「 理不尽を 酒でのみほす桜桃忌 」
6月19日は、作家 太宰治の命日で、
太宰の友人により、桜桃忌と
名付けられた。
(正確には、遺体が発見された日で、
太宰の誕生日である。)
高校生のころ、私は太宰の作品が
大好きだった。
まるで、滑り台を滑り終える先に、
死が待っていて、それが、
あたかも、美しい鍾乳洞の中に
入るような、耽美な ムスクのような
抜け出れない動物臭が
私のからだに 巻きつくのである。
ひとたび、鍾乳洞に入ると、
出口が わからなくなるのだ。
私は、都内の専門学校に入るため、
上京してきた。
学校は、試験の点数に応じ、
能力別に、クラスを振り分けられる。
「血を吐くまで、勉強しろ‼」と、
強化合宿で、教師に言われる、
スパルタ教育の学校だ。
みな、三○物産や、三○商事などの
総合商社、或いは 航空会社などへの
就職を目指し、夜中の2時3時まで、
猛勉強をしていた。
翻訳の授業で、初めて 楽しいと
感じたので、翻訳家を目指したいと
先生に言ったら、
「あなた! 翻訳ほど 儲からない職業は
ありませんよ‼ 私は、会社を経営
してるので、翻訳を片手間に
やってるだけです。
どうしたら、お金持ちになって、
いい暮らしが、出来るのかを
考えなさい。
私のように、別荘を 何軒も
持てるようになりたいと思わない❓」
と、先生は言った。
私は、勉強についていけず、
ほどなくして、憂鬱な日が続き、
本が読めなくなった。
その年の6月、私は三鷹の
禅林寺のお墓の前にいた。
「私はとうとう、あなたの本を
読めなくなりました。」と、
つぶやいて、たましひのない
マリオネットのように、
去って行った。
あれから、私はまるきり
本を読んでいない。
短編小説なら、少し 読めるが。
世の中の理不尽に抗い泳ぐ、
クロールのたくましい腕がないと、
向こう岸まで、たどり着けない。
適応障害と、診断され、
病を乗り越えても、まだまだ、
次から次へと、私の進路に
壁が 立ちはだかる。
世の中の理不尽と 闘かった彼の
命日は、雨ではなく
酒で 供養してあげたい。
「 火の山に 月見草を 供えたり 」
*火の山→ 富士山のこと
合掌