2月4日立春は、30代の頃に学んだ気学では年の初め。
占い系の多くは2月4日~2月3日を一年間とみます。
2月2、3、4日と3日間も暖かい日が続き、天気予報
ではこのあと寒くなり、雪の予想もあった為、4日午前
前日葬儀した家族の火葬が済むと、正午出発で散骨場に
行ってきました。 この機会を逃すと雪解けまで待機の
可能性もあるからです。
本日5日は久しぶりで葬儀もなく、ご遺体もなく、事前
相談が1件と支払いが1件だけの予定です。
うちのような低料金の場合、この辺りが非常に微妙です。
施行数が沢山無いと経営が成り立ちませんが、沢山施行
すると疲れてしまう・・・1月は朝の搬送、昼間の搬送
ばかりでしたが、そうそう上手くはいきませんし、人の
死ばかりは、我々の都合など関係ありません。
それでも前回書いたように、1件は受けませんでしたが、
受けない判断をした事で、うちが受けるべき家族からの
葬儀をすんなり受けられ我々は納得してます。
商売として考えれば、どんなに高額な葬儀で問題ないし
何も感じませんが『人の死後費用』として考える上での
高額葬儀は、納得もできず理解すらできません。
高額な死後費用が何故理解できないか・・・
『あの世にお金は無いからです』
》死者が要求した事など一度もありません
・ご遺体は何も語りません
・うちのご遺体は誰もが安らかな顔をされています
》死後の世界は、誰が何を語っても明確ではありません
・宗教者への謝礼30万円は誰が使うのですか?
(僧侶の生活費、遊興費、本山への上納金でしょ)
(信仰心の無い人が仏弟子になりたいでしょうか)
(読経の意味すら分からず子守歌にも近いはず)
・葬儀社への100万円はどんな使い道ですか?
(会社の経営と利益でしかありません)
(見栄、建前を利用した霊感商法と誘導商法です)
(最後ですから、故人の供養、は全て自社の儲けの為)
故人に使われるお金はありません。
供養にお金は掛りません。 供養とは心が成すものです。
お金のある家は供養ができて、お金の無い家は供養すら
できない・・・そんな事は絶対にありません。
結局は金儲けの手段に『供養』なる言葉を使ってるだけ
でしかありません。 だから高額な費用が掛る葬儀など
理解できないと断言するのです。
但し『商売です』と明言するなら何の問題もありません。
》後に残る家族の生活は明確です
対照的に残る家族の生活は葬儀後も続きます。
これだけは明確です。
先に述べた『供養』ですが、故人が祖父母、父母だった
なら、何を心配し、どうしたら安心できるでしょう。
後に残した配偶者の事、家族の事ではないでしょうか。
だとしたら・・・
『第一に故人の事を忘れないこと』
『時々で良いから思い出してあげること』・・・そして
『家族が毎日を元気な笑顔で過ごす姿を見せ続ける事』
これ以上の供養は何処にも存在しないだろうと思う。
だから供養にお金は掛りません。
でも心が無いとできませんと明言しているのです。
本気で葬儀を考えたら、現行の葬儀と、僕の言う葬儀の
どちらが本来あるべき葬儀でしょうか・・・
『騒ぐなら存命中に騒げ』
『金は生きてる時に使え』
『家族との別れを受入れた時、葬儀は済んでいる』
『死後は家族で温かく送ってあげればいい』
『葬儀後も家族の心が温かくいられる葬儀が一番』
今回の最初に書いたように、あんしんサポートの考え方
では、ぶっちゃけ儲かりません。
一般葬儀社から見れば羨ましいほど、結構な数の葬儀を
しても食うのが精一杯程度の利益ですが、だから家族は
費用の心配も減るし、葬儀が近くなっても安心して過ご
せるし、最後の最期まで対象者に温かい心が持てる。
自分では思わないけど、人からは人助けだと言われる。
こんな家族を見過ぎたのかもしれないが、この喜びって
言うか満足感って、ある種の依存性、中毒性、みたいな
部分があるのかもしれないね。
半分「困ったもんだ」と思い半分は「しゃあねぇな」と
思うのが、武井11年目の本音です。
にほんブログ村
誰もが終幕後の費用を心配する事なく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい
創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えてたか嘘のつけない自分日誌でもあります