葬儀について・・・我想う
葬儀について・・・我想う
あんしんサポート設立時から更なる前進への基とし、
進むべき道への指針とすべき葬儀実践日誌
良くも悪くもあるがままの出来事、費用、内容を書き記すものなり


         

 平成30年09月03日・リニューアル
  • 24Sep
    • 1797. くよくよするな、能天気の勧め

      仕事にお金を求め、仕事に自己実現の夢を託し、精一杯頑張り続けた長い年月があった・・・頑張る年月を重ねるのに比例して増したのは、己の持つ能力の乏しさだったり、人を束ねる難しさや、資金力の問題、立てた目標が達成できない言い訳だった、足跡を改めて振り返ってみると、家が1軒残っただけで、家族との時間や関係、自分の時間など失ったものは大きいし、気がつけば人生の半ばを過ぎたことに気付いた。子供が巣立てば家も使わない部屋が増えるし、老人には狭い平屋が一番いいと、ようやく分ってきたのは50才を過ぎてから、生き様を考えるようになった。されど他に生き方を知らず、すでに経営者だったわけで、自分の事だけでなく、働く人達の事も考えねばならぬと暗中模索している時、八王子裁判所から父親逝去の一報、その後は自分の意思と違う方向へと流れた結果が、今日への出発点でした。それから3年は、猪突猛進というか、五里霧中というか、5万円火葬支援パックの完成のみを目指して走り、完成した後は僕自身より周囲に踊らされる時期が続きました。そんな日々を過ごす中、いくつか分った事がありました。1. 人の一生がいつ閉じるかは全く分らない事2. 人は間違いなく終幕が訪れること3. 人には天職というか適職が存在すること冷静に考えれば誰でも分かっている事なれど、その実は対岸の火感覚でしかありません。当時の僕は、自分の人生がいつまでも続くかの如く考え行動していたように思えます。また日々が仕事三昧で、何の為に頑張っているかさえも分らないまま流れてきたようにも思える。20代の頃に勤めていた会社の社長が、癌で亡くなったと聞いたとき、あの社長は何の為に頑張ってたのだろうと思いはしましたが、すぐに忘れてしまいました。しかし昨年、一緒に会社を大きくしてきた社長が66才で亡くなった現実を見たとき、その思いは一層強くなった。「自分の人生に後悔ないかい!?」「本当に幸せな人生だったか!?」「仕事以外でやり残した事はないの!?」死を目前とした彼に、そう聞いてみたかった・・・僕の憶測でしかありませんが、社長の性格から考えるに「武ちゃんだから言うけど、俺はもっと生きたかったよ」「仕事だけの人生、半分は満足、半分は後悔だな」「でも後悔ばっかりだよ・・・本音はな」きっと酒を飲みながら話したら、そんな風に言うだろう。社長も自分の死を考えないから頑張り続けたんだと思う。経営者としての能力は、僕の及ばない資質を備え、実行する行動力もある人でしたが、経営者である反面1人の男であり、夫であり、父親でもあるのです。経営者以外の部分では後悔は多くなったでしょう。僕自身のことに話しを戻すと・・・上の社長と同じような感覚で生きてた僕でしたが、幸いなんだと思うけど、葬儀の仕事に入り、本音で会員さん達と話し、その本音を実現する行動をしてきた事、また自分の加齢もあってか、自分の周囲の流れに沿って生き、頑張らずに、くよくよせず、食えれば良い程度の感覚と、嫌なことはせず、精神的な無理もせずに生きるのが一番だと考えるようになっていた。多分、今の仕事が天職というか、今までより適職だから建前はさほど要らず、先人がいないから好き勝手に道を切り拓ける自由さもあるからなのだろうと思う。先日葬儀をした家族に高校三年の息子さんがいた。彼は自分が家族を支えなければと、考えていたようだったので、こんなアドバイスをしました。「あと半年なのだから、今は卒業だけを考えること」「25才までは、やりたい仕事を色々やってみろ」「何度仕事を変えても構わない、やりたい事は全てやれ」「30才までに自分の生きる道が探せれば上出来」「30才から35才までに経営者かサラリーマンを決めろ」「40才になったら迷うことなく、自分の道を歩き続けろ」「そして、一番大切なことは」「自分の好きな仕事、一生を掛けられる仕事を探せ」「その間は、アルバイトでも良い自分の食い扶持確保」「それができれば、あとは何をやっても良い」横で聞いてた母親とお婆ちゃんも頷いていました。実際はこの続きがあって、「40才過ぎたらくよくよするな」「仕事を頑張るばかりが人生じゃない」「自分や家族の人生を大切にし能天気に生きる」「これも生き様のひとつなり・・・」60才を過ぎ、人生の終盤になったから分ることもある。頑張るだけが人生じゃない・・・くよくよせず、能天気に生きる・・・そんな人生もありだし、ある意味、お勧めの人生です。にほんブログ村誰もが終幕後の費用を心配する事なく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えてたか嘘のつけない自分日誌でもあります

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  • 23Sep
    • 1796.  おにぎり持って湖畔で食べてきました

      昨日は入会相談者が、予定より1時間早く来館された為午後2時30分、おにぎりを持って車で1時間ほど走ると榛名湖畔に車を停めて、おにぎりを食べてきました。突然言われた千明は、おにぎりを7個作り、頂きもののきゅうり漬け、鮭のフレーク、いかめんたい、ミョウガ酢漬け、海苔とお茶を用意してくれました。何度か千明のおにぎりを食べましたが、やたらでかい、、本人曰く、今日は小さく握りましたと言ってましたけど僕が見ると、やっぱでかいです。母親のおにぎりが大きかったようで、その影響かも・・・写真は榛名富士と榛名湖、遠くに湖畔の売店とレンタルボートが写っています。出発時は曇り空でしたが、到着した湖畔は写真のように晴れて、車の窓を開けて、山の空気と一緒に食べました。子供の頃、父親に時々連れてきて貰った湖で、50数年後自分で来て食べるおにぎり・・・懐かしさもあるし、僕にとっては最高のご馳走です。初めて食べた千明も旨いと言ってました。食べ終わると、帰りは伊香保温泉側から降ります。伊香保は人が多く、ホテルは満室の文字がいくつもあり凄いなぁと思ってたら土曜日でした。そのまま水沢を周って降りると、途中『鹿火屋』の文字里芋を数個串に刺して焼いて、味噌だれを塗ったもので1串300円、お腹は一杯でしたが懐かしさで1本づつを食べて、帰る途中のパチンコ屋さんで5円スロットして夜10時に戻ってきました。午後2時まで普通に仕事でしたが、時間が空いたときはちゅうちょせず手軽な行楽や楽しみやドライブをする。この感性を老人や老夫婦は持って欲しいと思う。レジャーと聞くと、前もって計画を立て行くものと思い込んでいる人が多いけど、それだと月に1度がせいぜいじゃないかな・・・ だから計画なんて立てなくて良い『今日は天気が良いから、おにぎり食べに行こう』『温泉場まで日帰り温泉に入ってこよう』『ディズニーランドで散歩してこよう』『たまには映画でも見に行こう』或いは我々のように『春はイチゴ狩り』続いて『さくらんぼ狩り』夏は『鮎の塩焼き』なども良いでしょう。大きな楽しみも良いけど、いつでも行ける小さな楽しみ、そんな毎日を過ごす事をお勧めします。出来ればカメラを持って、お互いを撮り合ったり、その場にいる誰かにお願いして2人で撮って貰いましょう。後日、食事をしながら、お茶を飲みながら楽しむこともできるし、どちらかが出掛けられなくなった時、写真で懐かしむ事もできるし、良き思い出を心に刻めるはず、、日々の生活とは、なんて事のない毎日の繰返しです。だからこそ、そんな日々をつまらん毎日にせず、小さな楽しみの日々に変えるだけで、人生を楽しめるって事になるんじゃないでしょうか・・・にほんブログ村誰もが終幕後の費用を心配する事なく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えてたか嘘のつけない自分日誌でもあります

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  • 22Sep
    • 1795.  心の中は晴天続きの10年間

      9月に入って秋晴れの日があったかなぁ・・・と考えるほど曇りや雨の多い前橋ですが、昨日21日は雨も降って寒くてジャンパーを着て過ごしました。季節が1ヶ月くらい前にずれてる!?そんな感じさえする近年の天候、お年寄りや身体の弱い方々は季節の概念にとらわれず、寒ければ1枚着て熱くなったら脱げば良いと着られる物を1枚持って出かけたほうがいい気がします。本日22日は友引、今月はようやく身体が空きました。特別忙しい感じがするほど重なってはいませんが、搬送、安置、葬儀が次、次、と空くことなく入ってたせいかもしれません。 気がつけばお彼岸になってました。9月初旬の葬儀は相当前の事のようにさえ感じます。昼夜関係なく、曜日も関係なく、当然ですが休日もなく、時に寝る時間さえもなく1年を過ごすからでしょう。僕以上に時の早さを感じているのが千明のようですけど、とにかく1年間が「あっ」という間に過ぎます。53才で設立した『あんしんサポート』は周囲は勿論の事ともに始めた千明の予想では、食えるようにはならない、もし月に5件も依頼がきたら最高と思ってたそうです。2030年に向けての時代予測は、概ね間違って無かったということでしょう。ただ未来予測に無かったわけでは無いのですが、自身の老いについては少しづつ実感するようになってきました。周囲の同年代と比較すれば、10年以上若く感じる人のほうが多いようですが、どう見えたり、どう感じようが現実は現実であり、事実は事実です。気づけば1年が過ぎ去ってる毎年は、充実しているとも言えますし、当人達にとっては何処か『もったいなさ』さえ感じるのが本音です。1年が倍あったり、1日が倍あっても良いと感じます。かといって暇でやることが無ければ、1年間は長く感じられるかもしれませんけど、充実とは無縁でしょう。個人的には暇な時間の上手な過ごし方を知らない奴ですから、今のようにバタバタしながら生きてるほうが性に合っているし、貧乏性なのでしょう。定年後の人、定年を迎える人、仕事の無い人は、うちと同じような事をしたらいいですよ。忙しくて自分の時間さえ無くなるし、人には喜んで貰えるし、多少の収入もあるし、ついでに生き甲斐も持てる。もうひとつおまけに、会員さんが我々の身体の心配までしてくれるから、毎月検査するようにもなる。僕自身は自己満足でしていますが、周囲は「人助けだと」言ってくれるのですから最高でしょ!?心の中に雨が降ったり、曇りの日など小さな事は色々とあったでしょうが、基本いつも晴天で、1年1年が早過ぎるほどの充実感で過ごせた10年間であり11年目です。人とは不思議なもので、時間がないと奥さんの事を気に掛けたり、優しくなったりするし、千明も母親と食事に行ったり誕生日を一緒に過ごしたりするようになる。その結果なのだろうが、周囲との関係はより良くなる。また周囲も今まで以上に気を遣ってくれるようになって更に良い関係になる・・・好循環ってことなのだろう。ときたま自己満足で始めた仕事が他人の役に立てた事で我々自身は充実するし、周囲とも円滑に過ごせている。俺って恵まれた人生を生きてるなぁ・・・って実感する。さてと、今日は午後2時から入会相談があるけど、他に無かったら、おにぎり持って何処か景色の良い所に行き食べるつもりで、千明の実家で採れた米を炊いてます。曇り空だから爽やかな秋の風とはいかないけど、景色を見て綺麗と感じる余裕が普段は無いですからね。にほんブログ村誰もが終幕後の費用を心配する事なく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えてたか嘘のつけない自分日誌でもあります

