今日は時間のある時に・・・って事で7名の代行散骨に行ってきました。

朝7時起床、シャワーを浴びて事務所に向かい、午前8時出発です。 国道17号を

北上し午前10時間30分専用散骨場に散骨、久しぶりに晴れた山間部は花粉が飛んで

いるだろう事は想像できますが、散骨場周辺の桜は全く咲いていませんでした。

 日々終幕を迎えたご遺体と接する仕事・・・時間に追われ、依頼に追われている

時は昼夜問わず、家族目線の葬儀を実現するだけで精一杯、疲れた身体をやっとの

思いで自宅まで運び、布団の中に入るとホッとする間もなく睡魔が襲ってくる。

暫し睡眠を取ると夜中に搬送依頼の電話で起こされ、忙しない時間が過ぎる・・・

電話が無くても、不思議と夜中に目が覚めるようになる・・・ある種の職業病!?

だろうかと思うほど、長時間連続の睡眠が取れなくなる。

 葬儀・散骨・法要・講演・事前相談と忙しい月は、1か月を60日分の仕事量でも

しているかのような生活が続くと、数日葬儀が無いだけでやたら暇に感じるのだが

同時に自分の年齢と体力を考えると、忙しすぎて良い事はないとも思える。

自分が60才を超えたからだろうか・・・ その姿は見えないほど遠い将来の事では

ないと思ったり、家族親族から聞かされた生前の姿や様子を聞いた記憶や思いが、

蘇ってくるのが、暇ができた時でもあります。

「生きるってなんだろう・・・」

「悔いのない人生ってなんだろう・・・」

「人生を精一杯楽しむってなんだろう・・・」

いつも自分が相談者に伝えている言葉なのに・・・ 自分でも分っているつもりの

言葉なのに・・・ 明確な答えはでてこない・・・ 

特に一昨日のような病気で天寿をまっとうできない状況になった相談者と接すると、

今の状況を何とか肯定したいと思っても、悔いは残るだろうと思えてならない。 

でもいつ病気になるか、いつ人生の幕が閉じるかも分らないわけで・・・

自分の終幕と考えると、死に対する恐怖もあるし、人から事業拡大が早いと言われ

ても、自分の中では思ったように進まない自己嫌悪というか、無念さとでもいうか、

今突然終幕が来たら、間違いなく悔いが残る自信だけはあるのが本音だ。

結局のところ毎日を一生懸命、精一杯生きるしかないでしょうが、何をもって一生

懸命とか、精一杯頑張ったと実感できるのか!? と自問してみて分った事がある。

 あくまで僕の場合ですが、自分なりに精一杯、家族目線を貫いて行う葬儀だとか

墓閉じしたいと相談を受ければ、一銭のマージンも取らず石屋さんに家族側として

料金交渉しているのはなぜ!? 儲けることより相談してくる家族を第一に考えて

動いているのは確かだけど・・・儲けを減らし、全く利益にならず、それでも動く

のってなんでだろう!? 単にお馬鹿なのか? その通りかもしれないが自問して

分ったのは『人から必要とされる事が好きというか、そこに生き甲斐を感じる人間』

なのだということ、僕の『生きる』とは人の役に立ち、人から必要とされることで

自分の存在価値が・・・自分が生きてる意味があると思っているようです。

 そう考えると、生涯現役で走れるだけ走り続けられる事が、僕にとって幸せな事

なのかもしれません。 これが60才時点での自分・・・ 65才になったらどんな

風に変化をしているのか、変わってないのか、自分の事なのに人は年齢とともに

どう変化する生き物なのか・・・興味はありますね。

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