こちらの続き。

 

 

 

 

気質を受け入れる話の前に

もうひとつ話したいことがあります。

 

 

 

それは「退屈」

 

 

 

私は「退屈」という意識を

しばらくの間、ずっと感じていたのでした。

 

 

退屈というサインは

自分が「望みの拡大の流れ」に

乗っていないというサイン。

 

 

 

 

 

実は、退屈に陥る前

もう一つ手前に

段階があることに気づきました。

 

 

 

 

 

私の場合

 

発信も「それなりに」している。

勉強も「それなりに」している。

望みも「それなりに」している。

 

 

行動も「それなりに」出来ている。

結果も「それなりに」出ている。

現実化も「それなりに」出来ている。

 

 

この「それなりに」が鍵。

 

 

 

 

「それなりに」満足していて、大きな不満もない。

だから「今のままでも、別に特に問題は、ない」

 

 

この

「そこそこ感」。

 

 

この「そこそこ感」を感じた時こそ

実は

次に動く第1歩目の、サインです。

 

 

 

 

 

「そこそこ感」とは

いわゆる「停滞感の入り口」。

 

 

 

これをずっと無視していると、

やがて「退屈」という感覚に変化していく次第。

 

 

退屈モードになると周りのことが気になって荒れまくる。

そのことはまた別の記事で書きます。

 

 

 

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停滞感。

 

 

例えるならば

進級しないで

ずっと同じ学年にとどまりづける感じだったり

ゲームですでにクリアしたステージを

ずっとループしてやり続けている感じ。

 

 

 

もうやったことがあるから、当然できる。

どこに何があるかもわかってる。

割と苦もなく、簡単にできる。

 

 

 

だけど

敢えて言葉にするなら

そこに「達成感」はなくて。

 

 

 

達成感はないけど

中途半端な充実感だけが残る。

 

 

 

この中途半端な充実感こそが

「そこそこ」「それなり」という感情を得る。

 

 

「ぬるま湯」感覚なんです。

 

 

 

 

私の場合

だいぶ前から

次のフェーズ、ステージがきていて。

 

 

目の前にある。

自分でもどこかでもう、とっくの昔にわかってる。

 

 

 

「やりたくて仕方ない」けど

「やりたくないこと」にしていることが。

 

 

 

 

なぜなら

次のフェーズに行くにはまた

いろんな前提や自分自身と向き合わなきゃならない。

 

 

そしてまたここにも

「気質を受け入れる」という

ずっと拒否しているものがある。

 

 

 

で、そこから目をそらしたいがために。

 

 

またしても「そこそこ満足できそうな何か」が

目の前に現れると、飛びつく。

 

 

 

 

さらにもっとこじらせると

動きたくがないために

 

 

わざわざ目の前にあるものに

「問題」や「悩み」というラベルをつけて

それを解決することに力を注ごうとする。

 

 

 

一人芝居。

無限ループ

だから前回の最後「笑いました」と書いたんだよー(笑)

 

 

 

 

 

 

全部

明らかにして見てみると

 

 

 

まず

私は、HTLのイベント

シンデレラプロジェクトに参加して

 

 

それは

めっちゃウハってたし

死ぬほど味わってたし

涙出るほど楽しかったし

 

 

女性を愉しむことの大事さを思い出したし

勇気出していろんなことやった

 

 

それは本当に恵みだし

楽しかったし

 

 

サイコーに私の魂は喜んでいた。

 

 

 

はっぱ隊までは

それでよかったわけです。

 

ものっすごい楽しかったから。

(みんなありがとねー♫)

 

 

 

 

それを体験したのは

ただただ、思い出すため。

棄てた私を迎えに行くため。

 

 

 

 

 

で、ここにもうひとつ。

さらなる気づきが重なるんだけどね。

 

 

 

 

 

私は2020年

SNSの発信をほぼ停止して

 

 

自分のコミュニティ

書き出しワーク練習帳0期からの

 

 

現・箱庭球体堂3期まで

 

 

ただひたすら

クローズドのコミュニティの中で

日々、濃い発信をして

 

 

 