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  • 21Sep
    • 1794. 長寿は本当に良い事なのだろうか・・・

      一般的に長寿は良しとされ、喜ばれ称賛される事が多いだろうと思いますが、我々のような仕事をしているからだろうが、本当にそうだろうかと考えさせられる場面に何度も出くわしている。年老いて独居生活になり、少額年金だけで暮らす老人は人生を楽しめと言われても、先立つものが無いのだから実際は難しく、外出さえも厳しい現実だろうと思う。内閣府の調査では、2030年の独居老人予測は730万人にまで達し、女性485万人、男性245万人としている。また老夫婦だけの所帯は2015年現在、57%と高くなり同居は39%でしかない。親子で一緒に住め、三世代が同居しろと言ってみた所で何の解決にもならないでしょう。何事にも表があれば、裏があるように、光があれば当然陰の部分もあるわけで、医学の進歩や施設の充実で平均寿命は上昇していますが、自分の意思で生きたいと思い頑張って生きようとしている人は別として、生かされているとしか思えない人や、死ねないから生きている人にとって厳しい世の中になっている気がする。平均寿命が上がったと、メディアは慶事のように言うが本当にそうだろうか・・・人の死や死後に接する機会が多いだけに本人、家族、死後費用を出す人達の裏側とも言える現実を日々見て、金銭的な相談も日々受けている僕には疑問が湧いてくる。あんしんサポートホームページ動画の中で、高橋さんも語っているが・・・『誰にも迷惑を掛けず、何も残さず逝きたい』現実は難しいけど、この感覚はよーく分かる。或いは、あとに残る家族の生活が心配な対象者もいる。相談に来る方の中には、家族の死を親戚や近所に知られたくないとくちにする人は意外に多い。これを分析すると・・・》普段から行き来の無い親戚は葬儀に来て欲しくない》今は近所付き合いも希薄で葬儀に来て欲しくない》家族だけで送りたい》財布事情に余裕が無い・・・重複もあるでしょうが、こんなところでしょう。両親揃って施設に入っているとか、長年施設でお世話になってる家族の財布事情は深刻で当然と思えます。1人月額15万円の施設入居費なら、年間180万円です。更に医療費、被服費、お小遣い等々が必要です。10年間で2.500万円が最低でも必要です。(特養8万円なら1人1.600万円ほどでしょうか・・・)両親ならこの倍額が必要ですが、年金だけで足りる人のほうが少ないですから、家族が負担することになる。不謹慎な言い方ではありますが、逝去後の家族の本音が『ホッとした』でも不思議ではありません。当人も生きる事に喜びを感じるわけでなく、家族の生活にも支障が生じる現実なのに、綺麗事と、建前論だけで長寿を美化するのが本当に良いことなのだろうか・・・また死後の葬儀に於いても、豪華で高額な葬儀を優しさとか、親孝行とする考え方も疑問だし、それを先導する葬儀社や僧侶にも大きな抵抗感がある。そんな無責任な霊感商法を当然のように語り、さもさもそれが常識かのように語る人達にも抵抗感がある。自分の知る世界だけが全てでなく、建前で話す言葉だけでなく、その裏には本音がある人達だって沢山います。いつもの事ですが、今回の話題も反論する人も沢山いるだろうけど、同感する人達も同じように沢山いる。僕は全ての人を対象としているのではない。他人事の世間や親戚や隣保がどう言おうと、僕は家族の本音に正面から向き合った活動を貫いてきたつもりだし、これからも今の姿勢を貫き続けることになるだろう。にほんブログ村誰もが終幕後の費用を心配する事なく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えてたか嘘のつけない自分日誌でもあります

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  • 18Sep
    • 1793.  勘違いしてる葬儀屋さん

      今月は徹夜はさせられましたが、忙しくもなく、暇でもなく、2日に1施行ペースで流れています。ある葬儀屋さんは「何処も暇らしいですよ」と言ってた。中にはうちのように、低料金で施行してる葬儀屋さんもあり、あんしんサポートと料金にそれほどの違いが無いのに、依頼される数に差が出る理由が分らないというか・・・解せないようです。きっとブログを見てる葬儀屋さんも、同じように感じている人もいると思うから、何が違うかを書いておきます。《 料金が第一ではない 》一番の勘違いは料金だと思ってる葬儀屋さんが多い事で、どうしても低料金に目はいきがちですが違います。料金で言うなら、何処よりも安くなければ意味はない。ちょっと考えれば分ります。例えばMSサイズ玉子10個入りを買うと思って下さい。A店では108円、B店では99円だったら、安く買いたい人なら多少遠くてもB店まで足を運びます。9円しか違わないじゃない・・・は店側の感覚です。ところが、玉子だけでなく他の商品の品質も良く、平均して安い店なら、108円でも買うはずです。或いは鮮度が良い、旨いなども価値観のひとつです。葬儀で例えるなら、うちと同料金だとして、内容だけでなく人間性や考え方、人柄などの全てに満足できるなら「これで、この料金は超安いよ」とまで言ってくれる。しかし同じ料金でも、他が家族目線から外れていたなら「まぁ、こんなもんじゃないの」と変化するはずです。この両家は、葬儀後どんな言動をするでしょう。上の家族なら「あそこに相談してごらん」と勧めますが、下の家族なら勧める事はしないでしょう。勧めて嫌な思いをしたと言われるのは、それこそ嫌です。だから、同じような規模の葬儀屋で、あんしんサポートより高額な料金設定だとしても、うちより依頼数の多い葬儀屋さんは、いくらでもあるはずです。地域の葬儀社数、葬儀料金相場によっても異なりますし、無い物ねだりは嘆いてみても始まりません。葬儀屋さんから見れば、うちのような葬儀支援センターが無いだけ同じ土俵で戦えますから良しでしょう。特に低料金で施行している葬儀屋さんで、思っている程依頼数が伸びないとしたら、次の部分を再確認してみるべきだと感じます。1. パック等の料金は追加も含め全てが明確ですか? ・不明瞭な料金体系が葬儀業界不信の元凶です ・追加必須のパックは自分の首を絞めてるだけ2. 使用する葬儀品は誰が見ても違和感の無いもの? ・安かろう悪かろうも自分の首を絞めるだけ3. 家族が本音で相談し易い人ですか? ・あなたが、、でなく、家族から見てが大事 ・葬儀以上に葬儀後の生活や手続きのほうが大事4. 安置施設は持っていますか? ・式場は無くても安置施設が無いのは致命的です 5. 逢える安置はありますか?(料金追加で構わない) ・逢いたい家族に対応できなきゃ意味はない6. 高額になるよう選ばせるパックじゃないよね? ・少しでも高く、、なら最初から低料金なんてよせ7. その家族に最善の葬儀を提案していますか? ・この感覚、家族にとってすごーく大事で有難い8. 時にパックに無い葬儀も提案していますか? ・余裕の無い家族だからこそ必要な感覚です9. 利用者からの紹介率が高いですか? ・紹介数、紹介率は評価のバロメーター ・ちなみに、あんしんサポート90%以上が紹介入会そして最後の項目ですが、これが一番大事な部分です。『経営者の明るさ、優しさ、言い易さ』そして『いつでも家族以上に家族目線で対応してくれる人』であったなら、特別低料金でなくても依頼はあるはずです。昔はどうであれ、誇大広告、誤魔化し、嘘つき、さらに霊感商法が通用する時代ではありません。1軒の葬儀で貪った利益より、失墜させた信用のほうが遙かに大きく、葬儀の度に自分の首を絞めるだけです。料金以上に葬儀の中身や人間性を優先させるべきと思う。また唯一この部分が資本力の差があっても勝てる部分で建物から始まり、設備類に関しては資本力のある葬儀社には到底勝てません。建物や設備が足元にも及ばないのに、スタッフの対応や印象、人間性も劣ったら、どう考えても無理でしょ・・とにかく自分自身を客観的に家族目線で見直してみるか他人に評価して貰うべきだと思う。それが唯一のスタートラインじゃないかな。あんしんサポートが低料金設定しているのは、依頼数を増やしたいからでなく、様々な事情で全く余裕の無い時、葬儀をせざるを得ない家族の為であり、どんな家族でも選択肢があるべきと考えているからです。いつも言うように・・・『誰もが死後費用の心配をせずに済む世の中にしたい』そう・・「誰もが」と謳うからこその対応策なのです。低料金で頑張ろうとしている葬儀屋さんは、零細企業が主なはずです。 じゃ無かったら経営は成り立ちません。また利用者の為に・・・という感覚を持っておられるでしょうから、そんな思いを持つ葬儀屋さんが全国全県で活躍してくれたら、地域の人達は助かるはずです。その為の力添えならいくらでも応援します。但し僕の力量でも可能なこと限定ですけど・・・にほんブログ村誰もが終幕後の費用を心配することなく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えていたか嘘のつけない自分日誌でもあります

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  • 17Sep
    • 1792.  難しい葬儀でしたが、温かく送れた

