葬儀業界に入って2年ほど経った頃、ある疑問が芽生えた。
それは「遺骨の最後はどうなる?」でした。
墓で守れるうちは墓の中にずっとあります。
しかし墓守不在になった遺骨はどうなるんだろ?でした。
個人的には、あのジメジメした暗い中に入りたくないのが
本音ですから、今の墓は好きではありません。
寺は遺骨を溜めておけますが、その後の処理はできません。
焼骨は何年経とうが土には還りません。
永代供養墓に入れられる量は限界があります。
最近は住職不在の寺も増えています。
結局は遺骨をバラバラにしてまとめて入れる所に、溜めて
おくか、土中に埋めるしか方法は無いだろうと思った。
これが10年ほど前に考えたことでした。
現行の遺骨供養と処理は問題があり、先の時代を見越した
対処方法を考える必要があると、まず時代背景を考えた。
1)廃寺になれば遺骨は誰も管理しない
・寺にずっと置く概念を捨てればいい
・33回忌の永代供養で遺骨は処理すればいい
2)墓守不在家族の増加は必至
・墓守が居なくなっても問題無い墓を造ればいい
3)現行の墓は孫子の人生の足かせになり得る
・全国区の会社や世界に飛び立つ人には重荷
4)散骨の増加は明白(法律で縛られてないからこそ増加)
・樹木葬は墓の規制を受け、一番伸びるのは散骨だろう
5)散骨後に手を合せる場所を欲しがる人が絶対にいる
・散骨最大の難点は後日手を合せる場所が無いこと
こんな風に考えてから2年後に「自社散骨場の取得」って
ことになるのですが、葬儀した家族からの貸与でした。
その後、買い取り自社所有となります。
その数年後、永代供養墓「あんしん一樹の陰」建立に至り
上記の諸問題は一応全て解決するに至りました。
1)33回忌を迎えた遺骨は、粉骨し全て散骨で解決
2)永代供養墓の為、個人で管理する必要がなく解決
3)専用容器で少量焼骨納骨の為、移転先に持っていける
(他の焼骨は全て当方散骨場にて散骨)
4)墓から出して散骨は《改葬》に当たらず行政許可不要
5)永代供養墓は墓参自由、いつでも墓参できます
6)墓参できない時、他の家族が花と線香を供えてくれる
7)年会費は1家族2.000円と超低料金で済む
8)棚への納骨はジメジメせず、乾いた場所に納骨できる
子供が娘だけでも墓に入れ、33回忌過ぎれば自然に還り
なにも残さないから、心配しながら生きる必要もない。
お一人様なら希望年数墓で過ごし、その後は散骨もできる
から、甥姪を始めとした家族以外も墓に入れる。
寺の檀家には成らないから寄付金はない。
唯一問題があるとすれば、あんしんサポートが閉鎖した時
寺の基準が適応される可能性があることです。
但し、あんしんサポートが無くなっても永代供養墓は寺が
存続、朽ち果てる事なく墓は残るとも言えます。
世の中は時代の流れに合わせながら歴史を刻んできました。
それは地球に人が住める限り、繰り返され、進化とも呼ぶ
ことができるものと、退化も沢山あると感じています。
お年寄りや弱者に優しいのは、道徳であり倫理です。
世の中の最小集団は家族ですが、老人に対してだけでなく
子供への虐待も増え、家族愛も変化しています。
個人的には両親、祖父母を始めとした先祖への感謝が大事
であり、それは遺骨うんぬんの問題ではないと考えます。
形にこだわるより「心」を豊かにすることです。
墓参りより故人を忘れない事、時々思い出すことが供養の
基本であり、遠くにいても供養はできるものです。
世の中は便利になり、進化している反面、人として持って
いるべき大切な心を失ってる気がする。
「自由」とは素晴らしい反面、難しさを備え持つ・・・
大人でさえ「自由」と「我がまま」の区別が出来ない時代
日本は一度立ち止まって足元を見つめる時だと思う、、
遺骨がどうなるか・・・
なんて心配する人も珍しいでしょうが「なんでだろう」や
「どうしてだろう」更に「どうすればいいだろう」と考え
進めれば、必ず答えは見い出せるものです。
あとは行動できるか、出来ないか、中途挫折するか、やり
遂げるかの違いが人生の違いなんだと思う。
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