この本を書いている僕自身、あんしんサポートを始める前というか、


裁判所から父親逝去の手紙が届き最期を看取ってくれた方の話しを


聞くまで、葬儀なんて全く無関心だったし、何となく忌み嫌ってきたの


ですから、多くの人は僕と同じような感覚なのでしょう。 


その頃の僕に『葬儀とはなんぞや?』って聞いたら『祭壇の前で、


お坊さんが読経して、みんなで焼香するのが葬儀じゃないの?』


こんな程度の認識でしかなかったはずです。 この感覚が間違っている


訳ではありませんが宗教儀式の一例に過ぎません。 


地域の慣習による違い、仏式、神式教会式など宗教の違いよって


儀式的には全く違う印象にもなります。


でも故人の死を受け入れ、故人を偲び、故人とお別れをするという


部分だけは、国や地域や宗教が違っても同じ感覚なのですから、


葬儀とはなんぞや?と聞かれたら『家族や親しい人達が故人の死を


受け入れお別れをする事』こんな答えが、葬儀の原点をシンプルに


表現した言葉だと思います。 


そこには、以前の僕が思っていたような形式的な葬儀など一切存在


しません。 ともに笑い、ともに泣き、ともに喜び、ともに苦労をした家族


との別れを、例えどんなに辛くても受け入れる為の時間・・・


その全てが葬儀なのだと思います。


病気や老衰で身体が衰弱し心臓が止まり、呼吸が止まる心肺停止


状態となり、全ての機能が停止すると、医師による死亡診断がなされる。


遺族は病室の外に出され遺体の処置がされ着衣を整えて貰い、薄く


化粧をして貰うと死亡診断書が渡される。


その後、ご遺体は自宅や安置施設に向かう訳ですが、最後の時を迎え


る前から家族にとっては別れを受け入れる時間は始まっているのです。 


その後焼骨の埋葬、散骨、保管などが済むと葬儀の全てが終了と


なります。


葬儀屋さんが言う「故人の供養だから・・・」「故人も喜びますよ・・・」等


故人が、、故人が、、故人の大安売りでもしているかのように・・・


本当にそうなのでしょうか? 先ほど葬儀とは『家族や親しい人達が


故人の死を受け入れお別れをする事』と書きました。


これを見て『確かに・・・』『その通りだ』と感じた方は分かるでしょうが、


葬儀とは残った家族の為に行うものです。


供養は故人に対し行う事でしょ? と言う人もいるでしょうが良く考えて


ください。 


故人の供養をするのは、故人が求めているからではなく、供養をする事


で家族が納得し、自身の心が安らぐからではないでしょうか? 


まぁ中には親戚がうるさいからとか、世間体があるからって人もいるで


しょうけど・・・それこそ故人のためではないのです。


葬儀は家族の死を受け入れる事ですが、もっと大切なのはできるだけ


短期間で残った家族が元気な笑顔で暮らせるようになる事だと思う。


・・・つづく

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『世間に通用する我流葬儀の勧め(仮題)』の下書き文章です。


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葬儀にするお役に立てればとの思いを込めて書いています。 


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