第一回星新一のショートショートコンテストに応募しようとしたのは高校生の頃だったか。当時星新一を偏愛していたのでそれはとても運命的なコンテストだった。

 喜び勇んで構想を練る。こんな物語を考えた。

 突如世界中に段ボールに入った「オルマ」という半透明の物質が届く。箱には「触れるとあなたが考えたものになります」と書き添えられている。人々は思い思いの物にオルマを変化させて行く。電子レンジにする人もあれば、乗り物にする物、発明品を現実のものとしたり、拳銃にして恨む人を殺す人もあった。主人公の男はあろうことかオルマを理想の女の形にした。オルマは慎ましく優しかった。彼らは結ばれ子供もできる。彼らは幸せに暮らしていたが、子供はその友達と手を繋ぐと突然プラスチックのミニカーになってしまう。という話だ。

 しかし私はしばらくして気づいてしまう。これは手塚治虫が火の鳥で描いた「ムーピー」にそっくりであると。「ムーピー」というのは持ち主が思う形になる生き物で、火の鳥では女の姿となり「たまみ」と名付けられ過ごしている。SFが好きな人なら知らないわけがない。SFという広い海はもうレッドオーシャンだ。掘り尽くされて何処か重なるところが出てきてしまう。そんな中で深く書き込むことによって差別化する他ない。ショートショートは単純化することで薄焼き煎餅のようにパリリと風刺するのが醍醐味であるように思う。そして、思いあぐねて書くのをやめてしまった。しかし今は思う。どんなものでも書き切ることが、作り終えることが大事だと。先人の作品は知っているに越したことはない。だが自分の情熱の上に重なってしまった場合、それが意図したわけではなければ、記憶にはなかったと、そう、言わせて欲しい。