      先月末に掲載した40代の男性が事故後18日間頑張って亡くなり、一昨日15日、友人とのお別れ会でした。大黒柱的存在だった息子の死で、奥さんと息子と両親の生活が突然、お先真っ暗になったのは分っていただけに、抑えるよう伝えるつもりでした。入院後、医師から今日明日と言われ、あんしん館に来てくれた際、今年1月お婆ちゃんの葬儀をした事もあって全てお任せしたいということになりました。お母さんは病室に毎日見舞いに来てくれた中学生からの友達と最後のお別れをさせてあげたいと言う・・・宗教者を呼べば、費用は掛るし、清めの料理を準備することになるし、今の段階では新聞掲載し難い事もあるし香典が計算ができない中での見切り発車は、赤字葬儀の可能性もあります。今回の葬儀で僕の中にある主目的は・・・『家族の出費ゼロ、できれば最大50万円残してあげる』そこで最も難しい葬儀の選択をしました。宗教者は無く、特別何をする訳でもなく1時間半を使うお別れ会葬儀、葬儀では最も難しい葬儀への挑戦です。幸い過去に数回施行している事、先月キリスト教の葬儀経験をして間もない事もあっての決定です。病院から自宅に安置、午後式の朝まで1日半は、家族や親族で送る時間とし、お別れ会では賑やかに送ってあげたいと言う友人達主体にしようと考えました。90kg近い体重であり、自宅への運び入れに友人を呼んで貰い、安置後に友人達と打合せです。当日午前11時自宅に伺い、家族親族での納棺を済ませ霊柩車で自宅出棺、斎場に入ると式場祭壇をカーテンで隠しお別れ会のセッティングを済ませる。午後12時45分頃には訃報を聞いた友人、知人で結構な人数が集まってきた為、家族親族から焼香、生花を棺に入れてお別れの儀をスタートさせた。ところが家族親族、続いて友人知人と生花を入れ終わる頃に時計を見ると、まだ午後1時前・・・さて、どうするか、、時間が余ってしょうがないか・・すると友人達から普段の葬儀と流れが違い、焼香された人達がどうして良いか分らない様子だと聞かされた。すぐに待合室に行き、今回の葬儀までの簡単な流れ等と今回の葬儀の趣旨を話すと、理解してくれたようです。その後は花で一杯になった棺の中に、友人達が用意してくれた『大量の唐揚げ』『フライドポテト』『Bigチョコレート』『パンや菓子類』更には、いつも飲んでた処の『蟹味噌』を甥や姪の子供達と笑いながら、騒ぎながら棺に入れたり、吸ってたタバコを加えさせたりしながら、また友人達と一緒に出掛けた数々の海外旅行写真も掲示したことで、あちこちで盛り上がった時間となった。気付けばすでに午後2時を回り出棺の準備に入る。最期は棺の近くに集まって貰いいくつか話しをする。『供養とは、最高の供養とは』『収骨は出来れば手で入れたいもの』『葬儀は大事、でも残る家族の生活はもっと大事』『大黒柱にとって残る家族の笑顔が最高の供養』等々の話しを10数分した後、棺を閉じたが、不覚にも僕自身が涙した事で先ほどまで笑って騒いでくれてた甥姪が全員泣き出し、会場全体を涙させてしまった・・・凄いと思ったのは、火葬に入り、収骨まで殆どの人達が残って拾骨した為、家族親族関係なく「一人ひとつだけ」と拾う焼骨を初めて制限することになった。葬儀後、家族親族、友人知人の皆さんが、温かくていい葬儀だった、こんな葬儀の方法もあるんですね、意味の分らない読経よりずっと良いと口々に言い、僕にお礼の言葉を皆さんが掛けてくれた事で、難しい葬儀を何とか温かく送る葬儀にできたとホッとしました。予定より少し多く残せてあげられ、納骨費用まで全ての予算組ができた事で、翌日集金に来られた家族に伝えたのはこんな内容でした。「納骨は家族と親族の一部と親友達だけにして、納骨が済んだら食事でも出してお礼を伝えたら如何ですか?」その後暫し、家族と雑談をし、何度もお礼を言いながら帰っていかれました。8月末からずっと気掛かりだった葬儀だったし、難しい葬儀の選択をしただけに予想以上の内容になってくれた事でホッとしたり、疲れがドッ出たりです。にほんブログ村誰もが終幕後の費用を心配することなく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えていたか嘘のつけない自分日誌でもあります

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  • 16Sep
    • 1791. 低料金実現のカギは『考え方』と『スキル』

      業界の人達から驚くほど良く聞く言葉がある。『あんしんサポートの料金ではやっていけない』といった趣旨の言葉ですが正直なところ理解できない。経営の神様と言われた松下幸之助さん、本田宗一郎さんなど素晴らしい経営者の中で、最初から儲けを考えてた人を僕は知らない。儲けたくて松下電機を創立した訳でなく、ホンダ自動車に於いても同様だと思う。世の中の人達が求めるものや、要望や願望を形にしてきた人だから、結果として経営の神様と言われるほどになれたのだと思う。それが全国民の支持を得られる事業なら、大金持ちにもなれるでしょうし、第二の松下幸之助になれるかもしれないが、あんしんサポートのように特定の人だけ対象で尚且つ求める人達が沢山いて、超薄利だけど薄利多売ができない業種は、お金持ちにはなれませんが、利用者は喜んでくれ何とか食えるくらいにはなれるって事かなぁ。僕らが先人経営者から学ぶのは、自己満足ではあるけど一般市民が望んでいる事を形にする事、その点に確信があるなら成功するまで諦めない事でしょうか・・・今思えば、あんしんサポートを設立したいと研修に来た人達の大半は、僕とは違う根底に立ってた人達です。『話題の人になりたい』『葬儀は儲かるだろう』というのが一番最初にくる人達ばかりで、一年365日24時間の全てを仕事に費やす気概の無い人達だったと思う。更に最低料金の直葬だけでは到底食えません。そう考えると、もし遣り抜く覚悟の無い人達が設立をしあんしんサポートの名を使ったら、すぐに閉鎖するしか無いでしょうから、汚名だけが残る事になるでしょう。安易な設立が出来なかったのは幸いと言えます。僕は少し安い葬儀社がしたいわけではありません。『誰もが死後費用の心配をせずに済む世の中にしたい』のが根底であり『誰もが』とは余裕の無い家族も同じ事ですから、最低限の料金設定をする必要があります。最低限では儲からないから、あれも付け、これも付けてある程度の料金まで値上げするのが葬儀社の常套手段であり最も簡単な方法です。しかし、それでは誰でもが対象とはなりません。本当に必要な最低限の内容とし、料金も最低限の設定をするわけですが、追加不要でなければ意味がありません。問題はこれを実現する方法論です。難しい事ではありませんが相当の覚悟は必要です。1. 目的を達成し存続させる覚悟が出来るか!? ・年中無休 ・酒は飲めません ・増員しません ・相談、搬送から最後の掃除片付まで全て自分で行う2. 目的達成に必要な事は外注無しのスキルを得ること ・葬儀だけで食えないなら、別収入を得ても食う ・但し葬儀関連の仕事が大前提(他で稼ぐのは無意味) ・料理、返礼品、生花以外は全て時前で対応すること ・近未来予測し利用者の増える事業を人より先に行う3. いつ、いかなる時も、ブレない、揺るがない理念 ・理念から外れる人の依頼は受けない ・理念から外れる宗教者を望む家族の依頼も受けない ・売上より残る家族の生活を最優先した提案のみ行うこれはあくまで、僕のしている事でしかありません。読んで頂ければ分りますが、多くの目的を達成する為のスキルや考え方等はいくらでもあり、常に挑戦の連続で成功もあれば失敗も繰り返している現実です。でも目的はハッキリしてますから、成功するまで続けているだけの事です。そしてもうひとつ・・・僕の発想には食える、食えない、儲かる、儲からないというのがありません。まず目的とする内容、料金を達成し実践した上で、それでは食えないと分った時、初めて料金の変更だったり、違う切り口での変更を考えます。それも1件2件でなく、一定数施行すれば食えるであろう最低限の料金設定とします。そうした上で値上げが実施されたとしても、会員さんが料金に対しクレームを言ったことは一度もありません。 会員さんから、もう少し料金を上げても良いのでは・・という話しは何百回と聞いていますが、それでも値上げしたくないのは、最下層の人でも利用できる内容である事が『誰もが』という事だからです。こんな風に書くと難しい事のように感じるかもしれませんが、10年間続けているのですから誰にでもできます。すると、代表は別格ですよ・・と言われる方もいますが、なら、あえて言わせて貰えば、千明は極普通の凡人です。彼女も10年間続けている一人なのです。参考になるか分かりませんが、これを読んで全国全県の人達の中から意を同じくする人達が、一人でも多く立ち上がってくれたらと思い書いてみました。にほんブログ村誰もが終幕後の費用を心配することなく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えていたか嘘のつけない自分日誌でもあります

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  • 13Sep
    • 1790. 文字サイズは大きく、分かり易く表示

      メガネを掛け始めて28年になる。きっかけは起業した35才の時で、年令より若く20代に見えると言われたが経営者に見えず、2軒のホテルで婚礼美粧室を経営していた事もあって、少し貫禄がでるように髪型を変え、メガネを掛け、あえて老けて見えるようにとしたのが始まりでした。当時、雨の夕方などは少し見難い程度でしたから、メガネ不要状態だったのに、どうせなら良く見えたほうが良いと度を入れたのが失敗でした。そこから階段を落ちるように視力は下がり続けました。今では0.04の乱視にまで低下しています。ただ、信号待ちでメガネを外すと花火みたいに綺麗です。視力の低下で何が大変って、メガネが3種類必要なことでパソコン用、室内用、運転用と別々のメガネが必要です。パソコン用は近くは見えますが、少し離れるとボケます。室内用はパソコンと遠方がボケます。運転用は遠方もある程度見える度が入っています。一昔前なら牛乳瓶の底のようなメガネだったでしょう。視力検査の一番上にある大きな文字は全く見えません。昔は、あんなでかい文字見えないって冗談だろって感じでしたが、今となっては冗談でなく本気で見えません。老眼も入ってるはずですが、それ以上に近視がひどい、、でも老人が虫眼鏡で見たり、文字が小さいと見えないっていうのは現実として分かるようになりました。うちのホームページやパンフレットに興味がある人達って圧倒的多数は老人です。》老人は小さな文字は読めないし見難いと読まない》文章の理解力も低下しており分かり易い表記が必要そこでホームページ、ブログ、パンフレット等で使用する文字サイズは19px、15pt、要素4まで大きくし、更にはWindowsのパソコン用にメイリオをフォントファミリーのトップに記載してあります。 太目で見やすい書体です。またパック内容や単価など記載方法は、素人が見ても分るよう。誤解が生じないよう注意してます。特に追加料金が発生する条件は明記し、お年寄りが見ても理解し易いよう変更し続けています数か月前、ホームページは完全リニューアルをしたばかりですが、更に簡潔に変更したのが今のホームページです。街中を走ってると、様々な店の看板や店名を目にしますが皆さんは読めない店名や、店主の自己満足でしかない看板など見掛けることはありませんか?その代表が美容室名と葬儀社名です。横文字を並べたら格好いいとでも思っているのか!?って思う美容室はいくらでもあります。最近の葬儀社も同様で、当て字では無いのでしょうが、、読み難い漢字名の葬儀社が増えています。ちなみに。。。葬儀に対する『安心』を『支援』で『あんしんサポート』であり建物は『安心感』である『あんしん館』です。ここまで単純で無くても良いと思いますが、社名ってのは会社が大きくなったり、有名になれば普通に聞いたら変な名前だとしても大抵の名前なら良い社名になるものです。一流企業の社名をひとつひとつ思い出せば分かります。以前はホームページ内に理念や考え方など様々なページに記載しましたが、その点はブログを読み進めて頂ければ、より詳細に、より明確に立ち位置や目線、理念に至るまでご理解頂けるでしょうし、うちで葬儀をされた家族からの本音以上に明快で正確な評価は存在しないでしょう。人が老いると、若い時との違いが色々出てきます。まだ自分では感じませんし、周囲も感じないようですが、お年寄り達が独特の歩き方をしてたり、ゆっくり歩くのも老化現象のひとつなんだと分るようになってきました。僕自身の老いは、老人の現実を言葉だけでなく、理解してあげられるメリットにもなるはずです。また60代、70代の人達が元気ハツラツとして、キビキビ動き回る僕を見ることで、同年代の人達が自分も老け込まず、元気で頑張らなねばと思って貰えるような、年を重ねたいものです。にほんブログ村誰もが終幕後の費用を心配することなく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えていたか嘘のつけない自分日誌でもあります

