鋸南勝山大会の成功にむけて | shino-1のブログ

鋸南勝山大会の成功にむけて

南房総・鋸南大会は勝山海岸が開催場所に決定して8月2日(日)の実施にむけて着々と準備を進めております。

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大黒山に登ろう:大黒山から歴史が見える
徒歩10分足らずで頂上まで登ることができます。眼下に見える勝山漁港や町並み、望遠鏡をのぞけば、伝説の島・浮島から東京湾を行き交う様々な船を手にとるように眺めることができます。また緑濃い嶺岡山系の山並み、天気がよければ富士山や伊豆半島も眺められます。

勝山海岸は源頼朝の上陸地:

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源頼朝が鎌倉幕府を開く前の1180年の夏、相州石橋山の合戦に敗れ、安房国平北郡猟島(鋸南町竜島)に上陸し、北条時政、三浦義澄らと合流した。この四ヶ月後に房総勢力などの功により頼朝は東国を平定したのである。旗立山、角のないさざえ、玉の井、献上した馬姓の賜りと伝説多数あります。

勝山は鯨の都:

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関東捕鯨の祖 醍醐新兵衛の墓

出雲国簸ノ川の上流で人身御供の櫛名田姫を救うため、剣を振りかぎして八岐大蛇に立ち向かう素箋鳴尊。「古事記」・「日本書紀」で有名な一場面を描いたこの大絵馬は、天保7年(1836)醍醐新兵衛定香(七代目)らが加知山神社に奉納したものです。
 関東捕鯨の祖、醍醐家は、初代定明以来代々新兵衛を称し、組織化された捕鯨業の総元締として、また大名主として村を指導する一方、飢饉の時には蔵を開いて人々に教米を施すほどの救恤家でした。

江戸時代のあいだずっと、ここがて伝統的なクジラ漁の基地だった。手漕ぎの船でクジラを追いかけ、手で6mのモリを投げたといわれる。そのクジラ漁の元締め、醍醐新兵衛が組織した醍醐組は1655年江戸時代の勝山で組織され、クジラ漁とその解体の大組織として合計57艘の船を有し、500人の漁師を配していたといわれます。

【捕鯨繁栄の狂歌】
いさなとる
安房の浜辺は魚篇に京という字の
都なるらん


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鋸南大会の前に行われていた富津大会の会場風景だ(2003年開催)

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これらを支えてくれたスイマーたちのよって現在の鋸南勝山大会へとつながってゆくのである