前日、前理事さんが来館した話しを書きましたが、その人
曰く「今回の添付書を見て武井さんも年とったぁと思った」
って言うから「なんで?」って聞くと「文章が前より強い
年寄りの言い方だった」と笑ってました。
確かに年は重ねてるけど『強い言い方』は狙ってるからで
加齢で強くなってるわけではありません・・・多分。
添付書だけでなく、ブログも同様にきつい表現になったと
思う方もいるでしょうが、その通りなのです。
ブログを書く理由は少し前に書きましたから省略します。
今回はブログを書き続けるメリットについてです。
》本音を綴れば自分と言う人間の本質を知ることができる
自分を一番よく知るのは自分自身であり、自分を一番知ら
ないのも自分自身だと思う。
声に出さない自分の本心は自分以外は誰も知らない、でも
他人が評価する自分について一番知らないのも自分・・
本音を綴り続けると、自分で自分を客観的に見られる。
気付かなかった自分に出逢うことさえある。
「俺ってこんな奴だったか・・」これが僕の自分に対する
感覚だと書いたこともありますが本音です。
》目指す自分に近づけるツール(道具)になる
「武井さんは強いよね、ブレないもん」良く聞く言葉です。
ブレない自分を貫き続けているのが、ブログやパンフ等に
書き続けてる言葉の数々です。
「誰もが死後費用の心配をせずに生きられる世の・・・」
「葬儀は大事、でも残る家族の生活はもっと大事・・・」
「葬儀は死して始まるものでなく、医師がサジを・・・」
最後まで書かなくても分る人もいるんじゃない?
って思うくらい何度も、何度も書き続けてる言葉です。
「後に残る家族の生活を守るのが僕の仕事であり目的」
「家族が守れる葬儀の企画施行が目的達成手段である」
この言葉も同じように何度となく書き続けています。
何度も、何度も、読む人が覚えるほど書き続けることで、
少しづつ僕の潜在意識へと入り込みます。
それがいつか信念となれば、そりゃ強いしブレない。
ただブログの課題は「いいね」が欲しいって思い易い部分
だろうと思う。 そんな風に思いだすと、多くの人に受け
いれて貰える内容だとか、その挙句にちょっと嘘を書く、、
それが続くと大きな嘘でも書けるようになる・・・
テレビの「やらせ」と同じだね。
視聴率を取るため嘘の放送をする・・・
それに慣れると嘘が当り前になり感覚も麻痺してくる。
いつか嘘がばれて、全てが崩れ去る・・・
ブログを書き始めた頃は、今よりずっと柔らかい表現しか
書かなかったし、誰かに異論を唱えられるとドキドキした
事もあったから無難に、、無難に、、と書いてました。
でも、真意が中々伝わらないのも感じ始めていました。
また自分のしている事が、本当に求められているのかって
自問自答する時期もあったけど、自分を抑えれば抑える程
イライラするし、中途半端な自分が嫌になる。
それでも設立から5年、6年と経過すると自信も持てるし
言動も変化して本音に近い状態で生きるようになっていた。
完全に吹っ切れたのが「癌の手術」でした。
いつか自分の本心だけで仕事をしようと思っても、途中で
人生の終幕を迎えたら出来ず仕舞いで終る。
僕の人生経験は「やらなかった」「出来なかった」後悔の
ほうが断然多いわけで、最後までそんな後悔はすべきじゃ
無いと、全て本心で書こうと決めた。
どうせ「我想う」なのだから、僕がどう思うかは僕の勝手
だし、他人にとやかく言われる筋合いではないしね。
当然、前回ブログに書いたリスクを背負う覚悟は必要です。
この先どうなるか分りませんけど、現時点では大正解です。
「当方主旨が理解できない人の入会は受けない」
「お客様になりたい人、嫌な人の入会も受けない」
「納得できない高額な布施の菩提寺葬儀も受けない」
「高額葬儀を勧める親族に従う家族の葬儀は受けない」
でも金銭的余裕が無かったり、葬儀費用が不安な家族なら
遠慮せず、余裕が無いと本音で相談してくれたらいい。
僕らが力になれると思えば、全力でお手伝いします。
文章が強くなったというより、世間や周囲がどう感じるか
でなく、我々の理念と信念を明確に伝え始めただけです。
その結果「受けない」と明確に断言しているんです。
強気だねぇと感じる人もいるでしょうが、対象外の人から
見れば、わざわざ来館せずに済みます。
お互い嫌な気分になる時間を省略できます
ブログに本音を書き続ければ、自分を知り、成りたい自分、
目指す自分に成れるツールとなりますが、読んで貰う事が
前提になったり「いいね」が欲しくて書くブログは、当然
違う方向へと進むはずです。
自由に好き勝手に書けるツールですから、色んなブログの
利用方法があるでしょう。
一般的には匿名掲載ですから、怖さもありますが、あとは
使う人の問題であり、ツールのせいではありません。
1928話まで書き続けてるのは、後継者に残す指針であり、
創業者自身のメッセージであり「己を知るツール」であり
「潜在意識改革ツール」そして、僕の場合限定で言うなら
「74才まで現役を続ける為の自己啓発ツール」です。
ただね、今は食えてるから言える言葉かもなぁとも思う。
設立当初は別の会社の社長だったし、あんしん館開設後は
儲からなくても、食えたから、食えない経験がないわけで
食えない事業に関しては未知の世界なのも確かです。
でもね、葬儀に限らず事業をして食えないとしたら、今の
経営全てが間違ってるんじゃないかなぁ、少し直してみた
ところで駄目なものは駄目で、全面改革が必要だと思う。
簡単に言うとさ「あなたの店が無くても困りません」とか
「あなたの店に足を運ぶ価値はありません」って消費者が
思ってるから、来店してくれないし食えないわけでしょ?
「あなたの店が無くなったら困るんです」
って思わせる店にするのが先決、ブログで今の本音を語り
目指す自分や店を書き続ければ、変革のきっかけくらいは
学べる反応があるんじゃないかな。
利用者が再利用したくなる要素も無いのに、どんだけ費用
掛けてチラシ配布してみたところで、一度だけの利用って
事になるわけだから、利用して貰う事が、利用者を減らす
増進剤なら増える訳ないよね。
なら無料のブログなら、あなたの思いを好きなだけ書ける。
あとは、あなたの気持ちが利用者に伝わるかと、あなたが
利用者の希望や要望に応えられるかでしょ。
つまらん見栄張ってたら無理だし、世間が認めない理屈は
何の役にも立たんし、無用な自我は捨てることです。
自分の考え方で食えないのを自覚して、あなたが本心から
頼れる人の意見は100%聴き入れることです。
間違っても、そこに自分の感覚を入れてはなりません。
間違いなく失敗します・・・それが現在の実力だからです。
なぁーんて・・・いつも以上に真面目に書いちゃいました。
後半は昔取った杵柄、経営指導のような文章になったけど
商売してる人は勿論、営業、サラリーマンでも役に立つと
思うから、自分に置き換えて読み、考えてみる価値くらい
あると思いますよ。 これでも500軒の美容室の開店に
店主から依頼され、携わってきた人間ですからね。(^^)
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創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えてたか嘘のつけない自分日誌でもあります