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  • 12Sep
    • 1789.  うちの事前相談は保険か元気薬のようなもの

      昨日はホームページが表示されなくなり、サーバー表示されるまで待機してた午後10時過ぎ、事務所の電話が鳴った『あ、搬送だ』と思ったが転送された電話で対応している千明の受け答えから、会員さんではなさそうだ。今なら依頼は受けられるが、非会員は+2万円だと伝えたり、存命中なら明日の午前10時~午後7時に電話で予約してから相談に来て、我々の考え方を聞いて納得ができるか、家族の希望と合致できるか確認をしたほうが良いと伝えたようです。そして今朝10時、電話が鳴り相談に来られた。対象者はお母さん、その息子さんが来館された。昨夜電話をしたのは、息子が相談した会社の人から更に紹介された社会福祉士のようです。多分あちこちの葬儀社に電話して、一番低料金で可能と思える葬儀社を探したのでしょう。初めに一般の葬儀社とは考え方が全く違う事を始めとしあんしんサポートの基本姿勢を話す。墓はないとの事、69.000円直葬と100.000円ぱっく60双方を説明するが、もしもの時は病院への支払も残るし今は火葬だけをし、遺骨は自宅に置き、余裕が出来たら5万円の散骨+永代供養墓33回忌まで納骨パックを利用すれば良いのでは・・・と話す。とにかく後の生活ができなきゃ話しにならない。周囲は色々言うかもしれないが、僕らに相談すればいい実際に葬儀をするのは我々だから、無理はしなくて済むはずだよと言うと、目を赤くして頷いてました。正直、事前相談といっても葬儀社毎に全て違うはずです。我々は事後の生活を最優先し、今の現実で無理をせずにできる葬儀を提案する事で、この先を安心して過ごせるよう様々なアドバイスをするのが事前相談ですが、単に入会者獲得目的の事前相談や、満足な見積りさえも出さない葬儀社も結構あるらしいが、それが事前相談か!? って思うのが本音です。また家族に於いては、何で直前まで放っておくかなぁ・・僕は葬儀社の対応を全く知りませんが、うち限定で言うなら、とにかく早く相談に来るべきです。お金が無いなら尚更です。早ければ最低限掛る費用も事前に分るわけで、その為にどうすれば良いか考えられるし、不安な日々を過ごさず済むのは精神的に大きな違いだと思う。とは言ってみても、うちと同じスタンスで話しができる葬儀社が全国にどれだけあるだろうか・・・間違いなく数える程度しかないでしょう。せめて各県に1軒で良いから存在してくれたら、葬儀の心配をせずに生きられる家族は沢山いるだろうと思う。今階下を映すモニターには、次の家族が事前相談している様子が映し出されています。確か先日葬儀をした人から「全く心配なく安心して過ごせた」と聞かされ相談にこられた家族だと思います。事前相談は葬儀社の会員集めでなく、家族にとって葬儀だけでなく、葬儀の前や葬儀後の生活までも、安心して過ごせる保険か元気薬のようなものであるべきだと思う。にほんブログ村誰もが終幕後の費用を心配することなく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えていたか嘘のつけない自分日誌でもあります

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  • 10Sep
    • 1788.  千明の母親の誕生日プレゼント

      搬送電話が入らなければ、散骨に行こうと決めてた9月10日の月曜日、11日は千明の母親が78才の誕生日だと聞かされ、なら朝電話を入れて母親の予定を聞いておくよう言っておいた。3ヶ月毎の検査で自宅から30分ほどの病院に来ているらしく、検査が終わると言われた12時前の到着にあわせて前橋を出発した。母親は弟夫婦と同居しており、誕生日のお祝いは家族でしてくれるだろうからと、車も自転車にも乗らず歩きが専門のお婆ちゃんだからウォーキングシューズを買ってあげれば良いんじゃないと決まった。靴屋さんで勧められたのは、ヨネックスの15.000円位の靴でしたが、結構気に入ったようでした。その後、お昼は寿司を食べ川場道の駅までドライブしてソーセージを食べて、5円スロットで2時間ほど遊ぶと孫の保育園に5時のお迎え、千明の姪っ子5才を連れてお菓子を買いにいき自宅まで送って戻ってきました。僕には両親はいませんが、千明には母親だけが健在です。『親孝行したい時に親はなし』確かになぁ・・・僕は稼業倒産後、祖父母と一緒に生活してた時期があり祖父母には孝行の真似事でもしたかった思いがあります。だから、せめて千明には誕生日や正月くらいは、親孝行まがいの事をさせてあげたいと思い、誕生日の近くには散骨を兼ねて出掛け、半日だけでも一緒に過ごさせたり正月は弟家族と一緒に母親を前橋に呼んで、僕が詰め合わせたおせちを振る舞うのが、まだ4年ですが何となく恒例行事になっています。この部分については、僕から言ったり、行動しなければ中々自分からは言い難い事でしょうからね。こんな小さな事も、日々の仕事を頑張れるひとつの要素にもなったりするのが人間の真理ですし、何かしてあげた時は母親も嬉しいそうな顔をしてくれます。そんな顔をみると嬉しくなる自分がいるし、何となくですが、自分の心も癒される気がします。親と生活しない人達が非常に増えていますが、年に数回できれば月に1度くらいは、一緒に過ごす時間を持って親を笑顔にしてあげたら良いと思う。自分が今存在しているのは、両親のお陰なのです。楽しいこと、辛いこと、色々あるのが人生だけど、この世に生を受けなければ何一つ味わえなかったのです。だから、自分を産んでくれた事には感謝しましょう。と同時に親孝行の真似事だけでも、できる事はしておくべきだと思います。 僕みたいに祖父母、両親が誰一人居なくなってからでは間に合いません。もっと言うと、貴方のうしろ姿を子供達は見ています。自分が親に冷たければ、自分も冷たくされて当然ですし、優しく温かく接していれば、子供達も同じように温かく接してくれるんじゃないかな・・・にほんブログ村誰もが終幕後の費用を心配することなく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えていたか嘘のつけない自分日誌でもあります

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  • 09Sep
    • 1787. 固定概念を外せば本当に必要な葬儀が見える

      夜中に珍しく腹痛で目を覚まし、トイレで座っていると冷や汗が出て座っているのさえ辛い感覚になり始める。ちょっとヤバイなと感じトイレを流すと、開いてた窓を閉め、タオルケットの上に毛布を1枚掛けた。窓を開けタオルケット1枚で寝ていたせいで冷えたか?朝から何も食べず初めての食事が午後8時になってから蕎麦にしたが特盛は多過ぎたか?戻ってから食べたケーキが余分だったか?と考えていると胃液が逆流し少し気管支に入ったような感じがしましたが暫くするといつもの状態に戻った。きっと疲れが溜まって胃が弱って空腹状態の所へ、突然大量の蕎麦とケーキが入ってきたせいだろうと、医学の知識など無いが勝手に思い込んで寝た。日曜日は比較的電話の少ない日ですから、葬儀代を払いにきた家族と、自宅置き分の香典返礼品の精算に来られた家族の用事が済むと静かな日になってくれた。本日来館された家族2軒とも、再入会希望でしたが今回同様に菩提寺の葬儀なら、次回は受けられないとお帰りいただいた。 2軒とも菩提寺のある家族です。決して多くはありませんが、10年間に入会された家族の中には、当初から菩提寺依頼という家族もおられます。つい先日まで、それで問題無かったのですから、はじめから菩提寺依頼と聞かされている家族については、そのままの対応をせざるを得ません。年間で1~2件程度なのに8月、9月と各1件の菩提寺葬儀が続きましたが、やはり我々が受けるべきではない葬儀だと思えました。『葬儀は家族が家族との別れを受入れる為の時間』『宗教儀式の前に家族のお別れがある』『宗教者が思うほど日本人に信仰心はない』そして・・・最低30万円以上の布施、と僧侶の多くは自分が主役だと思い、葬儀をしてやってる感があったり、家族の前では腰は低いが、対応する千明の前では高慢な態度と宗教者以前に人として問題のある人も多い。よくいるのが、お金が無い家族は布施は少なくて良いとくちにする僧侶、自分は温情があるとでも言いたいの?この感覚、あんしんサポートと真逆なのです。まずは最低限の料金を設定し、余裕のある方は増額して頂ければ助かります・・・が本来の在り方だと思う。結局は自分の生活保守からの発想なのが明白です。それが宗教者のあるべき姿とは到底思えません。勿論、うちでは位牌を届けるなどしないし、荷物を持つなんて事もしません。 基本はノータッチです。僕らは、諸事情により余裕の無い家族、貧困にある家族、弱者の人達でも可能な料金であり、充実した内容葬儀の提供を大前提とした葬儀関連全ての支援をしています。その目線からは、あり得ない感覚と感じるのです。10年前の我々は正に現行葬儀から始まりました。されど家族の葬儀でなく、家族は雑用や対応に追われるだけで気がつけば火葬も終わってた・・・こんな葬儀は間違っているとしか思えなかった。》葬儀後の生活に不安が無いこと》家族が周囲に余計な気を遣わず済むこと》いつもの自分達のままで温かく送れること》さほど信仰心の無い日本人がすべき葬儀ではない》誰もが通る道なのに余りに高額過ぎる葬儀は大問題葬儀への固定概念を外し、上記のような考え方を持ったところで、それを施行してくれる葬儀社は皆無でした。だから自分で道を切り拓こうと行動してきた訳です。何度も言うように、僕には葬儀に対する考え方がある。『葬儀は家族が家族との別れを受入れる為の時間である』『葬儀は死後でなく医師がサジを投げた瞬間から始まる』『死んで騒ぐな、騒ぐなら生きてる時』『逢いたいなら死後でなく存命中に逢え』『葬儀は大事、でも残る家族の生活はもっと大事』書き出せばまだありますが、これらは全て10年の間に支援してきた家族から、学び教えられた事ばかりです。我々が対象とする人達は決して裕福ではありません。だからこそ核心だけを抑えた葬儀になるのです。余裕のある家族は、豪華な式場で葬儀をし、100万円の布施を払い4百万、5百万円の葬儀をし自己満足すれば良いと思いますし、それを否定する気は全くありません。ただ、その現実を横目で見て羨ましく思うなら、それが現時点での人生結果なのだから仕方ないと思うし、なら同じような葬儀ができるよう頑張れは良いとも思う。しかし選択肢が無いのでは話しにならない。3.000円、5.000円のランチがあっても全く問題ないが、500円、300円でもランチができる選択肢は必要です。あんしんサポートは様々な事情で余裕の無い時に葬儀をすることになった家族に『特化』した支援センターです。だからこそ、対象者の家族が遠慮せず、憶することなく、入会相談に来られる支援センターである為に、利用者を明確にし明言しているのです。にほんブログ村誰もが終幕後の費用を心配することなく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えていたか嘘のつけない自分日誌でもあります

