日航墜落機搭乗を直前キャンセル「もらった命大切に」 慰霊と感謝を筆に込める書道家
日航ジャンボ機事故への鎮魂の思いを込め、書道展を開く村尾清一さん。作業部屋には同事故で亡くなった坂本九さんの「見上げてごらん夜の星を」の歌詞を書した作品を飾る=大阪府箕面市

 日航ジャンボ機墜落事故から、12日で35年。兵庫県豊岡市出身の書道家、村尾清一(雅号・晞峰(きほう))さん(80)=大阪府箕面市=は、事故に遭った便を直前にキャンセルして難を逃れた。その経験から長年、「生きる」「感謝」をテーマに筆を執る。16日まで大阪市内で作品展を開いており、「命ある限り、慰霊の思いを書に込めたい」と語る。(久保田麻依子)

【写真】村尾さんが乗った羽田発大阪(伊丹)行きの搭乗券
 村尾さんは豊岡高校卒業後、大阪市消防局に入った。25、26歳ごろ、本格的に書道を始め、40代で書道家に転身した。

 あの日-。1985年8月12日は、東京であった表彰式の帰りだった。お盆の帰省ラッシュのまっただ中だったが、たまたま搭乗予定の1便前に空席があり、その便で大阪へ。自宅に着いて初めて、当初乗るはずだった便が墜落した、と知った。

 「搭乗前、金魚鉢を持っていた子どもと両親を見かけた。係員に『次の(事故機となった)便に乗ってほしい』と言われていた。それが今も記憶に焼き付いて忘れられない」

 生と死を分けた恐怖感から、家族には「新幹線に乗った」とごまかし、2年近く真実を話すことができなかった。「月日がたって話せるようになり、ようやく気持ちの整理がついた」

 その後は毎年、事故現場の御巣鷹山に慰霊登山に向かった。慰霊式を「遺族に申し訳ない気がして」陰から見つめたこともある。

 事故から30年となった2015年、鎮魂の意を込めて作品展を開いた。その前年にがんが見つかり、自身にとっても“最後の個展”と覚悟した。

 幸い手術後も転移はなく、体調が落ち着いたため、35年の今年、グループ展を企画。村尾さんと、弟子や孫弟子らによる計48点を集めた。会の名前は、現場の「御巣鷹の尾根」の麓を流れる川にちなみ「神流(かんな)の風」と名付けた。

 村尾さんは「あたたかい炎をいつも 心に持ち続けたいんだ」とやわらかな筆致で記した。「生きる希望や感謝の思いが伝わってくるように」と、どの作品も色半紙やカラフルな額縁で仕立てた。

 今も、搭乗便のチケットを財布にしのばせている。「もらった命を大切に、生きることへの信念を持ち続けたい」。作品展が終わったら、数年ぶりに御巣鷹山を目指すつもりだ。

 作品展は16日まで、大阪市北区のリーガロイヤルホテル1階のギャラリー。午前10時~午後6時(16日のみ同5時まで)。同ギャラリーTEL06・6448・1121