前回、あんしんサポートの服装について書きました。
これと似た事が葬儀で当たり前に起きていますが、それが
何だか分りますか?
宗教儀式としての葬儀です。
11年前、何の疑問もなく仏式葬儀が当り前と思っていま
したが、支援事業を始めると神式葬儀もあり、キリスト教
葬儀もあり「無信仰だから」と主張する家族もいます。
僕自身を考えてみると、完璧に無信仰者で宗教儀式無用と
思うのですから、やってる事と自分に矛盾を感じました。
仏式で線香を供え、神式で玉串奉奠、カトリックで献花を
しますが、あるキリスト教では何もしないのを見て、どの
宗教も自己主張しているだから、無宗教の主張があっても
当然と感じて以来、家族毎の考え方に対応してきました。
僕の家族は全員が無信仰ですが、毎年元旦の午前3時には
自宅を出発、空いてる時間帯に決まった神社で初詣します。
実際は初詣より神社の横にある店で、甘酒を飲むと元旦が
きたと思えるからで、信仰でなく習慣です。
実際90%以上は仏式感覚の葬儀をしますが、それを行う
家族が無信仰でも、仏式葬儀を希望するか、納得してれば
それでいいと思う。
葬儀、葬式には2つの側面があると思います。
1)家族が家族とのお別れをする最後の時間
2)宗教儀式としての葬儀
明確な信仰のある方は、仏式、神式、キリスト教、或いは
他の宗教でも、教えに基づいて行えば良いでしょう。
でも信仰を持たない人は、宗教儀式に意味がありません。
信仰のある人は、こう考えれば分るはずです。
キリスト教徒の自分を仏式葬儀される。
仏教徒の自分をキリスト教式で葬儀される。
いかがですか? 異宗教の葬儀なんてあり得ないでしょ?
無信仰の人に仏式、神式、教会式葬儀をするのも同じです。
小さな親切、大きなお世話でしかありません。
ところが日本人は信仰心が薄いせいか、寺に墓があったら
キリスト教徒の故人を「墓があるんだから入れればいい」
と平気でくちにする人も多いです。
信仰心が無いに近い人で無ければ言えない言葉でしょう。
日本人は「神道」「仏道」の双方を信仰してる人もいれば
無信仰だけど、セレモニー(儀式)でなくイベント(行事)
として、或いは体裁だけで葬儀を行っている方もいます。
前者なら仏式、神式どちらでも良いでしょうが、無信仰の
家族は宗旨宗派に拘らず、自分達が納得し、満足のできる
葬儀をされたら良いでしょう。
極端な言い方をすれば、仏式、神式、教会式の混合葬儀が
あっても全く問題ないって事です。
・手足を拭いて湯かん納棺を家族で行う(仏式)
・神主さんに祝詞をあげてもらう(神式)
・線香を供える(仏式)
・大好きな曲、アメージンググレースを流す(キリスト教)
・みんなで棺に生花を入れる(献花・キリスト教)
宗教儀式としては滅茶苦茶ですが、家族が希望されるなら
全く問題の無い葬儀です。
実際、神葬祭をされ線香を供える家族は多いです。
ですから無信仰の人が、自分でいいと思った部分だけ取り
入れた葬儀もありだし、宗教色の無い葬儀もありです。
うちの場合《葬儀は家族が家族との別れを受入れる時間》
と考えるからであり、皆さんの思うお葬式より前に実際の
葬儀(故人との別れを受入れる為の時間)は家族間で済ん
でいるからです。
お別れの受け入れが出来れば、あとは故人を「温かく送っ
てあげる」ことと「周囲への体裁」を考えるなら、それに
必要と思える事をすれば良いでしょう。
本日の提案で一番問題なのは「依頼する葬儀社」です。
凝り固まった概念を持つ葬儀社や担当者は無理でしょうが、
この点は少し話しすれば、葬儀社の考え方や担当者の性格、
葬儀に対する感覚なども分るでしょう。
この人なら相談できると思う人に出逢うまで探しましょう。
この労力は葬儀になれば実感で「良かった」と分ります。
葬儀の後悔は対「葬儀社」と「寺」が大半なのですから・・・
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