歴史探訪:種子島をもっと知ろう
種子島が日本の歴史上、どんな役割をはたしたのか?なぜ鉄砲が伝来したのかなどを含めて種子島をもっと知ろうじゃありませんか。
種子島に行って・泳いで・飲んで・語って・楽しもうではありませんか。
そのための市の西之表市の歴史上の史跡を紹介します。
種子島開発総合センター(鉄砲館)
異国の南蛮船をイメージした外観が目を引きつけます。鉄砲の博物館では、種子島の歴史を知ることができます。戦国時代に伝わったポルトガル銃や日本発の種子島銃、さらに国内外の旧式銃約100丁が展示され、日本の鉄砲(火縄銃)の歴史や世界の鉄砲が見学できます。その他、種子島の文化や生活を紹介したジオラマも見ることができます。
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TEL/0997-23-3215
◆交通/西之表港から徒歩10分
◆開館時間/午前8:30~午後5:00(但し、入館は午後4:30迄)
◆休館日/毎月25日(7・8月は除く)その他資料整理日等
赤尾木城跡
種子島島主・種子島家の居城の跡です。1624年に第17代島主「忠時」が、内城(現在の榕城中学校)からここに城を移しました。赤尾木(アコウの木)が生い茂っていたことから、こう呼ばれるようになったと伝えられています。明治の版籍奉還まで、ここは島主の居館でしたが、現在は榕城小学校になっています
カシミア号漂着の碑
明治18年9月12日、米国の帆船カシミア号が、種子島の東南海上で難破し、立山と伊関の海岸に漂着しました。この時、地元の人たちの手厚いもてなしにより、漂着者は無事帰国することができました。この厚意に、米国市民及び政府は感謝の意を表し、金メダルと金子25ドル、さらに5,000ドルを贈りました。この国際的美談を永久に伝えるため、漂着地並びに小学校の校庭に記念碑を建てました。
わかさの墓
鉄砲をつくった刀鍛冶「八板金兵衛」の娘「わかさ」が、この墓に眠っているといわれています。「わかさ」には、父が鉄砲技術を教えてもらうことと引き換えに、ポルトガル人のもとに嫁いだという伝説が残っています。この墓の傍らには、ここを海音寺潮五郎が訪れたときに詠んだ歌碑も建てられています。
種子島時堯公像
1543年(天文12年)14代島主種子島時堯はポルトガル人から購入した鉄砲で初の国産銃製造に成功した。日本の歴史を大きく変えた鉄砲の先駆者である。
妬いた金兵映像
ポルトガル人から鉄砲製造技術を学び、国産第1号の火縄銃を製造した功績を称えて建てられた銅像です。
http://www.city.nishinoomote.lg.jp/kanko07/rekishi/rekishi.html
市のホームページより
最後に、市内の町並みのひとつ”飲み屋街”にあるスナック
なんか演歌にでてきそうな店ですよね。
酔った男がひとり、店にはいろんな過去をお化粧で隠したママがひとり、”いっらいしゃい”何飲む?なんて!!面白そう
とにかく種子島はいろんな楽しみ方ができそうだ~。