今回の入院は手術翌日からブログに掲載しました。
目的は2つ『大袈裟な噂の防止』と『実践記』です。
毎年受けてる健康診断ですが、胃カメラだけ予約が9月
になると言われ、会員さんから上手だと聞かされていた
病院で初めて検査をしたのが始まりです。
今時予約の無い珍しい病院ですが、10月26日朝8時
行ってもみると結構な混雑だし、今時靴を脱いで入ると
思わず、靴のまま入ったら千明に注意された。
なんで内視鏡室がいくつもあるんだ? と思いましたが
それもそのはず、消化器系の専門病院だと分りました。
結局終ったのは午前11時30分を過ぎてからです。
担当医が気になると言う部位の胃壁を、2ケ所摘んでの
病理検査、2週間待ち癌細胞レベル5の判定ってことは
癌の宣告を受けたということです。
(ステージではありません。ステージは4が最高です)
(クラス5:悪性と断定できる異型細胞がある)
(去年の検査時でも癌があった可能性は高いと思う)
(内視鏡での早期発見は専門医以外では難しいと思う)
更に10日間待って11月16日、口からの胃カメラで
再検診と3カ所の細胞を採取して病理検査をする。
でも初期癌で内視鏡治療が可能だと思うと言われる。
最初の宣告を受けた時点で事前予約した11月26日の
誕生日が癌の治療となり、忘れられない日となる。
前日の夕食を済ませて入院、26日午後2時頃に担当医
から再度説明があり、署名等して4時頃から治療と聞い
て、午後1時に奥さんが病室に来るが3時間半待った。
外来の患者が全て終わってからの治療だから仕方ない。
治療時間は約1時間の予定で、30分ほど遅れての開始、
結果は3時間近く掛って無事終了、予想以上に時間が掛
ったのは、以前の潰瘍部分が固く、胃の壁面は3mmと
薄い為、力が入り過ぎると胃に穴を開ける可能性もあり、
慎重に行ったからと主治医に聞かされる。
その日に勤務してる専属医全員の診療が済んで、全員が
集まっての治療(手術)と聞きその点も心強いと思った。
言われてみれば2度目内視鏡検査の時は、医院長もいて
切除範囲を話し合ってました。
26日は勿論、27日も点滴のみ、28日1日は重湯で
29日3分粥、30日5分粥、1日7分粥、2日は全粥、
3日になってようやくご飯となりましたが、内視鏡の為
朝は食べず、午前9時過ぎに内視鏡検査、周囲が赤くは
なっているが出血は無いと退院、切り取った部位の検査
でも癌ではあるが進行癌では無かったようです。
現場仕事は出来ずとも、遺影作成、故人を偲ぶ、更には
会員管理の再入力と、すべき仕事はありましたから最初
から主治医にその旨を伝え、個室をお願いしました。
高額医療の手続きも事前に済ませ、手術費用、個室利用、
食事、更に1ヶ月後検診する1月7日までの投薬も全て
含めて185.000円ほどだったと思います。
これだけ具体的に書けば、尾ひれのついた噂に成るのを
避けられるでしょう。じゃないと「末期の癌だってよ」
「あと数か月だってよ」くらいの事は言われるからね。
また癌の告知をされた心境や、待ってる期間の事、更に
内視鏡治療の現実や費用も伝えられます。
これが『噂の防止』と『実践記』ということです。
患者の立場になると、一番辛いのは癌であるか、違うか
結果が分るまでの2週間や、次の検査までの10日間や
手術までの10日間といった待機期間だと分りました。
勿論、個々の性格によって違うでしょうが、僕の場合は
『まな板の上の鯉』感覚が一番ピッタリだった。
それと『クラス5の癌宣告』でも、他の病院を紹介され
開腹や腹腔鏡手術でなく、検査した病院で内視鏡治療が
可能と聞いた時の安心感は、とても大きく一緒に話しを
聞いてた奥さんも同じ心境だったみたい。
仮に開腹や腹腔鏡手術だったとしても、癌の治療自体は
さほど驚かなかっただろうと思う。
その時は、僕が完全復帰するまで数か月、仕事の体制を
どうするかが一番の悩みとなっただろうな。
ぶっちゃけた話、癌の治療に関しては自分が信頼できる
医者をセカンド、サード、フォースオピニオンしてでも
探して任せるしかありませんが、問題はメンタルだろう。
多分、医療とメンタルって別物じゃないかって思う。
ってゆーか、現実のシビアな判断を必要とする主治医が
患者のメンタルケアなど、できなくて当然の気がする。
僕みたいに短期の入院で済み、社会復帰できる人になら
「暫く休め」で済むけど、数か月、半年、或いは数年と
入院生活を送る患者もいるし、終期癌で緩和ケアに入院
してる患者さんもいます。
そう考えると緩和ケアの患者は、家族がメンタル緩和は
難しいんじゃないかな・・・
近しい人過ぎて患者は、イライラをぶつけるだけに成り
兼ねないし、家族は費用の問題も抱えるわけで、いつも
笑顔で接し続けるのも難しいのが現実だろう。
かといって看護師さん達は仕事を抱えてるから、個々の
患者の都合で長々と話しを聞くなんて無理でしょ。
これは我々も無理、我々ができるのは残る家族の生活が
守れる葬儀を提案、施行するだけです。
それでも、葬儀の高額な費用部分だけでも解消できたら、
家族の大きな負担のひとつは解消してあげられる。
そう考えると、こんな時こそ宗教者の出番じゃねぇ・・
但し布教じゃなく、宗教観を話す事でもなく、その日の、
その時の、今の患者の思いや本音を、優しい眼差しと、
人間愛で穏やかに聞いてあげる事が大事かもしれない。
だってさぁ、患者の立場で考えてみてよ。
「治って社会復帰することはない」
「痛い、辛い、起きられない、そんな日々を送るだけ」
「結局は死を待つだけの日々ってことよ・・・」
「まぁ自殺したくなっても不思議じゃないよ」
自分だったら元気な笑顔で生きられる?
冷静に考えれば誰もが同じ答え・・・無理だよ・・
家族の前で笑顔でいるのは気を遣ってるからだよ。
今回の経験は、対象者自身にも、家族にも、僕が実際に
体験した話だから、家族と同じ目線で話しができる礎に
なってくれそうな気がしてる。
つーかさぁ・・・
俺の人生って、馬鹿息子の時は稼業倒産で、舐めた人生
を戒められ、金は親が持ってるもんじゃなくて、自分で
稼ぐもんだと教わり、サラリーマン役員で偉そうにして
いた時は、会社を作っちゃう人がいて、僕自身も入院で
考える時間があり、経営者を経験させられ、親父の死で
葬儀の仕事を始め、10年後には自分が癌になり患者の
心境や費用や家族の事も経験として学ばせられる・・・
なんかさぁ、俺の人生って、全ての決断を自分でしてる
のは間違い無いんだけど、自分自身でさえ、本当に俺の
意思かなぁって思ったりする。
誰かに線路引かれてねぇか・・・って思った事が何度も
あるし、進む方向が決まってるようにさえ感じる・・・
ま、実際がどうであれ、人生の中で今が一番充実してる
のは確かだし、今が一番堂々と胸を張り、誇りを持って
生きてるのは確かだから、それだけで良いんだけどね。
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