だから故人を供養しようと思う心が大切なのであって、供養に高い
費用が掛かるなんておかしな話、お金の無い人は供養できないって
事にもなる。 あり得ない。
ならどうすれば、どう考えれば良いかって事ですが誰でも簡単に分かる
んです。 『自分が故人だったらどうして欲しいか?』って考えれば
良いだけのことです。
ちなみに僕ならば『残した家族が心配』ですから、その点を主に考えます。
自分が居なくなっても奥さんや子供達家族が、毎日を元気に笑顔で
生き甲斐を持って生きてくれたら最大の心配事は無くなります。
もし僕があの世から家族を見られるとしたら、第一に人が生活をする
には何だかんだ言ってもお金は必要ですから、その点に不安は無いか、
自分の葬儀はどうでも良いから、生活費の確保を最優先して欲しいって
思うでしょう。
子供達は自分の人生は自分で切り開くものですが、奥さんは年令からも
難しいだけに、まずは奥さんの生活費確保です。
次に健康と、できれば老後は一人暮らしでなく、子供達と一緒に暮らして
くれたらと願うでしょう。
生前、自分を支えてくれた家族や仲間達が元気に暮らしている姿が僕に
とっては最高の供養になると思うからです。
まぁ出来れば時々僕の話題が出てくれたら最高でしょうね。
笑顔で語らう家族や仲間達を見ている僕自身も、きっと自然な笑顔に
なっているでしょう。 自然に出る笑顔は、心が笑顔だからですから、
それ以上の供養なんてあるでしょうか?って思います。
だからって僕の感覚を押し付ける気は毛頭ありません。
皆さんひとりひとりで、自分にとって最高の供養を考えておけば良い
だけです。 人によって価値観は違う訳で、一例を挙げれば500円の
財布もあれば、10万円のブランド財布もあります。 財布としての機能は
どちらも大差ないのに選択は人それぞれです。
また300円のラーメンと1000円のラーメンがあっても、300円のほうが
旨いと感じる人もいれば1000円だから旨いと感じる人だっています。
2つの例だけでもこんなに違うのですから、自分にとって最高の供養も
違って当然です。
ただひとつだけ間違わないでください。 価値観はあくまで自分の
意志で決めるものですから隣保、葬儀屋、宗教者、友人等の意見で
決める事ではありません。 但し家族は自分の意見を実行してくれる
人達であり費用を出す人達ですから、ちゃんと意見交換や話し合いを
しておくべきなのは当然のことです。
葬儀とはなんぞや、いわゆる葬儀の根源を考える時、誰からの目線
かによって違いが出るでしょう。
最も重要視するのは当然家族目線ですが、宗教者から、葬儀社から、
隣保から、親戚から、それぞれの本音目線はかなり違うでしょう。
建前なら故人の供養うんぬんと誰でも言うでしょうが、本音の部分を
少しだけ触れてみたいと思います。
これらは僕が葬儀施行をする中で見聞きしてきたものであり、全ての
人に当てはまるものではない事をご了承ください。
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『世間に通用する我流葬儀の勧め(仮題)』の下書き文章です。
これから葬儀の喪主や施主をされる方々にとって、後悔の少ない
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