このスピリチュアルや心理業界に身を置いて

かれこれ、4年くらい経つでしょうか。

学びだけで言ったらもっと長くなるでしょう。

 

 

私は、とにかく楽になりたくて

自分がいろんなことに振り回されている状態から

なんとか、自由になりたくて

この学びを始めました。

 

 

自己肯定感、とよく言いますが

それは

自分が経験して、そこから生み出された答えに対して

自信をつける、ということなのでしょう。

 

 

その、自信をつけるための知識だったはずが

逆に経験することを遠ざけていく、という

本来の目的とは違う働きをする、ということがあります。

 

 

わたしは、このままでいい、と。

体験することを拒否する。

行動することを制限する。

 

学ぶことは、手段であったはずが

目的となる。

そうなると、スピリチュアルや心理業界の知識は

もはや、お荷物にしかなりません。

 

 

誰のセッションを受けても腑に落ちない

どのセミナーに行ってもピンと来ない

 

もう、頭がいっぱいで

誰のいうことを聞いたらいいのかわかりません

 

そういう状態の時は

誰のいうことを聞いても、響かない。

 

 

必要なのは、やめる勇気だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

人は、様々な「学び」を通してではなく

様々な「経験」を通して

自分との付き合い方を覚えていくもの。

 

 

感情や、思考や、思い込みや前提や、

それらのものと向き合って

経験することでしか

体得できるものではない、と思うのです。

 

 

 

 

スピリチュアルや心理学の知識は

「答え」という名の「結果」を教えてくれるものではなく

 

自分自身の答えを導き出すための「ツール」のひとつ、に過ぎない。

 

 

 

だから、誰かの教えであったとしても

自分が実践して経験して得た答えと、合わないのであれば

それはもう、ひとつのツールだと、割り切って良いのです。

 

 

 

それは

りんごを切るのに

包丁しかない!!と無理やり思い込むようなもの。

 

本当にやりたいのは「りんごを食べる」ことなのに

 

いつからか、包丁マスターを目指してしまったようなものです。

 

別に、手で割ってもいいし

そのまま食べてもいいわけで

 

それに気づいて、ひょいっとりんごを食べている人に

ムキーーーーーッと怒っても意味がない。

 

 

 

スピリチュアルや心理学の知識を

とても上手に使う人たちがいます。

 

 

その人たちは

「ご機嫌な私」でいるための

コンディションを整えるために

それらの知識を、使います。

 

 

幸せになるために、スピリチュアルを学ぶのではない。

 

いつでもどこでも、幸せを感じられる私でいるために

安心感の中にいるコンディションを作るために

その知識をフルで活用する。

 

 

 

 

自分を自由にしない知識はもう、捨てていい。

自分を縛る知識は、もう今ここで捨てていい。

 

 

 

 

学びが、自分の生き方を狭めているならば

それは、必要ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

本日、JAGUARさんの撮影です。

1日フルで宇宙船JAGUAR号に乗って来ます。

 

果たして無事に帰って来れるのだろうか…(笑)

 

 

 

 

 

今日も、良き日を♫