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  • 07Sep
    • 1786.  いっつも思う、依頼電話の不思議

      いやぁ、過労死しても不思議じゃないとさえ思えたほど疲れた5日、6日でしたが、しっかり寝られた7日朝は前橋で火葬、続いて高崎で火葬を済ませ、午後2時過ぎホッとした時間になりました。10年間続けて、いっつも不思議に思う事がいくつかありそのひとつが逝去と搬送の一報電話です。9月5日は許可譲受により法令試験が横浜でありました。前日の台風21号の影響があるかもしれないと、1時間早めの電車で前橋を出発、新幹線、東海道線、みなとみらい線を乗り継いで、横浜馬車道駅近くにある合同庁舎での法令試験、午後3時終了すると逝去の一報も入ってない事から、2駅先の中華街を散策しながら、小籠包とソフトクリームを食べて一路前橋に戻ってきました。4日夕方から、5日午後10時頃まで一本の電話も無く慌てる事もなく、全ての予定を完了できました。今日は疲れたと、帰ろうとした午後10時15分、東京世田谷の病院から夫が危篤との連絡が入ったと、奥さんから関越道を走っている所ですと連絡が入った。午後10時過ぎ、都内の病院からの連絡・・・もしかしたら亡くなっているか、危篤なら今晩の逝去と考えるべきとすぐに自宅に戻った。シャワーを浴びて寝室で横になり、そろそろ寝なきゃと電気を消して15分後、逝去の一報が入ったと連絡です。準備を済ませドライアイスを保冷箱に持って関越高速道、環状八号線と走り世田谷までお迎え、前橋に戻り納棺を済ませると、夜が明ける時間になってました。自宅に戻っている時間はないと、事務所の椅子を倒して横になったところで逝去の一報が入った。前橋市内の病院、朝の交通渋滞が始まっていました。病院到着の直前、更に自宅で逝去されたと一報です。各々相談が済むと前橋市、高崎市の市役所へ走ります。前橋で2通提出すると、そのまま高崎まで向かいました。高崎到着午後2時、火葬許可証が発行されるまでの時間市役所の食堂で食事を済ませる。途中で家族からの電話が入り、炉前経と戒名が欲しいと言われるが、炉前経は5分が精一杯、なら、あんしん館式場で枕経のほうが15分ほどの経になるし、その後でお別れもできると伝え、すぐに寺に予約を済ませた。前橋に戻る途中で果物を購入し、市役所で火葬許可証を受け取ると、あんしん館に戻り式場を並べ替える。午後5時、予定通り僧侶による読経と、お花を入れたり好きな食べ物を入れたり、好きな洋服を入れてのお別れ戒名説明等も全て終え、午後7時家族達はガストに移動、我々は翌日火葬の準備や霊柩車の洗車等々全てを済ませ午後8時過ぎ自宅に戻り、シャワーを浴びてから休んだ。4日朝から38時間後の就寝となりました。うちを利用される会員さん達で、我々が出掛ける用事のある時に逝去の一報は入った事が一度もありません。もし今回の流れが1日前だったら、法令試験は受けられないから2か月後になる訳で、譲受の期間的問題も出てしまう可能性さえありました。遊びで出掛ける事はありませんから、やむなく出掛ける用事がある日は遠慮してくれているかのようです。その代りと言うか・・・用事が済んで戻った途端、今回のような騒ぎになります。人の逝去が何故か集中するのは確かですが、我々がどうしても出掛ける必要がある時は、電話の1本も鳴らずに、戻った途端、電話が続々と入る・・・それが設立から10年の間ずっと続いているって凄いと言うか、不思議に思えてなりません。『あと1日だけは頑張るから用事を済ませて』対象者が我々の心配をしてくれてるのかもな・・・何十回となく交わした会話です。にほんブログ村誰もが終幕後の費用を心配することなく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えていたか嘘のつけない自分日誌でもあります

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  • 03Sep
    • 1785.  人生を楽しむ権利は我々にもある

      前回、我々の目指してきた支援対象者を明確にしました。設立から10年、対象者を明言するまでには、いくつもの壁がありました。最初の壁は外でなく、内側の相棒である千明の中にある以前の葬儀社感覚を壊すことから始まりました。内部の人間が葬儀社と支援センターの違いを完全に理解してくれるまでに5年ほどの時間が必要でした。既存に無い考え方だけに、どうしても既存の葬儀社との混同があり、来館された方の入会を断る度に言いました。「なんで断っちゃうんですか?」この根底にあるのは、葬儀をすれば利益があるけど折角来た人を断ってたら、いつまで経っても経営が成り立たないでしょ? というものだったはずです。当時は話しても理解できないだろうと、拒否した理由も言わなかったと思うけど、貫ける理念は貫いてきました。その千明が数年前から、断る理由が分ってきた気がする。自分も断るべきだと思いましたと言うようになった。ようやく葬儀社と支援センターの違いを理解し始めたと分ってからは、速度を早めた動きになってきました。但し最終目的は『自己満足』と『我が人生の謳歌』です。実践している事は人の役に立っているかもしれませんが、それは結果論であって、あくまで自己満足なのです。これは恰好をつけている訳ではありません。んとですね、自分達が、自分達のしている事が、人様の役に立っていると思われたり、利用者から感謝されたら、少し自分が誇らしかったり、嬉しくなったり、気分が良くなるし、堂々と胸を張って生きられる感覚がある。 そんな思いで過ごせる人生って幸せだと思うんですよ。そう、根がすっごく良い人なら別ですが、僕はそれほど良い人ではありませんし、良い人を演じ切る自信もなく演じる気さえありません。もし良い人を演じて今の葬儀支援を始めてたら、とうの昔に閉鎖してたことでしょう。自己満足だったから続けて来られたんだと思う。その為には嫌な仕事はしない。嫌なものは嫌だと言い、したくないと思った人の仕事はしないという判断は大切な要素となります。我慢は自身にストレスを貯め込む事であり、いつか爆発するか、自分を壊すことに繋がるものだからです。完全なる我侭、自分勝手は駄目ですが、していることが誰かの役に立てるなら、入会相談に来るか来ないは利用される人達の勝手だし、受ける受けないは我々の勝手な判断であるのは、何処にでもある商売と一緒です。葬儀社も同じです。一般的な葬儀社は料金が高く、そんな金額ではできないと言ってるのと一緒、15万円の直葬料金の葬儀社に行き10万円でお願いしても拒否されるわけです。その基準が我々は逆だったり、人だったりするだけです。我慢してきたのは、相棒である千明も同じ感覚になれるまで待ってあげないと、中途半端な感覚で取り残された千明の将来に不安が残るし、僕の存在が無くなった途端あんしんサポートは消滅する事になるからです。ようは我々の自己満足が最終目的で、自分の人生を謳歌する為の事業が、あんしんサポート葬儀支援センターという弱者を第一とした支援事業なのです。ただ、これを上手く利用しようとする人もいます。反面教師として一番参考になったのは生活保護法です。制度は必要だし、あるべきだとは思いますがその実態は、「なんでやねん」と思う人達も沢山受給しています。かと思えば逆の意味で「なんでやねん」と思う老人達も沢山いるのが現実です。働ける、働けないの判断は難しいですが、改善の余地は有り余るほどあるのが生活保護法に思えます。意外かもしれませんが、僕は生活保護の葬祭扶助申請は『しない』『させない』というのが基本姿勢です。 現状の日本は葬儀は家族が行うものだからです。勿論、葬祭扶助が必要な方もいますし、それが必要なら全力で応援も申請もします。しかし普通に生活している家族はいるし、中には立派な自宅を持ち、人並み以上の生活をしているのに、両親は生活保護を受給させ、葬儀は葬祭扶助で行おうとする。・・・腹が立つし、これで良いのか日本人とも思う・・・だから、こんなケースは受けない事が多いです。葬祭扶助の費用は全て税金なのです。あんしんサポートには「葬儀代は安いほうが良いじゃん」感覚で来る人達も沢山いますし、なんだかんだ言っても葬儀屋なんだから、行けば入会できると思って来る人も沢山いますから、断わられると驚いた顔をします。でも、そんな人達の葬儀をしても『自己満足できません』逆にストレスが溜まるばかりです。今回の明言で少なくとも、我々は嫌な思いをしながらの葬儀支援をする必要は無くなる可能性が高くなります。入会された家族は死後費用の心配をせず、安心して日々生活出来るのが葬儀支援センターの存在ですが、我々も己が人生を楽しみ、謳歌し、生き甲斐と喜びとを持って日々生きる権利はあります。これが今回の明言をした理由です。にほんブログ村誰もが終幕後の費用を心配することなく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えていたか嘘のつけない自分日誌でもあります

