家族の大半は「葬儀の何が分らないかが分らない」と言う。
すると、葬儀とはこうするものだと言う人達や、葬儀社が
いるが、それは地域の慣習を伝えてるに過ぎない。
あんしんサポートパンフレットに記載してある「葬儀とは
なんぞや」の質問・回答もそうで、僕の考え方でしかない。
搬送後、家族と打合せをすると、多くは僕の勧める葬儀に
決まることが多いが、多分、一般葬儀社の営業が話しても
同じじゃないかと思う。 だから言いなり葬儀と呼んだり、
葬儀後に料金が高かったと言う人が後を絶たないのだろう。
それは「葬儀とはなんぞや」と考えたことが無いからです。
『葬儀について考えた事がない』
これが料金を始めとした全ての葬儀諸悪の根源です。
葬儀料金が高過ぎるとか、布施が高過ぎると思えば、その
葬儀社や宗教者を利用しなきゃいいんです。
みんなが利用しなくなれば、料金は需要と供給のバランス
ですから当然下がります。
勿論、料金だけの問題でなく、内容や送り方も同様です。
多分『誰の葬儀か』によっても違うんじゃねぇかなぁ。
だからね。
父親、母親、祖父、祖母、配偶者、子供など、一人一人の
死を想定して考えてみると良いんじゃないかな。
今の葬儀は全て「死後」に対する事ばかりですが、本当に
そうでしょうか・・・
例えば「母」が癌で1年の余命宣告を受けたとしたら、と
考えてみると良いかもしれません。
》元気に動ける段階
》病床に伏した段階
》明日をもしれない段階
》死後
って時期別に分けて考えてみると良いでしょう。
》病気前の元気な段階、が最初にあっても良いよね。
父母でなく「父」「母」と個々に考えれば、どの段階では
何をしたいか、したくないかなど、誰との別れかによって
かなり違ってくるでしょう。
子供達同士でも「父」「母」に対し違うかもしれません。
その時は相談をすれば良いし、対象者の事を一番強く思う
人が中心になって葬儀を考え、喪主になれば良い・・・
書き出してみれば分りますが、例えばね・・
》元気に動ける段階
・時間がとれたら旅行や温泉に連れていってあげたい
・月に1度は一緒に外食に行きたい
・春夏秋冬で洋服を買ってあげたい
・孫の顔を見せてあげたい
・写真だけでなく動画で動きや声を残しておきたい
》病床に伏した段階
・できるだけ顔をだしてあげたい
・全ての写真を持って行き人生を振り返らせてあげたい
・本人がしたい事を出来る限り叶えてあげたい
》明日をもしれない段階
・苦しませたくない
・今までの人生に「ありがとう」を言いたい
さて、こんな風に終幕前から接してきた家族が、逝去後に
現行の葬儀を望むのでしょうか・・・
故人との別れを意識して生きた期間、別れを受入れるには
それなりの時間が必要だったでしょう。
そして「ありがとう」の感謝の思いで臨終を迎えた家族が
望むのは『温かく送ってあげたい』ではないでしょうか。
》死後
死後は『温かく送ってあげたい』が一番じゃないかなぁ、
温かく送る・・・出来れば家族だけがいい・・・
そこに宗教はありません。
家族が家族との別れを受入れる為の長い時間があったのち
故人の「母親」を温かく送るのが最高の葬儀じゃない?
葬儀後は、故人を忘れないこと、時々で良いから思い出し、
毎日を元気な笑顔で過ごす姿を見せ続けることが、最高の
供養だし、家族が仲良く生活し続けることだと思う。
『葬儀とは家族が家族との別れを受入れる為の時間』だと
言い切るのは、こんな考え方をしているからです。
皆さんも、一度ゆっくり考えてみるといいですよ。
我が家にとって、私にとって、誰々の葬儀はこうですって
考えられるでしょうから、それをベースに葬儀をするのが
最善の葬儀じゃないかな・・・
あなたの葬儀と、親戚や外野の言う葬儀は違うでしょう。
しかし自分で明確な考えを持っての言動なら、親戚が何を
言おうとブレるものではありません。
また唯一後悔の無い葬儀となるでしょう。
もう一度、上に書いた段階別の文章を読んでみてください。
葬儀のことなど、ひとつも書いていません。
葬儀は存命中に済んでいるからであり、葬儀に形式だとか
決まりなんて無いんです。
僕が自分で家族との別れを想定しても、生きてる時にしか
できない事ばかりで、死後に騒ぐ事ではありません。
「父」「母」「配偶者」今ならできる人達も多いでしょう。
まずは「ありがとう」「おはよう」「おやすみ」の声掛け
から始め、自分から歩み寄ってみませんか?
全ては互いの信頼感あっての事・・・だからです。
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