50代後半から感じ始め、60代になってより強く感じる『幸福感』

外に出て暑くも無く、寒くも無い、爽やかな風、爽やかな空気を

感じた時、独特の幸福感に包まれることがある。

若い頃は全く無かった感覚だけに、新鮮でもあり不思議でもある。

例えが難しいけど・・『生きてるんだなぁ~』ってのが近い・・・

何の悩みも心配もないから?

いやいや、昨日も話の中に出たけど、自宅の返済が毎月65才まで

結構な額で残っているし、まだ完全に自立できない子供達もいるし

あんしんサポートが赤字の月もあるわけで、自分の後は安泰という

には遠く及ばない現実、夜中に起こされ、時に徹夜になり、休日も

無いに等しい仕事だけに、肉体的に遠くない将来限界が来るだろう

ことは誰が考えても納得だろうと思う。 さらに自分の老後が安心

できる年金額ではない・・・ 

ひとつひとつ考えると何一つとして安心していられるものはない。

でも爽やかな風で感じる幸福感、生きてる実感とは何だろう?

そこで以前の自分と今の自分で、何が変わったのかを比較すれば、

もしかしたら!? 参考になる人がいるかもと書くブログです。

但し僕の仕事が亡くなった人、その家族を見る仕事なだけに一般の

人とは異なる感覚を有するだろう事はご理解ください。

① 良くも悪くも自分に嘘をつかず本音に近い部分で生きる

② やりたい事をして嫌なことは我慢をしてまでしない。頑張らない

③ 見栄、世間体、一般に言われる常識、など人目を気にしない

④ 自分の価値観を貫いてみる

⑤ 健康診断と定期健診は健康面の安心感を得られる

⑥ 今が食えれば良いじゃん的思考が強い気がする。 裏を返すと

  明日の事など考えても分らん。 お化けは出てから驚けば良い。

世間体や建前や人目を気にして、周囲と同じなら安堵する日本人的

感覚とは若干異なるというか、、オバタリアン、オジタリアン的な

感覚というか・・・羞恥心の無くなった人間ってことかなぁ・・・

言いかたを変えれば、酸いも甘いも噛み分けられる年ですかね。

世間体、見栄、執着を捨て、自分のしたい事を自分の価値観で行い

本音に近い部分で生き、寿命など考えても分らない事は対策だけを

して考えず、今を生きる・・・

『自己中』とも『悟り』とも捉えられる生き方もあるって事かな。

但し人に迷惑を掛けず、人に強要もしないと条件が付くと、我々の

ような年代、子供は巣立ち、夫婦、或いは自身の生き方だけを考え

れば良い環境になった人が出来る生き方・・・かもしれません。

以前から何度も書いている『葬儀とはなんぞや!?』を考えると、

生まれた直後に終幕を迎える人もいれば、10代、20代・・100才

以上の人生と様々であり、老衰もいれば病気、事故と死因も様々で

『人生とは、生きるとは!?』と繋がってくる。

しかし、どんな目標を持ち、どんなに努力しても各々の寿命がその

目標到達を許さない事もある・・・だから何をしても無駄と言って

いるのではない。 そこは勘違いして欲しくない・・・

人が生きる上で大小問わず、目標は絶対に必要なことである。

小学生の夢があり目標あり、それは学生、社会人、夫婦、親そして

老人と、どんな時代になっても持つべきものだと思う。

僕のような人生の最終章に入った人間だから、幼少、少年、青年、

壮年、そして老年に入ったから『生きている』を実感できるのかも

しれません。

ただ僕の言う生きているとは、息をしている事でなく、暗中模索し

ながらも、日々目標に向かえる気力と体力を有し、遣り甲斐を持ち

人様に必要とされ、生き甲斐いのある日々が送れているからこそ、

風を爽やかだと感じられ、夕日が綺麗だと感じられる・・・

そんな当たり前の事を幸せだと思えるのかな?  なんて思う訳です。

ってゆーか、旅行の終盤だから感じる旅行の楽しさを満喫したいと

思う心・・・に似ているのかもしれません。

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