『いくつまで生きられるか心配するなら、どんな生き甲斐を持っ
て過ごせるかのほうがずーっと大事』
葬儀の仕事をしてるから、普通の人より多く聞く言葉に『○○才
まで生きれば大往生だ』とか『いくつまで生きられるか?』など
終幕年令についての話しは良く耳にする。
だが我々のような仕事をしていると、逝去年令より、人生終盤の
生き方、終幕直前の生き方や、生かされ方のほうが気になる。
日本は世界一長寿の国と言われ、同じ長寿国と言われるスペイン、
スイスなどの実態は分りませんが、お迎えに行った病院等で時々
『これを生きてると言うのかな?』と感じる事も多い。
病室から聞こえるのは、機械の音とうめき声だけ・・・
話し声など聞こえない病室、数年前にも意思の疎通も取れず意識
さえなく点滴だけで5年以上生きた方のお迎えに行きしましたが、
『うーん・・・』というのが本音でした。
医学の進歩で寿命を延ばす努力や治療が進んだのは確かでしょう。
しかし家族にはお叱りを受けるかもしれないが、意思の疎通もで
きず、意識もなく、機械や点滴で生きている人、生かされている
人より救える若い命に医療費を掛けるべきでは? と時々思う。
また自分に置換えると、自分で何も出来なくなり、意思の疎通も
出来ず、意識もない状態で生き続けたいと思わない。
多分、多くの人が同じ意見を持つのではないでしょうか・・・
しかし現行の日本では一旦延命を始めると途中で停止できない為
だろうが、生かされ続けるのが現実でどうにもならない。
そう考えると心臓が止まる時を考えるより、自分の意志で動き、
話せる時をどう過ごすか、どう生きるかが大事に思えてくる。
石原裕次郎さん、美空ひばりさんのように日本を代表する俳優は
どちらも52才で終幕を迎えている。
太く短い人生は間違いない・・・本人がどう思ったかは分らない
けど、どんなに凄い人生でも52才での逝去は、さすがに早過ぎる
ように感じる・・・が、結果論であり、どんなにお金があっても
自分の意志では延ばせないのが寿命なのです。
人の人生にいつ幕が引かれるかは誰にも分らない。
極端に言えば担当医でさえ分らないし、当然自分では分らない。
それは今日訪れるかもしれないし、明日かもしれないし、数十年
先のことかもしれないと先日も書いたばかりです。
分りもしない終幕に脅えて生きるより、今を、これからを、どう
生きるかが前向きに生きるポイントではないだろうか・・・
だからといって、何か特別な事をするとか、大きな目標を持って
生きるとかではない・・・ 明日が来ることを信じ、今を、今日を
精一杯楽しんで生きる・・できれば自分なりの生き甲斐を持って
日々を過ごせたなら最高の人生終盤になるだろうと思う。
て過ごせるかのほうがずーっと大事』
葬儀の仕事をしてるから、普通の人より多く聞く言葉に『○○才
まで生きれば大往生だ』とか『いくつまで生きられるか?』など
終幕年令についての話しは良く耳にする。
だが我々のような仕事をしていると、逝去年令より、人生終盤の
生き方、終幕直前の生き方や、生かされ方のほうが気になる。
日本は世界一長寿の国と言われ、同じ長寿国と言われるスペイン、
スイスなどの実態は分りませんが、お迎えに行った病院等で時々
『これを生きてると言うのかな?』と感じる事も多い。
病室から聞こえるのは、機械の音とうめき声だけ・・・
話し声など聞こえない病室、数年前にも意思の疎通も取れず意識
さえなく点滴だけで5年以上生きた方のお迎えに行きしましたが、
『うーん・・・』というのが本音でした。
医学の進歩で寿命を延ばす努力や治療が進んだのは確かでしょう。
しかし家族にはお叱りを受けるかもしれないが、意思の疎通もで
きず、意識もなく、機械や点滴で生きている人、生かされている
人より救える若い命に医療費を掛けるべきでは? と時々思う。
また自分に置換えると、自分で何も出来なくなり、意思の疎通も
出来ず、意識もない状態で生き続けたいと思わない。
多分、多くの人が同じ意見を持つのではないでしょうか・・・
しかし現行の日本では一旦延命を始めると途中で停止できない為
だろうが、生かされ続けるのが現実でどうにもならない。
そう考えると心臓が止まる時を考えるより、自分の意志で動き、
話せる時をどう過ごすか、どう生きるかが大事に思えてくる。
石原裕次郎さん、美空ひばりさんのように日本を代表する俳優は
どちらも52才で終幕を迎えている。
太く短い人生は間違いない・・・本人がどう思ったかは分らない
けど、どんなに凄い人生でも52才での逝去は、さすがに早過ぎる
ように感じる・・・が、結果論であり、どんなにお金があっても
自分の意志では延ばせないのが寿命なのです。
人の人生にいつ幕が引かれるかは誰にも分らない。
極端に言えば担当医でさえ分らないし、当然自分では分らない。
それは今日訪れるかもしれないし、明日かもしれないし、数十年
先のことかもしれないと先日も書いたばかりです。
分りもしない終幕に脅えて生きるより、今を、これからを、どう
生きるかが前向きに生きるポイントではないだろうか・・・
だからといって、何か特別な事をするとか、大きな目標を持って
生きるとかではない・・・ 明日が来ることを信じ、今を、今日を
精一杯楽しんで生きる・・できれば自分なりの生き甲斐を持って
日々を過ごせたなら最高の人生終盤になるだろうと思う。
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