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  • 01Sep
    • 1784. 支援対象者が最終段階に入った その3最終

      今度作成するパンフレットとホームページでは、当方紹介以外の宗教者は受けないと明言します。『お寺の費用は高くても仕方ないですよ』この言葉にどれほどムカついてきたことか・・・我々は少しでも低料金で、誰が見ても違和感の無い内容と使用品を使い、家族が引け目を感じることなく温かく送り葬儀後の様々な対応に至るまで全て安心していられるよう増員もせず、休日もなく、24時間体制で、ある意味自分の命を削って活動しているのです。お手伝いしてくれる住職達も、あんしんサポートの葬儀はボランティア料金で対応してくれる事で、余裕の無い家族でも満足する葬儀となるよう協力してくれています。寺の布施が高くても仕方ないと思うなら、葬儀費用が高くても仕方ないと考えるのが筋です。夜間、早朝問わず24時間体制で動き回ってくれるのは僧侶ではなく、葬儀屋の人なのです。高額な布施を要求する菩提寺の葬儀でも、快く引き受けてくれる葬儀社はいくらでもあります。あんしんサポート葬儀支援センター以外、一般の葬儀社は全て引き受けてくれ家族には全く問題はありません。この数年を思い起こすと、菩提寺を使っての葬儀は年間で1件~2件だけとなっている現実ですから、当方の考え方が浸透してきたという事なのでしょう。そうそう先日葬儀した家族は突然、菩提寺に変更となった。最初から分かっていれば入会を受けませんでした。今回は止む無く葬儀しましたが、次回は受けないと伝えてあり、これが家族の菩提寺最後の葬儀となるでしょう。以降は突然変更になっても、その段階で断る事になります。僕は頼って来られた家族の為に葬儀をしています。宗教者の生活を守る為に葬儀はしません。我々も含め葬儀社の利益の為の葬儀もしません。頼って来られる家族の財布事情は、決して裕福ではなくて後の生活も大変な人達が圧倒的多数です。残る家族の生活が守れる葬儀が大前提で、一般葬儀社なら数倍の料金葬儀より満足できる葬儀をしてあげたい・・・まずは『人』に温もりを感じて貰い『内容と料金』に満足して貰って『あんしんサポート』に感謝を感じてくれたらいつか誰かに同じようにしてあげて欲しいと思う。また同じような家族がいたら、我々の存在と現実を教えてあげて欲しいと思います。一般葬儀社でなく、葬儀支援センターだから利用者制限が生れるし、利用者の最初に出てくるのは弱者であり、少額年金だけで生活する老人なのです。また今回の宣言も含め、葬儀の事はよく分からない人達で余裕の無い人は、遠慮せずに電話予約して相談して欲しい。早い段階ならいくらでも打つ手はあるはずです。今も一軒の相談が入ってますが、現時点では存命中です。その時が来て、全て終了したら可能な範囲で書きます。死後費用の心配をしながら生きるのは止めようよ・・・死後や死後費用だけでも、安心して過ごして欲しい・・・葬儀の事など皆さんが知る必要はありません。また知りたいとも思わないのが普通の人でしょう。だからこそ、余裕の無い家族が本音で相談できて、それを話しだけでなく、家族の生活が守れ、思いを汲んだ施行もしてくれる葬儀のプロである支援センターが必要だと思う。あんしんサポート入会基準に異論がなく、金銭面で余裕の無い家族が、葬儀費用や内容について相談するなら、葬儀関連全てを行える『あんしんサポート葬儀支援センター』の存在は何処よりもちからになれることでしょう。出来れば各都道府県に1カ所で良いから存在してくれたら誰でも恩恵が受けられるし、横の繋がりが持てたら、より強力な支援活動になるのは間違いありません。いつか、そんな時が来ると信じ、先駆者として歩みつづる事が、後進の人達への指針となってくれることでしょう。にほんブログ村誰もが終幕後の費用を心配することなく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えていたか嘘のつけない自分日誌でもあります

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    • 1783. 支援対象者が最終段階に入った  その2

      5万円火葬支援パックの根底には、誰もが加入義務のある国民健康保険(後期高齢者保険)から支払われる葬祭費の5万円だけで葬儀が出来れば一銭も無くて死ねる・・・これがあるだけなのです。しかし政府は消費税を5%から8%に引き上げました。すると便乗値上げなのでしょう。 様々な葬儀用品が値上がりし、後年は原油価格も上がって5万円では到底不可能となったのです。その結果、改定料金として69.000円の数字が出ましたが、5万円火葬支援パックが、一般葬儀社と余りに掛け離れた料金設定ゆえか一社として追随して来ない・・・なら追随可能な料金89.000円での設定としました。この感覚は当たっていたようで、9万円前後の料金設定が一気に増えたように思います。 群馬県内も同様でした。全国的にも9万円前後が増えたのを確認すると、当初予定した69.000円を打ち出しました。この理由は簡単です。僕らができる施行数などたかが知れています。全国の至るところで低料金の直葬が始まれば、その地域に住む人達にとっては朗報となるはずです。また弱者を筆頭にした余裕の無い家族の選択肢もできる。もうひとつ、あんしんサポートの支援事業は身体を大きくすると出来なくなります。 高額にするしかありません。ちなみに僕も千明も会社で言う取締役であり、労働基準監督署が対象とする従業員や社員ではなく、24時間働いたとしても咎められることはありません。しかし一般社員が加わればそうはいきません。全て労働基準法に沿った内容にせねばなりません。仕事は24時間体制ですから、2名×3交代勤務となります。また当然休日は必要ですから、最低でも8名体制を敷かなければ合法事業とはなりません。増員した場合69.000円パックが169.000円となります。食う為に葬儀事業をしているなら、これで良いでしょうが死後費用の心配無用を目指す我々には本末転倒です。人を増やせば労働基準法に突き当たるし、国保の葬祭費は5万円しか出ないし、5万円で可能な葬儀など皆無です。だから最低人数の経営者だけで、超低料金の葬儀を創って2人だけで頑張れば、何とかなると考え実践したのです。葬祭費の5万円ではできなくても、利用した全ての家族が『良かった』『有難かった』『親切だ』『料金以上だ』と評価を世間で唱えてくれたら、高額な広告宣伝費を掛けずとも最高の宣伝になり、いつか食える時が来ると考えた。設立当初は施行単価が約100万円、当時は民間の4割料金とも書かれました。 3年後は30万円台、その後20万円台、今では施行単価が10万円位まで下がり続けてますが、施行数が増加した事で何とか食っています。食えるはずの机上の計算は空論ではありませんでした。今から2年ほど前、一般葬のパック掲載を止めました。その理由は一般葬を行う家族は基本余裕があるからです。また菩提寺のある家族も多く、菩提寺の布施額は一般葬のパックより高額で布施と呼ぶには余りに高額だし、それを当然のように受け取る僧侶にも納得できずにいました。また僧侶は自分が偉いと思っている人が多いようです。何処が偉いのでしょう? 僕には強欲な人間にも見えます。 以前、ある僧侶が家族に言ったそうです。「私は修行をしてきましたが、中には偽坊主もいるから」「注意したほうが良いですよ」聞いた家族は凄い修行をされたのだと思い聞きました。「どのくらいの修行をされたのですか?」「はぃ、一年間です」これを聞いた家族は呆れて戻ったそうです。1年の修行で一人前になる仕事なんてあるか?ってね。最も偽坊主が本当にいるなら、それは問題ですけど。勿論、全ての僧侶がそうではなく、僧侶である前に人として尊敬できる方もおられますし、当方でお手伝いして頂いてる方々は、金額の事など一切言いませんし、対応する姿勢は優しく宗教者だなぁ・・と感じます。つづくにほんブログ村誰もが終幕後の費用を心配することなく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えていたか嘘のつけない自分日誌でもあります

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    • 1782. 支援対象者が最終段階に入った その1

      設立から10年にして、ようやく設立当初から想定してきた対象者に限定される日が来ました。正確には設立当初でなく、設立から3年後の3月1日付で5万円火葬支援パックの施行が始まった時からです。流れで何となく葬儀の世界に足を踏み入れた当初、全くのど素人でしたから今から思えば、葬儀のその字も分らないという表現がピッタリだった事でしょう。されど家族との相談や決め事は、葬儀社に任せることなく自分でしてきたのが、急速に知識をつけた最大要因であるのは間違いありませんが、素人が家族と打合せをした事が今で以って千明には不思議なようです。まずは現行葬儀のイロハを覚えることから始まりました。ところが納棺師を自身で行える頃には、現行葬儀への疑問だらけで理解も納得もできない事ばかりになった。葬儀業界の常識は、一般社会の非常識に近いものが多い事宗教者の話しの多くは霊感商法にしか思えない現実、更に金銭感覚が一般とかけ離れている事に始まり、弱者と呼ばれる人達を始め、金銭的余裕の無い人達にとっては選択肢さえ無いのが現実であると分りました。この頃から、好きでも無い葬儀の仕事をするには、自分が納得できる料金、葬儀内容を創り出して誰もが死後費用の心配をせずに済む世の中を目指す事で、自己満足もできるだろうし、上手く行けば生き甲斐にも繋がると考えました。しかし10年前は、我々の知名度も能力も力量も無く、業界では変な奴、一般からは胡散臭いと思われました。大手が出来ないのに個人ができるはずが無いとも言われた。今思えば、大手だから出来ないと思わないのが素人ですね。また当初は自力で葬儀施行が出来ず、地域毎に既存の葬儀社に全てお任せする形でしたから、我々が目指すものとはほど遠いものでしたが、だからこそ、葬儀社の対応を家族目線で見られたのは大きな成果だったと感じます。まずは利用者を増やし、会員を増やし、実績を積み重ねて行き、ボーダーラインを超えられたら我々の存在は一気に知られるようになるはずと考えました。設立から3年後、5万円火葬支援パックが完成すると予想以上で、僕の講演会を都内で企画してくれた千葉県二市の市会議員さんがいたり、新聞で何度も取材として取り上げてくれたり、NHKで全国放送もしてくれました。これで一気に活動の輪が広がると思ったのは甘かった。何十人もの人達が全国から研修に来られましたが、誰一人として立ち上がれませんでした。その理由は明白で料金設定でした。5万円では利益が全く出ないと皆さんに言われました。その通り、当時の我々も利益はでません。ただ机上の空論とも言えますが、一定数以上の施行依頼が入れば食える計算になり勝算はありました。その旨を伝えましたが、誰も先には進みませんでした。結局、我々だけがいつか食えるはず・・・誰もが死後費用の心配をすることの無い世の中を目指して走り続け、我々の活動が本当に必要なら、利用者は自然に増え続けるはずで増えなかった時は、我々の考え方を始め事業内容そのものが間違っているのだろうと思った。その時は廃業すれば良いだけの事と考えていました。つづくにほんブログ村誰もが終幕後の費用を心配することなく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えていたか嘘のつけない自分日誌でもあります

