「 哭いている 波の音
叫ぶ 波の音
ながされし
すべてを かえせ 波の音 」
7年前の 3月11日、
私は 仕事でした。
震災発生時刻、
私は お客様を、 避難誘導しました。
あの日は、天気が良かったはずなのに
避難誘導を終えて、
外に 出てみたら、
雨が ぼとぼと 降ってきました。
あの日 お留守番していた ありすは
たった ひとりで、
震災に あいました。
ごめんなさい、ありす。
ありすパパが、
わが家に 駆けつけた時、
ありすは 震えていたそうです。
わが家は、高台のマンションで、
普段 震度4の地震でも
ほとんど 揺れません。
ですが、あの日の震度5強の揺れで
わが家は、テレビが 倒れていたそうです。
本棚や、他の家具は、
倒れていなかったそうです。
ありすに ケガがなく、
ほんとうに 良かった。
ありすパパは、
思わず ありすを抱きしめたそうです。
都内にあった 私の会社の 本社ビルは
この 東日本大震災により 半壊したため、
もう、
人が 立ち入れない建物になりました。
そして、私は 震災当日、
勤務先に 泊まり、
椅子の上に 寝ました。
翌日の朝、
JRが、動きはじめたらしいという
一報があり、駅に向かいました。
とある駅で 乗り継ぎをしたとき
駅の構内は、
床に 新聞紙をひき、
ハイヒールのまま 寝ているOLさん、
ビジネススーツのまま 寝ている
サラリーマンで、
あふれかえっていました。
目をうたがう光景でした。
ありすは、ありすパパの実家で
チョコと一緒に 過ごしました。
幸い、寝泊まりした勤務先には、
公衆電話があり、
暖房もあり、そして、
水も 食べ物も ありました。
自宅マンションは、
震災時の 停電や、震災後の 計画停電は、
まったく 無かったため、
ほんとうに 助かりました。
いまも、
テレビから流れる 津波の映像からは
人の泣き声や 叫び声が 聴こえるので
可能なかぎり、
テレビを 消すようにしています。
私の 長崎の実家は、
台風で 全壊したことが あります。
原爆の 後遺症で、
実家の 父が 他界して ちょうど、
2ヶ月後の ことでした。
自然界の 怒りをかうほど
私達家族は、
いったい なにを したのでしょう。
自然界の いかずちのまえでは
人は なすすべが ないのでしょうか。
7年前の あの日。
かけがえのない
かけがえのない 命が、
自然界に うばわれた
あの日。
私はただ、いまは、
三十一文字の 祈りを、
捧げることしか、
できません。
合掌
橘 まゆ 拝