長い文章 お読みくださり、
ほんとうに、
ありがとうございます。