気がつけば1500回を超えた『我想うブログ』周囲の人達から、
「よくそんなに書けますね」と言われるし、客観的に見れば僕も
同じように思えるけど、実際は慣れ・・・という言葉が適切です。
同じ事を何度も何度もしていれば大抵の事ってできるでしょ?
これと一緒・・・毎日のように書き続けていれば、書くこと自体
そんなに大変では無くなるだけのことです。
日記を書き続けた人なら分かるでしょう。
書き続けられなかった人は凄いと思うだけの話しです。
禁煙でも、減量でも、運動でも、そしてブログでも同じだろうと
思いますが、分岐点らしきポイントがあるんだと思う。
そのポイントは人により3日の人もいれば、一週間、一か月後と
様々でしょうが、自分の分岐ポイントさえ超えられる工夫ができ
れば、誰でも続くのが普通の人間なんだろうと思います。
いい意味での習慣であり、慣れ・・・ってことです。
本日も電話は鳴り続いてますが、電話をくれた会員さんの中には
久しぶりに言葉を交わした方もいるし、電話では初めて話す人も
いるようですが、その中に「いつもブログ読んでて、去年行った
翌日に私達の事が書いてあって嬉しかったです」と言われた人も
いるし、同じような人が何人かいたとの報告を受けました。
ブログには何の反応もされませんが、読んでくれてる会員さんは、
僕が思ってるより多いのかもしれません。
そこでフッと思ったのは・・・
僕のブログは宣伝感覚が無く、未来の自分と後世に伝えることが
第一目的の為、良くも悪くも言いたい放題です。
また出来るだけ具体的に伝えたい為に、実際の事例を書くことも
多いし、実際の例え話しも多用している自覚があります。
嘘を書いてる感覚はありませんが、人は文字にするほうが何事も
過激に、大袈裟に、誇張される傾向がありますから、これからも
書き続ける上で、嘘や誇張は避けようと再認識させられました。
それと、、僕が凡人だからかもしれませんが、人の感情は簡単に
浮き沈みするし、浮けば舞い上がっちゃうし、沈めばどん底まで
落ち込む事も当たり前にある。 実に単純な生き物だと思う。
今回のように電話が鳴り続くと安心感がある・・・みたいなね。
依頼が増えれば強気になり、暇なら弱気になる。
まぁ、どう考えても単純でしかありませんが、それが僕を筆頭に
した凡人感覚なのだろうと思うけど、僕だけだったりして。^-^;
と、こんな話をすると『気持ちが浮き沈みしないように・・・』
なんて書く人もいるでしょうが、そんな事を書いても心の変化を
簡単にコントロールできるはずがない・・・
そこで『自分の進むべき道を再認識、再確認し続ける』こと以外
僕の場合は難しいように思える。
僕はお節介をするつもりはない。
はたから見れば弱者でも、本人が要望をしてないことを支援する
気は毛頭ないし好きにすれば良いと思う。
但し、頼って来られる人達に対しては、残る家族の生活が守れて
後悔の無い葬儀全般の支援を行うことが使命だと思っている。
その結果、この事業に携わる人達が食っていければ、それで良い
というのが根底にある考え方だ。
だから商売ではあるけど、商売ではないとも言える。
葬儀施行等を行い、その利益で食うのだから商売だと言える。
しかし儲かるなら誰からの依頼も受ける訳ではなく、我々を必要
としている人達、あんしんサポート以外では葬儀出来ない人達の
依頼が中心だから、どちらかと言えば利益の少ない人達の依頼が
圧倒的に多くなる現実は、どう考えても普通の商売とかけ離れて
いるし、一番利益の多い一般葬儀をパンフレットから外している
現在の立ち位置からは商売とは呼びにくい・・・
根が明るいせいか、人懐こいせいか、すぐに打ち解けられるのが
最大の武器のひとつだろうと思うけど、葬儀をされた家族からの
評価や感謝の言葉ばかりを聞いていると、時に傲慢になったりも
してるだろうし、横柄になっている事だってあるかもしれない・・
それが凡人と言えば、それまでですが・・・
強い人達に対しては、それ以上に強くて良いと思うけど、色んな
意味で弱い人達だけには、何処までも謙虚でいられる自分になれ
たなら、あんしんサポートは最強の存在になれるのだと思う。
慣れ・・・とは良くても、悪くても続ければ芽生えるもの・・・
ならば、目標とする人間像に近づける慣れ・・・にしたいもの。
60才を過ぎ、62才の今尚、こんな事を考えているのですから、
俺はいつになったら本物の大人になれるのだろう・・・
成れないまま終幕を迎える可能性大・・・のような気がします。
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