台風19号の被害がひろがり、
被災されたかたがたに 心より
お見舞い申し上げます。
避難するといっても、
そのかたそのかたの おかれた状況や、
考え方があり、
そのことを尊重するのも、
大切なことかと 思います。
平成3年 7月に、
被爆者だった 私の父は 、
この世を 去りました。
亡くなる前日、
台風で 羽田空港から長崎空港行きの
飛行機が 欠航しました。
翌日 ぶじに 飛行機が運航し
父に会うことができ、
おだやかに 会話することができ、
その晩、
父は 原爆の後遺症の肺がんで、
息をひきとったのです。
父が亡くなった わずか 2ヶ月後 、
台風19号の ふき返しの風で、
( 平成3年 台風19号 )
長崎の私の実家は 全壊しました。
父が たんなる趣味で設計した家なので、
もろかったのかもしれません。
不幸中の幸いは 母が無傷だった
ことです。
台風でも出るという保険会社からは、
会社が 破綻するという理由で、
保険金は おりませんでした。
実家の再建に かかったお金は、
なんだかんだで 1500万円近くに
なりました。
ちなみに 実家からいちばん近い
避難場所は 山を下って、
また のぼらないとならないので、
若い時の病気が原因で、
長時間の歩行が困難な母には、
避難は 無理なのです。
( ふだん 母は 車生活です。)
いまよりも、
高齢者が多くなる これからの時代、
私の母のように、
避難したくても、
出来ないかたがたも、
いまよりも 増えるかもしれません。
( 熊本地震のとき 私の自宅へ
避難するよう 母を 説得しましたが、
長崎を 離れたくないとのことでした )
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さて、今日 さきほどの わが家

わが家では 半分 手作りごはん、
半分 ドッグフードです

おやつの ぽんせんも

にひ

今日も よにんで、
ホットケーキ いただきました

もちろん

ありすパパの 手作りです

にひ
