僕が初めてインターネットに触れたのは、今から20数年前
かなぁ、、プロバイダーはOCNでMac Performa だった
かなぁ・・・何だか分らず誰かに勧められて、全て設定も
してくれたのは良いけど、何をするものか分らなかった。
海外のエロサイトに繋がるようにしてくれたのかなぁ、、
だからエロサイトを見る機械だと思った(笑)
月々数万円だしネットに繋ぐと更に費用は掛るから、当時
これほど普及するとも思ってませんでした。
あれから四半世紀、今ではパソコンを持ち歩く時代になり
誰もが好きに書き込めるほど便利にはなりましたが、反面
全ての情報が正しい訳でなく、自己責任での判断が必要と
なるわけです。 その辺りがネットの普及の課題点です。
更に匿名だったり、ネットの中だけの人物で語れるわけで
僕らみたいに顔も名前も住所も全て、明らかにしている人
ばかりではありません。 その辺りも信用し難い・・・
だから僕同様、全てを明らかにしてない人とは話しをする
気もありませんと、最初から言っているのです。
無責任な発言も簡単にできますから、基本信用できない。
まぁ、顔と名前を出しても胡散臭い人はいますが、これは
ある程度限定できますから、後半で書いてみます。
実今年葬儀をした中に50代の独身女性がいました。
年老いたお母さんと2人暮らし、妹さんはいますが結婚し
てますし別所帯を持って生活しています。
この女性、ネットの記事を全て自分に当てはめて、自分は
すい臓癌だと思い込んだようです。
医者に行き、すい臓癌では無いと言われると「あの医者は
藪医者だ」と決めつけ行かず、すい臓癌は食べちゃ駄目と
殆ど食べず、人一倍大きい身体は痩せて、栄養の足りない
皮膚はガサガサになり、最後は栄養失調で亡くなりました。
聞いてる限り、精神的にも正常では無かったと思えますし
極端な例ではありますが、これがネットの怖さです。
検索してみれば分りますが、体調の悪い時に調べれば結構
当てはまることはあるはずです。
それを毎日何時間も読み続けてる事で、自己催眠というか
自己で自分を洗脳しちゃうんじゃないかな。
僕が何度も何度も書いたり、人に逢う毎に話してた言葉も
全く同じ趣旨で、弱い自分を変える手段として使ってきた。
これはテレビで毎日コマーシャルを見てると、いい物って
思ったり、一流の会社だと思うのと似ています。
ところで一流と二流以下の違いって分りますか?
・・・・・・・チッ、チッ、チッ、ブッブー時間です。
『一流とは』
辞書で調べると違うかもしれませんが、一流は常に一定の
水準以上で品質が安定しているものだと思います。
二流以下は品質に安定感の無いものと言えます。
その意味では大手葬儀社が、マニュアル化した葬儀を行う
のは品質の一定化ですから一流に成り得ると思います。
またネット検索で出て来る葬儀も画一化されたものです。
しかし家族が求めるのは、画一化された葬儀でしょうか。
当方では《 家族が家族との別れを受入れる為の時間 》が
葬儀であると考えており、家族との別れを受入れる方法は
マニュアル化できるものでは無いと思ってます。
家族が望むのは「我が家」に対応する超一流葬儀だと思う。
超一流の寿司屋は画一化された握りではありません。
この感覚が最高の葬儀であると思っています。
最高の葬儀は大手には絶対にできません。
それは超一流の寿司屋さんと全く同じ原理です。
最高の葬儀を迎える助力が我々であり、達成の手段として
葬儀施行するなら、家族毎に葬儀は違って当然です。
但し、これには絶対条件があります。
存命中から葬儀は始まるのですから、逝去後では間に合わ
ないということです。 もっと言えば対象者が動けるうち
からであり、意志の疎通が普通にできるときから始めない
限り、後悔は残ると思っていいでしょう。
一般的には「まだ生きてるのに葬儀の話しは不謹慎」だと
言う人もいますが、僕は逆だと思っています。
どんなに避けても避けられません。
なら堂々と正面から受け止めたほうが、前向きで後悔せず
その時を迎えられると考えると、存命中にできれば普通に
動ける時から、その日への準備はしておくべきと思う。
きっと、僕の意見は少数派でしょう。
《葬儀は逝去後に考えるもの》これが一般論でしょう。
逝去後、慌てて葬儀社を探し葬儀の手配をする
《葬儀は生きてる時にすべきもの》あんしんサポート理論
存命中にお別れを済ませ、逝去後は家族で温かく送る
この両者の違いを頭に入れた上でネットで色々調べてみる
のはいかがでしょうか?
ネットは自分をしっかり持った上で調べることです。
ネットに書いてある事を鵜呑みにする事ではありません。
まずは、あなたの、家族の根本的な考え方を決めること。
その前提に立って、いつ、なにをすべきか考える。
それらの検索に使うのがネットです。
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