まず第一に僕が葬儀の仕事を始めたのは、好きだからでもなく

儲かるとか、儲からないからは全く別次元のスタートです。

自分の意志より遥かに強い何かに、動かされるように始まった

のが葬儀の仕事であり、僕本来の性格と合っていただけの事。

自分が何かをし、その何かに喜んでくれる人がいて、その喜ぶ

姿を見ると、僕自身が嬉しくなる・・・

どう考えても、決してお利口さんではない性格ですが、それが

自分なのですから、どうにもなりません。

根底に流れるのは次の2つの感覚でした。

『人は誰も必ず終幕を迎えるのに何故高額費用が掛るのか? 』

『その費用は誰の手に渡り、どう使われているのか?』です

少額年金でやっと生活している人が病院、施設と多額の費用を

何とか捻出して家族を支え、そのあげく終幕を迎えれば待って

いるのは多額の葬儀・・・ 

その費用は葬儀社と宗教者の手に渡り、その殆どは彼らの生活

費や遊興費になっているのです。

葬儀社だって、宗教者だって、生きてるのだから飲み食いする

のは当然ですが、いかんせん高額過ぎる・・・

今まで家族の為に頑張り続けたのに、対象者が亡くなった途端

親戚、隣保までも高額葬儀の片棒を担ぐ・・・その結果として

家族はより貧困への道を歩む・・・どう考えても理解など到底

出来ないしあり得ないことです。

葬儀の仕事を始めるきっかけは、寺と葬儀社に聞かされた話と

葬儀経験者の話しが全く食い違っていたことでした。

寺は何処に行っても「布施はお気持ちですから・・・」と言う

のに対し、葬儀経験者は「布施が高い」という。

お気持ちで包んだ人が高いとは言わない・・・なんでだ?

葬儀社は何処に行っても「うちは喜ばれていますよ」と言う。

葬儀経験者のほぼ100%が葬儀費用が高かったという何故?

結局「お気持ち」は建前で、実際は高い金額の布施を要求して

いるからであり、葬儀社の言った「喜ばれている」ってのは、

社交辞令を真に受けているに過ぎません。

業界に入って分ったのは『葬儀社は完全な商売である』こと。

寺の多くは「先代は良い人だった・・・」と言われる事も多く

宗教者というより、僧侶という職業の人達が多いことでした。

その宗教に対する信仰心の厚い人なら、どんなに高額な費用が

掛ってもそれで良いでしょう。

しかし日本人の多くは、さして信仰心など持っていません。

なのに30万円、50万円、と当たり前のように言う宗教者・・

遺骨供養だと永代供養墓に一体50万円、80万円と平気で言う

その神経・・・本当に宗教者でしょうか?

日本に住む圧倒的多数が「その通りだ!」と思っているのに、

当時は誰一人として声に出して言いませんでした。

実際は葬儀社の人達も思っていますが、お互い様感覚です。

葬儀社は儲け主義の商売ですから、儲けることに何か言う気も

ありませんし、どんなに儲けても全く疑問は感じません。

しかし高額なのに安くできると『嘘つき商法』と『霊感商法』

だけは商売として許されるものではありません。

また富裕層の人達が高額な布施を払い、高額な葬儀をさせられ

たとしても、どうって事はないでしょうが、少額年金で生活す

る人達、訳あって貧困生活をしている人達にとっては死活問題

なんだと分った時から、どうすれば少しでも改善できるか考え

ましたが、ブログであれ、なんであれ、ただ吠えているだけで

は始まらないと行動したのが最低限の料金でできる葬儀を国保

からの葬祭費5万円で可能にする事でした。

3年後に実現しましたが、消費税引き上げによる便乗値上げ、

円安による輸入品の高騰で存続できなくなりました。

と同時に日本の中に根付いた葬儀の悪習慣や、既成概念を振り

払うのは簡単でないと気づき、単に低料金だけでなく高品質、

更には温もりある葬儀、そこそこ豪華な葬儀をいかに低料金で

提供できるかと試行錯誤した8年間でした。

ぶっちゃけ、安かろう、悪かろうの葬儀なら簡単にできます。

しかし、豪華さもあり、高品質で、温もりある葬儀を低料金で

提供し続けるのは簡単ではありません。

先月、今月と葬儀をされた家族から何度も言われているのは、

「武井さん、身体がもたないでしょ? もう少し料金上げても

良いから、人手を増やしたほうが良いですよ。 あんしんサポ

ートが無くなるほうが困るんですから・・・」というものです。

その通りなんだとは思います。 そのほうが僕らも楽です。

でも今の69.000円の葬儀でも、やっとの人達がいるのです。

僕らはそんな人達と直接会って話しをしているのです。

人は誰も自分の感覚が普通だと思うし、10万円なら安いしと

思う人もいれば、20万円なら安いと思う人もいますが、反面

5万円でも手の届かない人がいるのも事実です。

一般葬のほうが利益があるからと依頼を受けて、弱者の依頼が

受けられないなら、何の為に始めたの?ってことです。

金儲けでもなく、好きで始めた訳でもなく、弱者支援が第一の

目的だったのですから、初志を変えては意味が無い。

葬儀支援でなく、儲かる商売なら葬儀をする必要もない。

最近のあんしんサポートは、月に半分の施行も珍しくないし、

当たり前のようになってきました。

それだけに、一般葬は拘束される時間が多過ぎるのです。

我々を必要とする全ての人が、事前に入会してくれているなら

突然死以外は、対象者の最新情報が家族から入ってくるので、

問題ないのですが現実は違います。

何年も前のチラシパンフレットを大事に持って、葬儀になった

時は電話をしようと思っている人達が多いのです。

パンフレットには『会員からの依頼は絶対に受けますが、非会

員からの依頼は受けられない事もあります』と書いてあっても

昔のパンフレットを大事に持っているのが現実です。

だから年に1度の個別のポスティングとか、全戸に配布される

市政ガイドなどに掲載しますが、非会員から突然の依頼は減る

こともなく増える一方です。

電話で訴える家族事情を聞けば、何とか受けてあげたい・・・

自分が寝なければ、自分達さえ頑張ればと受けています。

その結果疲れが溜り、体調を崩す・・・

なんだかなぁ・・・と苦笑する自分がいます。

もしかしたら一般葬を受けなければ何とかなるのかな?・・・

家族葬、直葬、散骨、永代供養墓をだけを引受ける葬儀社なら

弱者の依頼も受けられるし、我々の身体も何とかなるかなぁ?

実際に一般葬の依頼を、極端に減らした一年だったですから、

経営の存続は間違いなくできるとは思うけど・・・

とも思う自分がいて、今少し迷っているのが本音・・・

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