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  • 31Aug
    • 1781. 人生一寸先は闇の連絡がたて続けに入る

      人生いつ何が起こるか分らない・・・いつ自分の人生が閉じるか分らない・・・誰でも知ってる事、誰でも分かっている事なれど、どこか他人事にしか思えないのも極々普通の感覚でしょう。仕事柄、年令に関係なく突然の逝去や、事故死、自殺など何度となく経験してきましたし、さほど驚きもしませんがそれは故人や対象者が知らない人達だったり、来館された方でも何年も経った人達でお年寄りでもあるからです。そんな我々でも驚くケースがあります。それは最近会った元気な人が突然逝った事を知った時です。この1週間で2件ありました。1件目は先日おこなったキリスト教の葬儀で会った人です。諸事情があり、どうして良いか、何をどうすれば良いかも分らない人達ばかりだった事もあり、3年ほど前に行政のイベントで知り合った人からSOSが入りお世話しました。詳細は書きませんが、特殊なケースでもあり様々な経験と知識があった事でベストの結果が得られたと自負してます。隣接県で葬儀を済ませ、隣接市で火葬を行い遺骨は当方が持ち帰り散骨を済ませました。遺骨の一部は、故人の祖国である海外に送って欲しいとの希望があったようで、粉骨と火葬証明書を東北へ郵送するつもりで、僕に依頼した方に連絡するとこんな報告でした。その葬儀に駆け付けた東北の教会の牧師さんがいました。火葬後、地元に帰り寝る前に風呂に入ったようです。翌朝、風呂場で彼の遺体を奥さんが発見したそうです。一昨日29日火葬だったと聞きました。そして今朝、出勤すると千明から聞かされたのは、今年の1月にお婆ちゃんの葬儀をした時、顔に似合わず泣いてた40代くらいの孫がいました。きっとお婆ちゃん子で、心の優しい人だと思い、その場で家族親戚にも話した記憶があります。建築関係の職人さんで、うちの葬儀の考え方や実際の対応にも感激したと母親からも聞かされていました。その彼が交通事故で入院、今日明日の命であり、その時はお願いしますと一報を入れてくれたそうです。聞いた瞬間から気持ちが沈んでしまいました。本音を言えば、受けたくない、やりたくない葬儀です。過去に何度か経験していますが、このケースは慣れる事がないような気がします。 逃げだしたい気分です。ただ家族の思いに最も近づく時のようにも思えます。我々は日々葬儀の仕事をして、良くも悪くも慣れが出ます。でも1軒1軒の家族は、今の僕以上に辛い思いを抱いての葬儀を迎えているはずです。場数をこなす事で増える知識や経験を活かす事は問題ありませんが、慣れから来る無神経さや粗雑さだけはどんなに経験を積んでも持ってはならんと改めて思います。それと『一寸先は闇』とは我々も例外ではありません。我々の仕事は相手次第で、徹夜もあれば無理もしてます。だからこそ体調管理や摂生をして、少しでも備えておかなければ、我々の存在を当てにして安心している会員さんの期待に応えられなくなりますからね、死と近い場所で仕事をするだけに『慣れたらいかんよ』と改めて教えられるのが、今回のようなケースです。にほんブログ村誰もが終幕後の費用を心配することなく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えていたか嘘のつけない自分日誌でもあります

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  • 28Aug
    • 1780.  武井とあんしんサポートを客観視してみる

      ここ2回ほどは、入会を受け付けない来館者の話題となりきっと会員さんも含め、代表の僕を知る人の持つイメージとは若干違う印象だろうと思います。拒否された人達から見れば『嫌な奴』でしかないでしょう。葬儀をした家族は『とにかく親切な人』と言われるそうですが、どちらも間違ってないと思います。その違いは明確な理念と信条からくるものでしょう。》あんしんサポートには明確な理念と信条が存在します・誰でも依頼を受けているわけではありません・理念信条から外れる人達の入会は受け付けていません・横柄な人や自我や主張の強い人は受けていません・基本的に余裕のある家族の依頼は受けていません・過去の慣習を良しとする家族の依頼も受けていません多分、葬儀社の人達も『お金のある人は受けない』以外は内心さほど変わらないでしょうが、その違いは利益(お金)だろうと思う。 お金の為に頭を下げる・・商売人ですね。僕には出来ない事ですから、ある意味凄いとも思います。しかし我々の場合、初めから利益はありませんから、金に頭を下げる理論が成り立ちません。しかし理念、信条は貫きますから、普通の葬儀社だと思う人からみれば結果『嫌な奴』『有り得ない葬儀屋』だって思われる事になるでしょう。でも、それで良いと考えています。明確な理念があれば、反対者は必ず存在するものです。ある意味、理念を貫徹しているからの現象とも言えます。全ての人を対象にできる事などありません。あんしんサポートの理念が納得できない人の葬儀をすれば我々は勿論、家族にとっても良い葬儀にはなりません。また、あんしんサポート理念信条を曲げれば、なんの為に好きでもない葬儀を手掛けたのか分からなくなります。一方、僕を親切な人、優しい人と、思っておられる人達は、理念に賛同されたのは間違いありませんが、あとは個々への対応からだと思います。受入れた以上は最後まで責任もって対応しています。僕は流れ作業の葬儀を良しとしていません。葬儀は形式や見た目だと思っていませんし、家族が本当に求める葬儀は温もりの中で送ることだと思っています。『葬儀とは家族が家族との別れを受入れる為の時間』これが僕の考える葬儀の定義だからです。この家族にとって最善でなくとも、よりベターな葬儀とはいつ、どこで、どんな事を提案し行うかを考えます。》お金の不安が一番なら、費用面を最重要視します・時に親戚を敵に回しても僕が主張し家族を守ります》故人への思いが強ければ、都度最善の方法を提案します・先日の娘の葬儀のように親子で過ごす時間を第一もある》事前相談では今すべき事を明確に伝えます・その時まで家族が迷わず、安心して過ごせる事ができる》残る家族の生活を第一に考えた葬儀の提案と施行・10年間変わらず続けている姿勢ですさて、もうひとつ武井という人間の性格です。・非常に短気です(地雷か瞬間湯沸かし器のような奴)・良くも悪くも個性の強い人間です・人が喜ぶ姿を見ると自分も嬉しくなる奴・子供と動物とお婆ちゃんに嫌われる事は少ない奴・金銭欲、物欲はさほどありません・いい人と言われるのは嫌い(特別いい人ではありません)・人の為に今の仕事をしていません(自己満足です)・嫌な人と理念に反する人の入会は絶対に受けません・お金が無いからと断ることはありませんお金で動けないタイプであり、新聞、テレビ等から時代を吸収することはなく、今ある現実から10年後、20年後の未来予測をし進み、今までの人生に於いてはどんな状況にあっても、常に前向きな姿勢だけは持ち続けてきました。多分・・・ですが、僕に一歩下がれる姿勢が備わってたら鬼に金棒とは言いませんが、相当強い人間だったでしょう。残念ながら、一歩前にでる事が多く凡人でしかありません。今回の最後に何度も書いている事を再度書きます。》あんしんサポートは一般の葬儀社ではありません》葬儀支援を行うセンターであり、余裕の無い弱者第一》理念と信条は一般企業より明確で外れる人は対象外ですあんしんサポート入会対象者とは『葬儀費用に不安のある家族』『現行の高額葬儀を良しと思わない家族』だけですちょっと安い葬儀社ではありません。ついでに言うと誰かの紹介だから受ける事もありません。但し『病院』『施設』『警察』等から、費用面で家族の為紹介された場合だけは受け入れています。あんしんサポートは商売をしている感覚がありません。商売と呼べるほどの利益もありません。自分達の時間や命を削って、低料金にしていると言っても誰も異論は唱えられないでしょう。 だからと恩を着せるつもりは毛頭ありません。 あくまで自己満足でしてます。でも会員を、お客様だと思ったことは一度もありません。あくまで支援を求めてきた会員なのです。誰もが自我を持っていますが、あんしんサポートにも理念という自我があり、その自我に反する人は受入れません。されど利用者が、あんしんサポートの理念に反する自我を押し通そうとする人がいれば、考える事もなく即座に拒否するでしょうから、嫌な奴と思えるのでしょう。例えば厚い信仰を持っておられる方に信仰を否定し、別の信仰を語っても相手が受け入れる事は絶対に無いでしょう。来館者が何を考えるかは自由ですが、理念に外れたものを受入れることなど無く、即座にお断りするだけです。また理念に納得し賛同される人で、我々を頼って来られる人なら、非常に親切で優しいと感じられるのでしょう。我々は何も変わっていません。違うのは来館者の考え方だけで、捉え方が違うだけです。我々は葬儀社ではなく、支援センターであり、その対象は弱者が第一です。 今の葬儀は余裕のある人達の為に創りあげられており、余裕の無い人の選択肢さえありません。10年前、5万円直葬を目指し完成し新聞、テレビでとりあげて頂いた事で全国に波紋は広がり、今では直葬という葬儀形態でも市民権が得られるところまできました。その後、低料金での家族葬、宗教者、散骨、永代供養墓や盆法要、各年忌法要、或いは戒名に至るまで葬儀に関する全てが、あんしんサポートだけで行える所まできました。でもそれは、安く済ませたい家族の為でなく、余裕の無い家族でも家族が満足できる葬儀を提供する為なのです。家族の都合に合わせる為でもありません。年々あんしんサポートの立ち位置が明確になっています。多分、当初は葬儀支援センターと謳っても、ちょっとだけ安い葬儀屋だろ・・・って同業者も思ったことでしょう。今のように謳えなかったのは、同じ姿勢で活動した先人がいないから、謳い過ぎても嘘にしか聞こえないからです。僕は無信仰ですが釈迦の言葉があります『嘘も方便』僕らは嘘はついてませんが、まだ全てをさらけ出す時期でないと、まずは低料金を強く出してきました。あれから10年利用者数も増えて、あんしんサポートの名がより世間に知られることになっているのでしょう。それが入会希望者が急激に増えている要因だと思えます。当然、安直に安い葬儀屋だと思っておられる人も増えます。そこで、あんしんサポートの理念、信条、対象者を明確に示す必要があると感じての数回となりました。今回の最期に、あんしんサポートの理念、信条に賛同でき、病院や施設等、或いは諸事情で余裕の無い家族は遠慮せず電話で予約をした上で来館され、建前抜きの本音で相談をされると良いでしょう。我々の第一目的は、残る家族の生活が守れる葬儀を行う事だからです。 不安な日々を過ごしている家族は安心して過ごせる日々に替えられるはずです。にほんブログ村誰もが終幕後の費用を心配することなく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えていたか嘘のつけない自分日誌でもあります