たくさんの

ぜっきーファンと

対話して

エネルギーを循環させてきました。

(その結果濃すぎるファンたちが続出。ただしヤンキー風味・笑)

 

 

 

結果

コミュにだけ

とことん集中することで

私が受け取ったものは

 

想像以上の感動と至福。

 

 

 

私はただ

自分の実践と気づきの

シェアをし続けただけって感覚だったけれど

 

 

予想以上のすごさ、速さで

メンバーに教えが浸透していったことで

 

 

ひとつ、世界の完成を見たし

世界への信頼が還ってくるのを

魂の底から味わって

大泣きしました。

 

 

 

これも実は

意図せずコミュニティ化していったんだけど

(最初は作るつもりは全くありませんでした)

 

 

もうひとつ意図せず

 

私は

自分のコミュニティの中で

自分をさらけ出す練習を積んでいた、のでした。

 

 

インスタライブとか

YouTubeとか

 

今まで声での発信は

抵抗があってできなくて

 

 

でもやってみたら

サイコーに面白かったし

 

書くのも好きだが

喋るのはもっと好きだと再認識して

 

 

自分のこじらせやしくじりも

あまりシェアできてなかったのを

全出ししたら

 

 

世界がより一層

輪郭がくっきりして

クリアになった。

 

 

毎日セミナーしてるみたいな感覚で

気づいたらシェア

なんかあったらシェア

 

これを積み重ねていった。

 

 

 

昨日のキエコさんのイラスト

もう一回載せとくね。

 

 

 

私は、ある意味

自分のコミュの中で

これを実践していったわけです。

 

 

でね。

 

ここからが本題。

 

 

 

 

 

このまま

HTLや

あきピカのイベントに参加したとして

 

 

 

それはとーーーーーっても楽しい。

 

きっと、ワクワクするし

最高だと思う。

それは、わかってる。

 

 

 

 

 

でも。

私が自分の世界を創ること

ぜっきーUSJを創ること

 

 

それは

私がやりたいことだし

私にしか出来ないことだし

私が望んでいること

 

 

 

 

これをやらずにいたら

私はまた

停滞感のループに入る。

 

 

 

そしてまた

ごまかし始める。

 

 

 

 

 

 

それと同時に

コミュニティの中で

全てが一度完成されたから

 

 

この先も

コミュだけやっていたら

全てが回る。

 

 

そこでメソッド作って販売したり

はたまた物販したり

面白いイベントやったりすれば

 

 

世界は完成される。

私も参加者も満足する。

 

 

 

でもそれは、絶対に長続きしない。

 

 

 

このまま

コミュニティだけに

自分のエネルギーを注いでいたら

 

 

私自身が停滞して

やがて、破綻する。

 

 

 

 

私は

現時点の自分のエネルギーを見て

 

 

他のイベントに参加しながら

自分の世界を創って

コミュニティの面倒を見るだけの

両立のエネルギーは

まだ、出せないな。

 

 

そう、強く実感しました。

(これは世界の拡大とともに、必ず両立できる時が来ます。これ絶対よー♫)

 

 

 

だから

自分の世界を創ることに

一旦全部のエネルギーを注ぐことに決め

 

 

コミュニティを

3期終了とともに

一旦休止することを

みんなに伝えました。

 

 

 

 

 

去年の12月の話です。

 

 

 

 

 

そして

意識して

敢えて

イベント系には

一切参加しないというスタイルを取り

(約束してた人たち、不義理働いてごめんね)

 

 

 

 

 

 

最後の砦

 

 

気質を見つめ直すという

内観の時期に入ったわけです。

 

 

 

 

 

これには

「面倒見の良さ」

 

そして

 

「ちょっと逃げる性質」

それが深く関係しています。

 

 

 

 

 

もう少しだけ続く。

 

 

気質を受け入れずして、世界の調和なし

 

 

 

 

 

 

 

 

あ、これ

HTL卒業します宣言じゃないよ(笑)

 

 

自分の世界を創ることに

一旦集中します、という宣言です。

 

 

またイベントには参加します、絶対♫

 

やめろと言われてもやめません(笑)

まだまだ意識の使い方

世界の創り方を教えて欲しいのだー(*≧∀≦*)