大晦日はいつもより少し早い時間に帰宅をすると、普段あまり見ない
テレビのスイッチを入れてみる。
格闘技、バラエティ、歌番組と各局ともに特番を組んでいるようでしたが
あまり見る気にならないまま、年越しそばを家族で食べてじっとしていると
コタツで暖まった身体を睡魔が襲う。
気が付くとあと40分ほどで年越しの時間になっていた。 元旦まであと
15分になるとNHKゆく年くる年にチャンネルを合わせる。
全国の寺や神社から二年参りの人達を映し出す中継をみると大晦日
なんだと少しだけ実感が湧いて来るから不思議だ。
僕らが子供の頃は、民放は全局同じ番組だったのに、今は全て違う
番組放送になった事で、正月の雰囲気も大きく変わってきたなぁ・・・
なんて思っているうちに画面に0:00 の文字が出て年を越した。
家族三人でおめでとうの挨拶をし、少しテレビを見ると午前3時30分に
毎年恒例の初詣に行くまで 暫し睡眠をとることにした。
午前3時を過ぎた頃、起きて防寒対策を整えると嫁いでいる娘夫婦も
到着し、初詣に出発・・・時刻は午前3時40分。
そのわずか5分後、息子の携帯が鳴り電話に出た彼の第一声は
「いきなりですか?」の言葉、、なんの事か分からないが、新年の挨拶
では無さそうである。
次の瞬間「今亡くなったんですか?」の声。すぐに車を道端に停車させ
暫し無言で成り行きを見守る家族・・・重い空気が流れる。
少し電話でやり取りがあって、確認してからもう一度電話をくださいという
息子の声を聞くと、すぐに車を自宅に引き返す。
帰りの車中に再度電話が入り、隣接市の国立病院までお迎え決定。
自宅に戻り家族を下ろし、我々は仕事着に着替えて出発、事務所に
到着すると搬送準備を整え、ドライアイスを取りに行き隣接市に向かう。
道は空いててスムースに走り、目的の病院到着、病院地下に駐車して
ストレッチャーで8階の病室へと向かった。
そこには家族3名が待っており、前橋まで元旦早朝のドライブ。
午前5時前橋市あんしん館に到着、安置、打合せ、化粧を済ませると
一睡もしてない家族は一旦自宅に戻り、少し休んでから夕方に改めて
来るというので入口の鍵を渡しておく。
午前11時、我々も自宅に戻って風呂に入り、おせちを食べる頃には
上州路を走る元旦駅伝も終盤に入っていた。
身体が温まり腹が膨れると、コタツに入ったまま少し寝てしまったようだ。
本日搬送のお葬式は4日夕方に行い、5日午前の火葬と少し変則な
葬儀となりましたが、これも、あんしん館ができたからできることです。
その後、あんしん館の確認や葬儀手配等を済ませ、元日の午後10時
改めて初詣に出かけました。 いつもは長蛇の列になる階段に人は無く
露店も全て閉まってて、毎年恒例の甘酒のお店も閉店していました。
帰りにコンビニで温まった甘酒缶を買い飲みながら帰ったのですが、
正月気分は全く無く、長い1月1日の一日は暮れたのです。
ところが1月2日もゆっくり出来ないことになるのです。・・・つづく
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『世間に通用する我流葬儀の勧め(仮題)』の下書き文章です。
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