私たちは「思考」ではなく
私たちは「感情」でもなく
わたしたちは、それらと共生しているだけなのです。
あなたが、持っているものであり
あなたそのものではない。
それらは、過去起きた出来事や
今までに身につけて来た価値観や
もともと持っている気質や
そういったものから、発せられている。
だから、あなたそのものでは、ないのです。
しかし
わたし=思考
だと思い込んでいると
自分の中から響いて来た「声」をまた更にジャッジして
それらがよいものかどうか品定めして
自分を裁く材料としてしまう。
それにまた絶望し
それにまた呆れ、叱責し
それにまた涙し
その、響いて来た声と自分が一体化となり
自分への評価となってしまう。
だから、自分で選ぶのです。
選ぶことが、できるのです。
受動的ではなく、能動的に。
自分を生きるって
自分を生き、活かすって
無意識を意識化することであり
「自分の中に響かせるものを、自分で選ぶ」ということ。
そう
調律していくこと、なんです。
自分を調律していく。
だから
「悲しい」という感情があっても
「悲しい人」ではない。
「怒る」という感情があっても
「怒っている人」には、ならない。
私は、ただ「悲しい」という感情を感じているだけで
それそのものが「わたし」ではないのです。
感じていることで、自分を決め付けない。
感じていることで、自分が何者かを決め付けない。
感じていることは
常に自分のセルフイメージを教えてくれます。
無意識のうちに
自分に課した課題であったり
こうなりたい姿であったり
そういった「何者か」になろうとしている。
感じていることは、それに繋がるヒントになります。
大切なのは
「何をされた」のではなく
「何を選ぶか」
「何を言われた」のではなく
「何を選ぶか」
「何を感じるか」ではなく
「何を選ぶか」
何が聞こえてきても、何を感じたとしても
常に「私は、何を選ぶか」なのです。
今日もまた
私たちの中からはいろんな声が聞こえてくる。
それらは
私たちがどんな立ち位置を自分に要求しているかを
はっきりと、示してくれます。
いつでもね。
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