葬儀の悪習慣のひとつに寸志がある。
葬儀屋、霊柩の運転手、火葬場の人達、配膳の人達などに
ぽち袋に入れた寸志を渡すのが当然の時代があった。

現在、寸志を受け取る斎場の職員はいないだろうと・・・
もしかしたら、今でも寸志を受け取る斎場あるのかな?



ただ葬儀社によっては、当たり前のように寸志を受け取る
所もあったり、中には寸志を配る人達を書いたネット情報
などもあるのだから・・・時代錯誤も甚だしいと驚く。

日本にはチップの習慣は無いし、チップの収入を見込んだ
給与体系も存在しないだろうと思う。

まずは結論から書きます。

『チップは一切不要と思って良いし、渡すべきではない』

前回掲載、あんしんサポートのパンフレットを見て欲しい
中段右側「入会後の会費、積立など」の上から4番目には
『寸志、心付は一切受け取りません』と書いてあります。

本来チップは、サービスが良かった、心地良いサービスに
対し感謝の気持ちで渡すもの、だから頑張ってサービスを
するし、サービスの質も向上する。

しかし日本の寸志は結果に対してでなく、良くして欲しい
寸志あげないと気分を慨されると困る・・・という感覚で
渡すものが多い為か、貰って当然と思う人達を生み出す。

以前にも書いた事があるから覚えてる人もいるかな・・・

ホテルでの婚礼美粧の経営をしてた頃、ある時、着付師の
態度が相手によって違う場面に遭遇しました。

何事かあったのかと別の人を呼び聞くと、寸志を渡した人
渡さなかった人の違いだと聞き、驚きも、唖然ともした。
絶対にあってはならんことです。

すぐに対処して個人で貰う事を禁止、頂いた寸志は全員が
提出し、当日の勤務者全員で均等割りに切り替えました。

一番問題なのは、相手により態度を変えた社員なのは間違
いありませんが、違う視点から見ると寸志を渡す人達にも
問題があると思います。

ご自分の着付けを、綺麗にして欲しい気持ちは分りますが、
この行為が着付師の貰い慣れに繋がり、貰うことが当り前、
貰って当然へと繋がるのです。

最初は3.000円で満足してた者でも、5.000円を貰えれば
5.000円が当り前になり、3.000円では「これっぽっち」
と思うようになるのが慣れの怖さです。

僕自身も婚礼の時は両親と顔を合せると「オーナーお世話
になります」と両家から1万円貰うのは当たり前でした。
僕自身は金に頓着がなく、美粧室の責任者に渡してたから
寸志で対応が変わるなど考えてもみませんでした。

葬儀の仕事を始めた時『あ、婚礼と同じだ』と思いました。
寸志や心付けを渡す家族が多いのです。

当初は受け取らないと言うと、その場で押し問答のように
なる為、苦肉の策をとりました。

「くれるなら帯の掛かった金で、できれば十文字の帯なら」
「喜んで貰うけど、小銭なら俺でも持ってるから要らない」

文字で書くときついですが、この言葉を言うと全ての人が
笑って寸志は引き下げてくれます。  けど毎回のように
これを繰返すのも面倒だから今回の記載に至った訳です。

また人間はそれほど強くはありません。
それは僕でも同じだと思っています。 寸志を貰うことが
当り前になったら寸志を出さない家族に対し、いい印象は
持てなくなるでしょう。 

まぁ、貰った、貰わないで、対応が変わる事は無いですが、
人間の心がどう変化するか、僕自身でも分らないですから、
なら最初から貰わなきゃいい・・・これが答えです。

ダムの崩壊も、虫歯も、全ては小さな傷が始まりです。
傷になる要素があれば排除するのが最善の方法です。
特にうちの場合、葬儀支援をしている所であり、少しでも
高品質で温もりのある超低料金な葬儀を提供しようと日々
踏ん張っている事が、わずかな寸志で台無しになります。
少額だからこそ、油断が出易く自制が大切と考えます。

感謝の気持ちとして渡してくれる心は有難いと思う。
でも本当に満足な葬儀だったら、お金で無く笑顔で心から
お礼を述べれば良いと思う。


また本当に良い葬儀だと思ったら、友人知人などに紹介を
してあげれば、葬儀屋さんはそのほうが嬉しいと思うよ。
これなら結果として最高のお礼となります。

あんしんサポートが、葬儀業界や宗教者等の常識に異論を
唱え、葬儀の在り方を変えようとし続けられる最大要因は
『紹介や入会者が増え続けてるからです』
この現実が、我々が歩んでいる道は間違って無いと自信を
持って堂々と歩けるエネルギーの源だからです。


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