今回は僕のビジネススタイルについてです。
営業職、販売職、或いは経営者など、自由度は高く、結果が全て
という仕事をされている皆さんが対象となります。
経営者 = 繁盛しようが倒産しようが自分次第です
営業、販売 = 結果が全て、勝てば官軍の仕事でしょう。
皆さんは自分のスタイルを持っていますか?
さして実力も無い上司から教わった営業話法、ロールプレーイン
グを練習したり、100軒ノックして5軒話しを聞いてくれて、
その中の1軒が買ってくれたら良いんだ!
みたいな事を従順に行っている人はいませんか?
だとしたら、その上司は抜群の成績を残していますか?
結論・・・僕はそんな営業はしません。 つーかできません。
断られても、断られても100軒ノックし続けられるほど頑強な
神経や心臓を持ち合わせていません。
それと、どう考えても効率が悪すぎです。
そんな上司は自分だけでやってれば良いんです。
僕の簡単な仕事の経歴を書くと・・・20代半ばまではスーパー
業界やら、アルバイトで完全歩合の営業などもしていましたが、
落ち着いたのは美容室への営業からで20代半ばでした。
35才まではサラリーマン(平社員~役員まで)
35才~52才まで社長室にいる経営者
52才~葬儀の第一線で仕事をし現在に至るわけですが、昔から
共通している考え方があります。
そのきっかけとなったのは、完全歩合営業のアルバイトでした。
完全歩合ですから、売れなければ一切の収入はありません。
20万円以上の商品一個売れると2.5万円くらいだったと思う。
子供の英語教育機材でした。
朝事務所に集合20人くらいいたでしょうか、、やたら気合いの
入った朝礼で、昨日結果を出した人達がドヤ顏で威勢よく売れた
自慢話をし、上司から色々言われ、昼食をとって出発です。
チーム毎に決めてある本日の営業地域に行きます。
さらに道路や川などで各担当地区を決められ営業開始です。
午後ですから自宅にいるのはお母さんやお年寄りばかり、そこで
話のできる家を捜し歩いて説明するのですが、まぁ簡単に話しを
聞いてくれる家は殆どありません。
何とか話しを聞いてくれたら好印象なら「お父さんに聞いてから」
というのが普通ですから、お父さんが帰って夕飯後に再度来訪し
話しをするわけです。 ところが半分以上はお父さんからノーと
言われ話しもできません。
たまに話しを聞いて貰えても、ノーと言われるのが普通ですから
そこからは粘りの勝負・・・って感じを見せられました。
僕が見ているから尚更でしょうが夜中まで粘るのです。
最後は根負けしてサインをしましたが、翌朝キャンセルの電話が
入って売れず・・・サインしないと帰らないからなのですね。
これが初めて先輩と営業を周った時の流れでしたが、更に上司は
「こんな事もあるさ、でもその根性がいつか花を咲かせるよ」
なんて分ったような、分らんような話しをしていました。
一日、そんな営業を見て僕はこんな風に考えました。
この話しは今ではありません。 今から40年前の事です。
Q 子供の英語教育で20万円はどう考えても高過ぎ・・・
A 普通の家では無理、金持ちをターゲットにすべき
Q 家にいるのはお母さん、改めて夜に伺っての営業は無理がある
A 20万円をお母さんの判断で買える家を探そう
Q 例え一軒売れても、次に買ってくれる家を探すのは大変
A 女性は横の繋がりと言う、お友達も金持ちなら紹介して貰える
結局一万人以上の営業がいたそうですが全国3位でした。
当然、昼間の営業だけでワイフオーダー99%でした。
但し、普通商品郵送ですが、僕は事務所に送って貰い自分の手で
届け、お母さんとお子さんと一緒に開封し、暫くは一緒に遊んで
帰るのですが、一週間後に再訪します。
殆どの子供は飽きて投げ出してあるからです。
また新しい遊び方を、母子と一緒にして帰る。
これを何度となく繰り返すのは結構大変ですが、そのうち家族は
僕が来るのが当り前のようになり「ケーキ買っておきましたよ」
なんてことになります。
その頃になると、お母さんからこんな言葉が出てきます。
「ねぇ武井さん、私の友人のところに行ってみる?」
この手の紹介は100%売れてるようなもんです。
他の営業が歩き回っている間、僕は購入家族と遊んだり話したり
して過ごすのが営業なのです。
他の営業は夜中まで動き回っていましたが僕は夕方までです。
僕のビジネススタイルについて第一弾でした。
今回は『発想の転換』と『常識は本当に常識なのか』でした。
誰もが終幕後の費用を心配することなく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい
創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えていたか嘘のつけない自分日誌でもあります