10年前まで自分で葬儀の仕事など、考えた事さえ無かった

ばかりか葬儀の仕事に偏見もあったし、他人の遺体なんて

見たく無いのは多くの人も同じだろうと思う。

八王子裁判所から父親逝去の一報が届いたのをきっかけと

して、現状葬儀への素朴な疑問が湧き、葬儀に携わる人達

と偶然、必然の出会いが重なり、気がつけばNPOの申請を

していたのが52才、18年続けた法人を黒字閉鎖し事業は

スタッフに譲って、あんしんサポートだけになった当時、

まだ食える状態では無かったし、あんしん館を開設する

までは家賃など払える状態では無かったと千明は言うが、

支払いができる、できない、について考えた記憶もない。

今当時の事を振り返ると、なんで!?と思う事ばかりで

自分で決断したのは間違いないが、本当に自分の意志だっ

たのか!?と思うことが多過ぎ、何か別のちからに引きず

られてきたような気さえする。

そう思えるほど順調に流れてきたと思う。

ただ葬儀屋が天職というより、弔う人達の生活に支障なく

家族が温かく送れ、家族にとって内容のある葬儀を創造し

必要とする人達に提供、広める事が天職かなって思う。

・葬儀は大事、でも残る家族の生活はもっと大事

・後の生活に支障の出る葬儀など絶対してはいけない

・供養にお金は掛からない、但し心が無いとできない

など、誰かに教わった訳でない一貫した考え方がある。

ある意味、宗教家に近いかもしれないとも感じる。

いずれにしても、うんと儲かるわけではないけど・・・

1.普通に食えるだけの収入が得られ、

2.入会者数は日々増え続けて、

3.その家族に最善と思える葬儀を創り提供し続け、

4.葬儀をした家族から感謝され、

5.その家族に紹介された人が入会に来館する

この循環ってニワトリと玉子に似ている。

どれが最初でも成立するが僕の場合『3.』から始まった。

その結果の好循環であり『人に必要とされ、頼られる』と

繋がり、遣り甲斐、生き甲斐にもなっている。

収入面では、もっと多い時もあったけど人生61年の中で、

最も胸を張って堂々とし、食える仕事をしている。

同級生の多くが過去の人となっている中で、人生最高の時

だと思えるのが凄い・・・

葬儀を仕事にして生きる人達、、、金の亡者は別として、

まぁ、普通の人と少し変わっている人かもしれないけど、

僕と同じような感覚の人も結構いるんじゃないかと思う。

その人達に言う・・・

葬儀を仕事にするならサラリーマンでは駄目だ・・・

自分の考え方で動ける経営者になれ・・・

汝の心にあるものが、消費者と重なるものであるなら・・

間違いなく感謝され、繁栄の道が拓ける・・・

宗教ではないが結果として信者のような人達に囲まれる・・・

人から感謝され、頼られて、忙しくて、時に体力的に辛いけど

普通に食える。 本当の喜びはそこから生まれる・・・

人の死に直接関わる仕事だから得られる感謝があり、

家族の感謝が我が喜びへと繋がる経験をした時・・・

生き甲斐へと繋がり、故人や家族への感謝へと循環する。

こんな感覚になれる仕事は、そう多くはない。

折角、そんな仕事をするなら思う存分謳歌すれば良い。

この先のことは分らないが、現時点で言えば間違いなく、

僕の考え方は時代に沿っている1つだと断言できる。

この先5年や10年なら、未来予測は容易にできる。

だから何をすべきか分って実践してきたのは、過去のブログを

読んで貰えれば分る通りです。

さらに利用者に低料金で高品質な葬儀を提供するのだから

原価を抑えるし、高額な投資などしないから、その気さえ

あれば誰でもできるのが、あんしんサポート事業と言える。

葬儀を仕事にしている人、仕事にしたい人って僕みたいな

奴の話しを聞いてみたいって思うかな?

それとも僕みたいに、人の考え方など無用って思うのかな?

特に葬儀経験の長い人の話は、ほぼ無用と思っているのが

僕自身なのだから、僕の話しなんて無用と思われても当然

だと考える自分がいるだけに、講演会、勉強会の必要性が

あるか、ないかも分らないのが本音、ただ一般の人を対象

とした勉強会に葬儀社の人が時々きてくれるが、勉強会の

あとで、折角来たのだからと一緒に飯を食うと目からウロコ

的な事をいうから、参考になる部分もあるのでしょう。

僕の思いはひとつ、全国各地で助かる人達が増えるような

葬儀社が沢山できれば、それで良い・・・

お金に余裕の無い、弱者の方々が助かって、僕の頭では

思い描けない実現できる企画力のある人の話しは聞きた

いし、より具体的に教えて欲しいって思うもんな・・・

大切なのは誰が考えたかより、何ができるかだからね。

それと単独だからできる事もあるけど、単独で行うには

限界があるから、寄せ集める事で可能に成ること・・・

『広告宣伝』とか『人手』や『うちの散骨』『永代供養墓』

なんてのも、その中に当てはまるかもしれない。

葬儀屋ではなく、弱者、消費者に利益のある事をする。

そんな集合体ってできないもんかね・・・


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