文章は書き慣れると口語では無くなる・・・のか?
最初に書いた著書「一銭も要らないお葬式」を入院中は
とにかく暇だから、ペラペラと捲ったわけよ。
そしたら今の文章とはかなり違う事に気づいた。

普段しゃべってるまんまが文字になってた。
自分じゃ分らないけど群馬弁丸だしなんだろうと思う。
けどさぁ、文字がそのまま映像として浮かんでくる。
自分で自分の本読んで泣いちゃったよ・・・アホか


ところが長期間、毎回長い文章をブログを書き続けたか
らか、口語でなく文章、文章してきたのは間違いない。
まぁ方言が減る分、読み易いとも言えるけど、その反面
迫力とリアリティが無くなってる気がする。
ついでに温もりってのも減ってるんだろうと思う。

それにしても1800話以上って普通に考えて凄くねぇ!?
毎日書いても5年以上書き続けてるってことよ。

小中学校の頃、夏休みの日記でさえ、まともに書いた事
など無かった奴なのに、この持続力は我ながら驚きだわ。
やっぱさぁ、書く目的を明確するのって大事だね。

冬休みも読書感想文ってあんのかな・・
読書はした事なかったけど、感想文は得意な奴でしたよ。
『前書き』と『あとがき』を読み、主要ページだけ読み
あとは、自分との比較や、自分ならと変化させてくだけ。
これで大抵、〇〇賞くらいは貰える。 子供や孫の感想
文でやってみるといい30分で終わるよ。

才能は無いけど、合理的な思考だけは良いんだろうな、
子供の頃で言うと、毎日2時間は勉強なんて到底無理。
間違いなく睡魔が襲ってくるだろうし、それ以前に机の
前に座ることはない・・・

基本勉強嫌いだし、字を書くのも下手で力が入り過ぎて
文字書き続けたら手が痛くなっちゃう。
パソコンは俺の為に発明されたようなもんだと思ってる。

でね、綺麗な(とても綺麗な文章ではないが)文章って
のは、表現も穏やかになる傾向があるらしい・・・
だから会員さんと話す時に口が悪いって書くけど、それ
自体も読んでる人は理解できないんじゃないかなぁ。

くちが悪い? 何処がぁ? 普通だと思うよってね。

でね、書き方が自分の素じゃないと、文字にも現れるん
だろうけど、2冊目の本は自分で言うのも何だけどさぁ
内容は中々じゃんって思っても、最初の本のような感動
ってのが無いんだよね・・・涙なんて出ません・・・

で、思ったわけよ。
俺は俺の言葉で書くから『我想う』なんだよってね。

今は誰からも異論が来なくなったけど、書き始めた頃は
坊さんの悪口書けば、住職と名乗る人から苦情がきた。

「なんて傲慢な人だ」ってね。
傲慢って、おごりたかぶって人を見下すことでしょ。

そこで、こんな風に返信しました。
「ほぉ、傲慢ですか? ならどちらが傲慢か読者に問い」
「正してみましょう。 但し僕は名前は勿論、顔写真も」
「堂々と出して書いてますから、あなたも何処の誰かを」
「明確にした上なら、いくらでもお相手しますよ」
「名無しのゴンべと話しすつもりはありませんけどね」
と書いて送ったら、それ以降は音沙汰無しでした。

馬鹿っ高い布施を要求する人と、残る家族の生活を守る
って言ってる人の勝敗なんて明らかです。
普通の神経さえ持ってれば、9割以上は僕の味方です。

ただ今より尖ってたんだろうな・・・きっと。
あえて尖る必要はないけど、オブラートで包むと本来の
意味が伝わらないこともあります。

あんしんサポートが対象者や非対象者を、より明確にし
振り分けに入った今、僕も素の自分に戻す時期がきたと
いう事なのでしょう。

一般葬儀社と同じ事を言い、同じことをしてたら意味が
無いわけで、それなら全国何処にでもあるわけです。

俺じゃ無ければできない相談を受け、依頼を受けるから
我々が存在する意味がある・・・でしょ!?

10年が過ぎ、新たな法人になり、僕自身も胃癌を取って
新たな健康を手に入れた今、平成最後の年31年元旦を

機に初心に戻る時なんだろう。

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