「 痛いようと叫ぶ声に 耳ふさぎ
雑草の命奪う 我はなにもの 」
今日は、町内のクリーンデイ。
御近所の皆さまとともに
明るい汗を 流した気がするが、
はて? ほんとうに、そうなのか。

雑草を 引き抜くたびに、
私の胸が 痛む。
ううう…… おおお………… という
雑草たちの断末魔の声が
私を責める。
そもそも この花壇の一角で、
仲良く 暮らしていた彼らが、
人間のクリーンデイという大義をもって
生死のふるいに かけられた。
ツツジと雑草に、生死の分け隔てを
与えたのは、人間だ。
私が幼いころ、実家の土間に
祖父が こつじきと呼んでいた
人たちが、よく 土下座をしていた。
祖父は、あれは人間ではないのだ、
我々とは違うのだ。
と言っていたことが、
あたまをよぎる。
犬も ぼろきれのように捨てられる子、
大事に大事に 育てられる子。
そもそも、生命に区別はあっても
差別は してはいけないのではないか、
と 考えた。
さすれば、祖父の言っていたことは、
間違っている、と 私は思う。
思いながら、
暑い陽射しのなかの小さな叫び声を
無視して、
雑草に手をかける私なのだった。

「 痛いよう 」