『ナガサキの父の肺にて生きていた
原爆のかけら 黒き蟹なり 』
私の父は、
今から 71年前の、
1945年 8月9日、
長崎市内の自宅にて、
米が 投下した
1発の 原子爆弾により、
窓ガラス越しに 被爆しました。
父は 17歳でした。
爆心地から、自宅までは、
1、5キロ離れていました。
その被爆から、
46年後、
父の肺の中で、
原子爆弾の放射能が、
約8センチ大の
『黒き蟹』となりました。
そして、それは
父の呼吸を圧迫したのです。
母から、『父 危篤』の
知らせを受け、病院に
駆けつけた私は、
苦しく顔をゆがめる父の手足を、
『お父さん、お父さん』と
言いながら、 さすりました。
その晩、父は息を引き取りました。
いえ、
父は、 息が出来なくなり、
呼吸不全で、亡くなったのです。
享年 63歳。
『原爆を落とされたことを恨まない』
というのが、
亡き父の信条でした。
父からの生の声を、
私の耳で 聴いた
被爆体験を、
私は、娘にも 語り継ぎ、
そして、
原爆短歌として、
かたちあるものを、
残してまいりたい、
そう 心に決めた、
8月9日でした。
『 目を閉ぢて 耳を塞いで 口結び
さうしている間に
戦争は 誕生る(うまる) 』
かりん 8月号より
私の心のなかにも、
戦争をおこす「悪人」がおり、
そして、また、
平和という「善人」が、
いるのかもしれない。
