キミコの座右の銘は「夢は歩み出せば目標に変わる」だ。これは、車いすバスケットボールの選手が語った言葉である。

 15年ほど昔。キミコが中学2年の頃、大嫌いな教師がいた。体育教師で、背が低く、熱血で、浅黒で、態度も声もデカく、芸人のゴルゴ松本に似ていた。そして私が所属していた吹奏楽部を「金食い虫」と呼び、潰そうとする末恐ろしい男だった。

 そんなゴルゴが作った授業がある。「夢を叶える授業」というものだ。キミコは夢とか希望とか未来とかいうものは言葉があれど「存在しない」と信じている子供だった。「夢を叶える授業」なんて舐めた名前の授業は聞いただけで鳥肌が立った。

 月に一度あるその授業の日は、月ごとスポーツ選手をゲストに迎え、講演会を聞く。紺色のジャージの有象無象の全校生が体育館に集められ、硬い床に二時間体育座りだ。

 チアリーディングのプロが、野球選手が、柔道の選手が、目を見開いて、ハキハキした声で空虚な言葉を放っては帰って行く。「続ければ叶う」「やればできる」「頑張れ!」なんて空々しい言葉たちだろうか。成功者というのは血の滲む努力を積み重ねて来たであろう。されど講演というのには慣れておらず、実演の方が迫力や説得力があっただろにと今では思う。

 さて、その中に車いすバスケットボール選手がきたわけだ。車椅子バスケットボールを説明するため、彼らはバスケットボールをドリブルしながらすごいスピードでコートを駆け、旋回し、球を弾き始めた。車椅子と車椅子がぶつかる様子はさながら戦車のようだ。選手の講演では、事故に遭って足が不自由になり「おしまいだ、何もできない」と無気力になっていたが、車椅子バスケットボールを始めてみて、自分には何もできないという考えから、色々やればできるじゃないか、と気づいた話をする。「夢」だと思うと遠いけれど一歩、歩み出してみて、「目標」にすれば一つ近づくことができる。また新たに目標を立ててそうやって進んでいけますね、と彼は語る。
 
 キミコはゴルゴから部活を取り上げられたくないという夢を、必死に練習することで目標に変えた。そしてコンクールの部内オーディションで落ち、楽器運びで部に貢献することとなる。我が吹奏楽部は金賞を取り、吹奏楽部の威信を彼に見せつけることができた。
 

 食パンを咥えた姪っ子が文を読み終えて顔を上げる。
「キミコおばちゃん、このお話はつまり何が言いたいの?オーディションには落ちて、実際には何もできていないじゃない。こんな文を古賀コンとかいうコンクールに出してもしょーがないよ」
 つまらなそうに原稿用紙を返しながら、小さな頬にパンをつめている。
「そうねぇ、つまりダメだと思ってもやってみるのが良いってことなのよ」
 コーヒーを飲もうもうとするとまだ熱い。
「僕、何かするときにダメだと思わないよ」
 真っ直ぐな瞳がこちらを見る。
「それならあんたも試しに書いてみるかい?」
 姪っ子は首を振り、牛乳で口の中のパンを流し込み立ち上がる。
「僕、公園でサッカーしてくる!来週選抜メンバー決めるんだってさ!絶対入るんだから」
 そう言うや否や、解放されたと言わんばかりに玄関でボールを取って姪っ子は家から駆け出していく。キミコは玄関から顔をだして、姪っ子が見えなくなるまでそれを眺めていた。