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  • 27Aug
    • 1779.  自分の葬儀依頼にきた家族

      ようやく身体が空いて、本日は夕方の入会相談だけの予定ですが、疲れが取り切れていません・・・シジイだな。昨日は火葬場の都合で午前の葬儀後、午後から4軒の事前入会相談が続き、一昨日に次いで1軒入会受付のできない来館がありました。千明がいつもより結構長い時間対応していましたが、僕が階下のトイレに行くと千明が助けを求めにきました。2人で来館されており、一人は家族ではないような感じがしましたが、既存の葬儀、過去の慣習が当然だと主張するお爺さんです。僕はそんな話しは聞きませんから、うちでは無用な話題で一般葬儀社に行くよう話し、さらに入会を受ける気が無いとも伝えました。 そんな中、次に家族が来館された事で、あとは千明に任せ次の家族の相談を受けていました。後から入ってきた3軒目の家族は、来館した時「うちでは受けない」と言う強い言葉を聞いて驚いたそうです。昨夜の話しになりますが、話しの途中席を外し戻った所で交代したせいでしょうか、千明が何を勘違いしたか入会を受け付けた事が夜になって分り、すぐに入会は受けないと連絡をさせ預かった入会金は振り込む事にしました。家族がどうであれ、今回のように連れてくる人を間違うと入会を拒否されるケースも有り得ます。前回の寺の布施額もそうですが、過去の慣習に習った葬儀、自分の中にある常識論をかざすなら、一般葬儀社に行けばいいことで、あんしんサポートに来る意味がありません。このブログを書いてる最中にも来館者があって、埼玉県の寺に来て貰い家族葬をしたいと言われたそうですが、昨日ブログと同じ理由でお断りしたそうです。今年は入会相談数が、今まで以上に多いのは間違いないと感じますが、いつもの年以上に入会を受けられない家族も多くなりそうです。さて、本日は途中で入って来た上記家族3人の話題です。初めは分りませんでしたが、暫く話しをすると、来館した本人である70才の母親がステージ4の癌であると診断され、これから抗癌剤治療が始まると伝えられました。このような場合、話しの内容は一気に変わります。過去に何人もの人が同じように来館されました。また世の中には同じ状況下にある人達は沢山います。だからこそ、こんな考え方もあるという意味で話しの内容そのままに簡単に書いてみたいと思いますまず第一に考えて欲しいのは、葬儀をどうするかでは無く、残されたこれからの人生をどう生きるかです。その時が来たら69.000円+税からできる事だけを、覚えていれば後は一切葬儀の事など忘れて良いと伝える。ここからは当人にとって、家族にとっても少々辛い話題も出ますから、時々笑いを入れながらの話しになります。僕からはこんな提案をさせて貰いました。》今は動ける。なら今できる事、今ならできる事をしよう》今が家族の絆、家族との時間を一番創れる時です》家族との時間、家族との思い出を創ろう(小旅行等々)》小さな喜び、小さな楽しみを日々繋ぎながら生きよう》エンディングノートは不要、生きるノートを書くべき》存命中に行う12の目標を創れ》その目標が達成するまで死んではならない》セカンドオピニオンを受けるべきまた母親の思いを代弁する形で夫と子供に伝えました。すると僕の話しを聞いてた母親は、話しのひとつひとつに頷き、更に自分の思いを付け足していきます。家族の死、自分の死について、それが現実のものとなってから話題にするのは、例え家族でも難しいことです。思いを伝えられぬまま、思いを伝える事ができなくなって逝ってしまう家族のほうが多いでしょう。他人である僕の存在がある事で、普段は中々言えない事が言える利点もあります。 支援センターとして大切にしたい場面のひとつでもあります。これをきっかけに、今までくちに出せなかった事が言えるそんな家族関係になってくれたら、僕らの存在する価値が・・・それだけでも有るだろうと思う。笑いながら、泣きながら、事前相談というより、人生相談に近い1時間半ほど話し聞いてた家族は、入会の手続きを取って帰られました。帰るとき「本当に安心できました」と言って帰られましが次の家族が来館しており、その言葉を聞き、やはり帰る際同じように安心したのだそうです。葬儀社は死後の対応をする仕事ですが、我々は死後よりも今をどう生きるか、死後の不安を取り除き、できうるなら家族全員が安堵し、不安なく、残る人生を生きられるようする事のほうが優先事項なのです。そこにあるのは『死後費用の不安を解消すること』『残る家族の生活が守れること』『今をどう生きるべきかの指針や考え方を伝えること』あんしんサポートの存在がある事で、家族が上記を得られたなら、葬儀支援センターと謳う価値はあるだろうと思う。にほんブログ村誰もが終幕後の費用を心配することなく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えていたか嘘のつけない自分日誌でもあります

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  • 26Aug
    • 1778. あんしんサポートは葬儀の支援センター

      今日の葬儀でようやく一息つけるはずですが、一昨日の夜時点では2日間で4時間の睡眠しかとれず、突然死が自分自身の身に起きても不思議じゃないと感じるほどでした。今日の葬儀で少し休ませて欲しいのが本音です。ところで相変わらず入会の事前相談は続いてますが、昨日一軒入会了承しませんでした。入会を了承できない家族がいます。その理由も含め典型的な家族を書いておきたいと思います。支援センターが受入れない家族が分っていれば、無駄足を運ばずに済みますし、わざわざ予約来館しての嫌な思いをせずに済むし、家族が無駄な時間を使わずに済むでしょう。改めて書きますが、あんしんサポートの対象家族は以下の2パターンが基本だとお考えください。『葬儀費用に不安のある家族』『現行の高額葬儀を良しと思わない家族』今回お断りした方の内容を書いてみたいと思います。親族葬を希望されてるらしいですが、お寺の話しになるとうちより布施のほうが高くつきますよと現実を伝える。すると返ってきた言葉が・・・「寺の布施が高いのは仕方がないですよ」と笑顔で答える勿論、どんな考え方でも否定する気はありませんが、あんしんサポートで入会を受ける気はありません。親族パックは、全て揃って追加一切不要で24.9万円ですが、総額150万円の葬儀より豪華だと言われています。更に寺の布施や謝礼で40万、50万、60万円です。よく分からないのは「寺の布施が高いのは仕方ない」ってことは葬儀社の費用は安くて当然とでも思っているのか?うちが安くても儲かっているとでも思っているのか?或いは単純にお馬鹿なのか?僕の主観でしかありませんが、圧倒的多数の葬儀社の人は寺の布施は高過ぎると思っているはずです。仕事量から考えても、寺への布施より葬儀社費用のほうが高くて当然が本音だろうと思っています。もし寺の維持費用から布施額を決めているなら、自分達の企業努力を先にすべきであり、それほどの価値がある行為だと思っているとしたら、世間知らずも甚だしいと思う。一般葬儀社の人だって、それが本音のはずですが、尚且つあんしんサポートは弱者の葬儀支援センターです。葬儀社と葬儀支援センターは似て非なるものです。布施が高額でも仕方ないと思うなら、葬儀費用も高額でも仕方ないと思うのが普通であり道理です。その葬儀を受けてくれる葬儀社はいくらでもあります。って言うか、何処の葬儀社でも喜んで引き受けてくれます。ただ葬儀の料金が数倍~7倍ほど高いだけです。我々が寝ずに、利益を減らし、増員もせずに頑張っているのは、布施が高くても仕方ないと言える人達の為ではなく葬儀費用が無い、足らない、どうしようと考える人達でも温かく、引け目を感じさせず、満足できる葬儀を提供するためなのです。高額な葬儀料金とは『葬儀費用と布施』です。その片方を良しとするなら、双方良しと考えるべきです。お手伝いを頂いてる寺の布施も、葬儀費用同様七分の一という金額で全て対応して頂いております。寺の住職さえも、当方の料金設定と内容では、利益の出ないことを理解され、それでも仏教を求める方々への奉仕とボランティア感覚で引受けてくれているのです。あんしサポートで引き受ける2対象者は、どちらの費用も支払いに支障があるか、良しとしない人達だけなのです。年間30軒ほどは入会受付をしていませんが、その代表的な考え方の家族のひとつが今回の理由です。このブログを読んで頂ければ、うちはそうだと思った家族なら無駄足を運ぶことなく、嫌な思いもせずに済みます。一方、あんしんサポートが対象とする家族の方に於いては、お金が無い事を理由に断る事はありません。遠慮せず、できるだけ早い段階で具体的な事前相談をされその時点で必要に費用を知り、手を打っておく為にも早い段階での入会を強くお勧めします。きっと今までより安心して過ごせる事になるはずです。にほんブログ村誰もが終幕後の費用を心配することなく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えていたか嘘のつけない自分日誌でもあります

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プロフィール

代表

性別:
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お住まいの地域:
群馬県

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『突然の手紙 』
それは平成19年9月のある日 八王子裁判所から父の死を知らせる一通の手紙が届いたことから始まった。。38年前に家業倒産により生き別れた父親が亡くなり遺書があるので開封に同席を・・・ という内容でしたが 仕事の都合で休みが取れず妹に行って貰い後日 妹から話を聞くと 父親の遺言で一緒に住んでいた女性が遺骨はハワイの海に撒いてくれたのだと言う。。「へぇー散骨って本当にあるんだな。。ハワイの海かぁ 良いかもな」「ところで、その女性には子供が居るの?」 「ううん 居ないみたい」うむ、、父親は75才だったと思うから、、、70才を超えるお婆さんが一人になったって事か?!・・・

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