【1月 ・ 2月】
内閣府から葬儀支援が認められ、個人として100 万円の助成金を
受けた事で、設立以来初めてパンフレット14万枚戸配し本も執筆。
全国からあんしんサポートを始めたい人が、前橋に来てくれた。
来社してくれた人達に必ず聞かれる「何で始めたのですか?」という質問
一人一人答えるのが大変で本を書き、製本したのも助成金だった。
ただ現実は5万円火葬の利益が出ないと分かると尻込みするようです。
でもお蔭で、地元前橋の人で5万円火葬の存在を初めて知った人達も
沢山いたことでしょう。 この時期、大事な事をひとつ学ばせてもらった。
あんしんサポートの運営は誰にでもできるものではないという事。
正直、僕に出来るなら誰にでも出来るだろうと思ってきましたが
どうもそうではないらしい・・・理由は簡単でもあり、難しくもある。
ようは、安い葬儀屋をしたい訳ではなく、いつでも家族目線の葬儀を行う
のが第一目的である為、中にはお金の無い人達だって沢山いる。
そこで国保(後期高齢者保険)から支給される葬祭費5万円で追加を
しなくても火葬式が出来るパックを作る必要があったのです。
だけど、どう計算しても利益は出ない・・・それどころか夜中に起されて
2人で搬送に行く事から始まり、搬送シート、ドライアイス15㎏での
安置、線香具一式、末期の水、死亡届けと火葬予約手続き代行をし
布棺が準備出来たら納棺、予約日時に霊柩車で搬送、火葬場案内、
火葬後は7寸骨壺一式、全日の人件費、消費税まで全てが揃っての
5万円火葬支援パックである。 改めて自分で書いても無理がある。
利益の出ない仕事でも、家族目線で数日間接するのだから、皆さんが
尻込みするのも理解できるし責める気はない。
でもこの現象をじっくり考えると、今は全国に広げるよりも葬儀内容や
料金の確たるものを創り上げ、地元群馬県内からしっかり根付かせる
事を最優先せよ!と言われているように思えてならない。
内閣府からの助成金は全国展開の本部作りでしたが、地元を固める
までの期間だけ待って貰うことにした。
【3月 ・ 4月 ・ 5月 ・ 6月】
この時期はチラシ効果もあってか最高1ケ月16施行となった月もある。
葬儀のお手伝いスタッフ等は別として、基本は2人だけで行ったので
僕自身の葬儀になりそうなくらい疲れた時期でもある。
最大の山場は、台風が直撃した6月19日、午前、午後と2つ葬儀をして
午後7時から納棺師、途中と最後に1件づつの搬送と安置だった。
朝はパラパラ程度の雨でしたが、午後式が始まる頃には暴風雨。
午後式終了と同時に搬送依頼で前橋に戻り、当時自社施設は無く
安置場所を探して、何とかご安置を済ませると、急いで湯かん納棺の
支度を整え葬家の自宅に向かった。
その頃は更に風雨は強くなって、車から出て家に入れば全身ずぶ濡れ
状態でした。
自宅に入り、湯かん納棺を済ませると、すぐに最後の搬送に向かった。
嵐の中の搬送で故人も可哀相だが、自宅に安置すると、くちを閉じて
化粧を済ませ、眠ったような顔になった頃・・・・気がつくと外は静かに
なっていた。
時刻は午前1時過ぎ、ご家族に聞くと台風はすでに通過していると言う。
午前2時、ご自宅を出ると夜空には星が輝き先ほどまでの暴風雨が
嘘のような静けさだった。
この時、2人で出来る限界を知り、人手を増やす必要があると学ぶ。
また一方では、あんしん館設置への動きが激しくなったのもこの頃です。
家主さん側から、安置施設、小式場を作ってはどうか? その費用は
家主さんが出し、数年間家賃に上乗せする形で対応してくれるという。
改めて試算すると、家主さん半分、あんしんサポート半分の計算となる。
それにしても改装費用を家主さんが出してくれる・・・そんな話がある?
結局、経営してきた美容室は、今まで頑張ってくれた店長にあげる形で
経営してきた株式会社は黒字のまま精算することになった。
【7月 ・ 8月 ・ 9月 ・ 10月】
法人の精算は結構大変である。 必要な資料は税理士さんに作成して
貰って、登記書類は全部自分で行った。
理由は簡単である・・・
単純に費用が掛からないから・・・ただそれだけの事。
でも実際に登記全てを完了すると、次回何かあっても、自分での登記が
比較的スムースに行えるようになるのだから、安易に人に頼らず
自分でやってみるのも良いと思える。
9月19日に移転した美容室がオープンした。
と同時に今まで美容室だった50坪の店舗改装が始まる。
ドンドン、バタバタとやたらやかましい日々が過ぎ、10月末日
法人精算が全て完了。
翌日11月1日から美容室は完全に僕の手を離れることになる。
23年間経営してきた会社が、スタッフだった人の手に渡り新たな
美容室人生を始めた・・・って感じだ。
これで、今まで頑張ってくれた人達に対し、各々自分の人生の
基盤を作れることになるだろう。
僕が経営してきた以上に育って欲しいものである。
市の検査、県の検査と入り、11月13日が最後の消防検査だった。
正直、どっちでも良いんじゃねぇの?って感じの部分もあるが、
正々堂々全ての基準をクリアした安置施設・葬儀場に生まれ変わった。
人材の部分は、10年間美容師をしてきた息子が加入する事になった。
動機と流れは実に偶然がもたらしてくれた。
かみさんの父親が今年3月亡くなり、その葬儀を客観的に見ていた
息子が関心を示したのである。
美容師を辞めるまで約半年間掛かったが、9月から3人になった事で
全ての準備段階から関われることになったのは彼にとって最良の形だ。
・・・つづく
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『世間に通用する我流葬儀の勧め(仮題)』の下書き文章です。
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