昨日は北の隣接市から散骨に向かう予定でしたが、ブログ
のように午後4時までビッシリだったのと、現地に確認を
したら降雪中との事、暫く散骨はできそうにありません。
昨日は偶然、葬儀を決めるポイント例になりそうな葬儀の
決めかたを書きましたが、あんしんサポートだからの事と
思って貰ったほうが良いでしょう。
多分、一般の葬儀屋さんがする話しの内容ではありません。
なら他では無理か、できない話なのか・・・
いいえ、そんな事はありません。
その気にさえ成れば可能だろうと思います。
問題は自分自身との闘いでしょう。
『世間体』『見栄』『自身の優柔不断さ』に勝てれば可能
だろうと思いますが、負ければ『高額葬儀一直線』です。
見栄や世間体を優先する方は、自分の思う通りにするだけ
ですから、僕のブログは全く役に立ちません。
もし、あんしんサポート理念に納得されるなら、しっかり
考えておく必要があるでしょう。
》あんしんサポート理念であり、根底に流れる考え方です
『誰もが死後費用の心配をせずに済む世の中にしたい』
『葬儀は大事、でも残る家族の生活はもっと大事、だから』
『絶体に無理をしてはいけません。させません』
『葬儀は死して始まるものでなく、医師がサジを投げた』
『瞬間から始まるものである』
『葬儀は家族が家族との別れを受入れる為の時間であり』
『根底にあるのは宗教儀式ではない』
『供養にお金は掛りませんが、心が無いとできません』
『あの世にお金はありません。供養したいと思って支払う』
『そのお金を使うのは、全てこの世の人なのです』
『故人の供養がしたいなら故人を忘れないこと、時々で』
『いいから思い出してあげること』
『最高の供養とは残る家族が毎日を元気な笑顔で過ごす』
『姿を見せ続けることです』
あとに残る家族が笑顔で送り出せ、葬儀後も笑顔で過ごす
ことが大事だと思うなら『見栄』や『世間体』は捨てる事、
また他者からの中傷や無責任発言にも、しっかりと意思を
持って『優柔不断にならない』ことです。
当然、葬儀屋や宗教者の誘導商法や霊感商法にも、惑わさ
れることなく『残る家族の生活』を優先し『現実を直視』
した対応をしなければなりません。
その際に考える事はひとつ、故人はどう思うでしょう。
故人は後に残る家族の生活が壊れても、自分の葬儀を優先
させたいと言いますか?
もし故人が、この世を見られるとしたら、安心できるのは
家族のどんな姿を見た時ですか?
そして・・・
故人が話せたら、自分の葬儀と、残る家族の生活に対して
何と言うでしょうか?
あんしんサポート理念や根底に流れる考え方は、だれかに
教えられたものでなく、僕自身の感覚に従っただけです。
もし僕が家族を残して先に逝くとしたら・・・
》僕の葬儀より残る家族の生活が心配になるだろう
》家族が元気な笑顔で日々過ごしてくれたら安心できる
》病院や施設でお金が掛るかもしれない
》延命は要らない(出来れば生涯現役のまま逝きたい)
》僕の葬儀は絶対に無理をして欲しくない
》つーか、根本的に葬儀は要らない火葬と散骨でいい
》家族が笑顔で温かく送ってくれたらそれでいい
これが僕の本音であり、終幕時の感覚です。
読まれてる方の中には、殆ど一緒って人も多いでしょう。
あんしんサポートの理念や根底は、ここから来ています。
ね、僕の本音に見栄や世間体はありません。
後に残る家族が笑顔で生きてくれたらいいんです。
こうして改めて書くと、あんしんサポートの理念は決して
特別なものでなく、極々当たり前の事と分るでしょう。
如何ですか!?
自分以外の人間として考えるから難しくなるんです。
葬儀は『自分が故人だったら』と考えればいいんです。
自分なら、どうして欲しいか、何が要らないかって考える
のが一緒に過ごした家族である故人に近い感覚なはず、、
初めて会った葬儀屋さんに分るはずがありません。
無信仰者への宗教儀式の押し付けもあり得ません。
赤の他人が他家の葬儀にあーだ。こーだ言うのも、決して
褒められる行為でなく、大きなお世話でしかありません。
そんな当たり前の事も分らず、ごちゃごちゃ言う輩など
まともに話す価値すらありません。
こんな人に限って言われる立場に成ったら、人の言うこと
など、まぁ聞くことなんてないでしょう。
最後に一言だけ書いておきます。
自分達家族の生活を守れるのは自分達家族だけなのです。
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