映画きみとアイドルプリキュアを鑑賞。
あらすじ
アイドルプリキュア達はアイドルフェスティバルに招待されて、アイアイ島に行くことに。(正しくはアイアイ島という世界へ吸い込まれていく)。アイアイ島では女神様アマスが巫女の歌によって力を使い、かつての島の厄災から守ったという昔話しがあり、それを讃える祭としてアイドルフェスティバルが行われるという。しかし女神様の力で守られていたはずの島に、厄災の原因のヤミクラゲが襲撃。街の人々やタナカーンが石像化してしまう。ヤミクラゲに追い込まれたアイドルプリキュア達はアマスが生きていた頃の過去の世界に飛ばされる。そこでテラという女の子と出会う。テラの話によると、女神様アマスは「アイドル」という名前の人物と仲が良く、アイドルの歌によってアマスへ力を与え、島を守る力を付けていたのだが、「アイドル」の突然の失踪により、アマスが引きこもってしまう。それにより島へ、そしてテラを目掛けてヤミクラゲが襲撃する事態が。テラと島を守る為にアイドルプリキュア達はアマスと仲の良かった「アイドル」を探しに行く…。
「推し活」とは。という題材という事で、アマスの推しが「アイドル」で、つまり推しがいなくなってしまって辛くなってしまったアマスのお話。
以下ネタバレ。
アマスが生きていたアイアイ島に人間界の「アイドル」が迷い込む事で2人は出会います。アマスの「アイドル」の歌を聴き続けたいという想いと、アイドルのアマスに歌い続けたいとWinWinな関係になれるのですが、2人には越えられない壁が出てきます。
アイアイ島の人々は寿命が長く、どのくらい生きるかは定かじゃないけど、1000年は生きるっぽい。
しかしアイドルは人間。アイドルはアマスと生きている時間が違う事に気が付き、いつかはアマスの為に歌う事が出来ない、自分は先に老いてしまい死んでしまうという事をアマスに伝えられず、姿を消すという選択をするのです。
アイアイ島の人々にとっては「最近、アイドルがいなくなってしまいアマスが力を使わなくなってしまい厄災がまた襲っている」となるが、多分100~200年くらいの時間幅を最近と捉えるのがアイアイ島の人々。
アイドルが失踪したであろう離島に行くと、アイドルが身につけていた服とメモ帳がボロボロで見つかります。
百合の花が一面咲く丘で…。
ここのシーンね。大人の私は百合の花で悪い予感しかしなくて。
だってね、異世界から来た訳だから「アイドルは元の世界に戻った」って考えても良い訳なのよ。でもね、その百合の花の丘で持ち物が見つかるの。遺品が見つかるの。多分その先には白骨があったと考えられるよね。。。
なかなか、ぶっこむじゃん。と思うし、あれで子どもは「アイドル」がいないという事の事実をどう察するのかなとも思ったり。。。
アマスはアイドルが姿を消した事を裏切りと捉え、ヤミクラゲに支配されて暴走するのをアイドルプリキュア、わんだふるプリキュア、ひろがるスカイプリキュア達で止めるという展開になる。
テラはアマスの一部で力を持つ女神であり、過去の暴走を止めて力を使い果たし1000年は島を守る力をもつが、その力が止む時にアマスに替わりテラが力を貯めて島を守る為に眠りについて、未来で「ウタの歌声で私を目覚めさせて」と未来に帰り、コンサートをする事でテラが目覚め島に平和が戻ります。
異世界同士の人々の分かり合い、寿命の差、アイドルとファンの関係性、ひろプリ、わんプリときみプリを混ぜこませたくこの話の筋になったのかな〜とか思ったり。
会えなくても記憶で生きている事が自分にとっての力となる事、居なくなってしまう事を嘆くより、楽しかった記憶を抱きしめて生きていこーっていうメッセージでした。
そしてキュンキュンが「アイドルにも寿命があるかもしれない」と言ってましたね〜。
アイドルと推しは交われていて、交われない世界を生きるもの同士。でもアイドルの活動を推す事で自分の活力や癒しとなってきた日々がもしアイドルの引退によって更新出来なくなってしまっても、ファンの記憶の中では生き続けるって事をね、描いているんだと思います。
言ってるメッセージとして良いんだけどね、、、
にしても、「アイドル」が可哀想すぎて…。
突然異世界に飛び込んで、たとえ島の人々がちょーーーー優しくて自分が「アイドル」を真っ当して行く事が生き甲斐だったとしてもよ!?
孤独に死なないとだめだったかな…。
寿命の事があったとしても、それを理由に元の世界に戻るのはダメだったのかな…。
そもそもアイアイ島に迷い込むと戻れないとか…?
多分、あそこにいたプリキュア達はあのフェスのあと自分の世界へ戻るんだろうけど、アマスの時代ではそれが出来ないとか、戻る理由を問われたり、アマスが自分の歌によって島を厄災から守る力を使えると分かっていたから、元の世界に戻る選択をしなかったのかな。アマスの力が無いと島の人々を危険に晒すことになるものな…。いや、迷い込んでしまった「アイドル」の不運よ…。
となるとアイドルという存在は、神格化してしまうものとして扱っているのかな。
ん〜だとしたらそれはイマイチかも。
「アイドル」にだって家族がいたと思うし、いきなり人間界で失踪したら家族だって悲しんでいただろうし、アイドル本人だって家族に会えなくて悲しかったけれど、「自分が辛くて悲しい時があってもファンへ勇気と笑顔を届けたい」というのがキュアアイドルの精神面だし、「アイドル」も多分、そういうプロ精神でアマスへ歌い続けていたのかもだよな。
ん〜、でもアイドルも1人の人間で悲しい事や辛い事を抱える事があるという事をファンは忘れちゃならないよ、ってあの映画では捉えられるかしら。
勿論、ステージに立ってパフォーマンスする事だったり、ファンと会える握手会とかで悲しい顔を見せても良いとは言えないけれど、
このキュアアイドルの精神としては「アイドルだからファンには悲しい顔なんて見せないよ」なんだよな~。
アイドルの職業としてその精神は大事だし、私はそういうアイドルを好きになるのはあるんだけれど、(推しの生田衣梨奈ちゃんがそれなので)「そうでない姿を見せるべからず」というのはアイドルという職業の人々を苦しめないかなと思ってしまったり。
でもね〜アイドル側もファンがあってこそのアイドル。という事を忘れないでねっていうメッセージとしてなら、うん、まあ、まだマシ。
なんな上手くまとまらないんだけど、観た人同士で議論しがいのある映画ではあると思いました。
最初のリハの歌のシーン、その映像の為に歌ったシーンだったの、めちゃ音が良かったよね。
それと、過去のプリキュア主題歌をアイドルプリキュア達が歌うのも良かった。でもあれ戦闘中ってのが違和感だけど笑