「 ふみしめる落ち葉の声が 聞こえるかい
痛いよう 痛いよう といふ声が 」

ざくざく

ざくざく
春はさくら
秋は落ち葉
ありすとお散歩のとき、
かれらを 踏みしめて歩く
かすかな かすかな
痛いよう 痛いようという声が
聞こえてくるような気持ちになる
かれらの最期の声が
靴の裏に 響く

この かすかな声が
わたしに 聞こえてこなくなった時
わたしは たぶん
文章が 書けなくなるかもしれない
自分ではない誰かの痛みが
わからなくなった時
わたしの感受性の感覚が 鈍り、
そして、そのとき
わたしは まるで 研いでいない鉛筆の
ようになり、
文字が 描けなくなるかも
しれぬ。
恐ろしい、
感受性の退化は、
わたしといふ人間の価値の
退化であることを、
わたしは
深く 自覚しているのだ。
「 研いでないステッドラーのよふな
我は 丸くなりやがて
坂を転がり落つ 」
