昨日掲載したブログは、数日前に書いたものでしたが、一昨日

同級生と会っていると話しの中で聞かれた言葉がある。

「ところで何でこんな事してるの?どう考えても儲からないよな?」

初めは今まで何十回、何百回と聞いた言葉のように思えたけど

すぐに答えの出ない自分が不思議に感じながら、その場は笑って

「ほんとだよな、、なんでかなぁ」とくちにした自分がいた。

暫し談笑をし深夜自宅に戻って布団に入ると、さきほどの言葉を

改めて思い出してみる「何でこんな事してるの?」今まで数えられ

ないくらい答えてきた言葉だと思ったが違うことに気づいた。

今まで数えられないくらい聞かれたのは『しているの?』ではなく

「何でこんな仕事を始めたの?」というニュアンスだったのです。

だから簡単に答えられた、、、

『蒸発していた父親の死がきっかけ』

『人が死ぬのは自然の摂理、なのに何故お金が掛かる?』

『手元にお金が無くても焼骨にする方法はないだろうか?』

『リタイヤ者が義務の国保から5万円葬祭費として支給される』

『その5万円だけで火葬ができれば、、、』

これが大筋の流れなのは、ずっとブログを読んでくれた方とか

著書を読んでくれた方なら納得して貰えるでしょう。

でも「何でこんな事してるの?」には違った意味合いを直観した

から言葉が出なかったのだと思います。

布団の中で自分の人生を振り返っていると、正確ではないけど

何となく分ってきたものがあった。それをあえて言葉にするなら

『お金の持つ恐さを経験しているから?』という部分ともうひとつ

『お金が無い自分にやるせなさや、いたたまれなさ』を経験して

いるからかもしれないと感じた。

お金は自分を変えるし、他人も変えるし、親戚や家族を一瞬で

崩壊もさせる、、、だけど良い事も沢山ある、、、もろ刃の刃でも

ある事を否応なしに教えられたのが中学3年生の時に経験した

稼業倒産の前後で、これがお金の持つ恐さです。

今回は二番目に書いたやるせなさ、、いたたまれなさを知って

いるからかなぁって何となく、布団の中で思ったわけです。

有っても無くても良い物なら、お金が無くて買えなくてもどうって

事はありませんが、学校で必要な物や、旅行積み立て金など

期日までに用意できない時、、バイト代で賄えない時など先生や

同級生に言い訳をする自分がやるせなくて、その場にいることが

いたたまれない、、そんな経験を何度もしましたがラッキーなのは

中学や高校生の時だったから立ち直る時間もあったのです。

でも終幕を考える年代になられた方が、同じような環境だったらと

思うと世間から逃げたくなっても不思議ではない気がするのです。

それも自然の摂理である終幕なのに、、、というか、誰でも迎える

終幕だからこそ、その費用が無いとは言い難いはずです。

でも少ない年金の中から、家賃、税金、医療費、生活費を賄うと

とても貯金などできない人はいくらでもいます。

だからせめて終幕後の心配だけはしなくて良い世の中になって

欲しいと思うし、今はお金があっても、無一文になるか分らない

のが人生だと、明日は我が身なのだと、経験則から身体が覚え

ているのかもしれません。

こうして文章にすると、漠然としていた事が少しまとまりましたが

突き詰めれば、やっぱ周囲や家族も含め自分の為なんですね。

↓↓↓↓
  
にほんブログ村


ひとつひとつの葬儀を確認・反省・向上する為に書く実践日誌でもあり、

これから葬儀を
経験される方々が後悔しない為に役に立てたらとの


思いを込めて書いています。 宜しければクリックをお願いします